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考えること。

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記事一覧

言葉を綴ることは救い

言葉を綴ることは救い

夜23:00。
息子は夕方からひどい咳。
親としてやれることはやって、あとは彼の免疫力に頑張ってもらうだけ。

外は雨。台風一過で蒸し暑くなったと思ったらまた豪雨。
夕方のこと。テラスで雨を見ながら、今日はたくさんメールで会話をしすぎて脳が疲れているなと感じる。
しかしぼんやりすれど、あれをやらなければ、これをやらなければと焦ってくる。
タイマー15分セットして、ぐるぐる回る思念を切っていく。雨に

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救いという罠

救いという罠

昨夜23:00すぎ。モヤモヤした気持ちを詩にこめて文章にした。言葉の表現が救いだと感じた。
しかし、そのせいで朝起きると眼精疲労でぐったりしていた。救われた、と思った結果がこれだ。睡眠の熟睡度にも影響している。寝る前の二時間は電子機器を触らないという「熟睡の鉄則」がぜんぜん守られていない。

結局、救いはまやかしだったというわけだ。睡眠以上に大切なことはない。
スマホ脳に汚染されまくっている。何と

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新しい誕生日

新しい誕生日

今日は良い日だったと思う。
夢のお告げ、これからの方向性を確認しつつ、夕方に壮大な雲と後光がさしたような陽の光をみた。
友人が国立国会図書館に出かけたので、曾曾祖父の名前を調べたら、宮崎市の伝承のサイトがリニューアルされ、より具体的に写真付きで解説されていた。
曾曾祖父は、この日記でも何度か触れているが、祈祷師だった。きっかけは孫娘の難病を治したい一心で、山奥の修行場に向かい懸命に修行をした。21

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きちんと「さようなら」を伝える

きちんと「さようなら」を伝える

金魚のブラック君が息を引き取った。昨年8月に金魚掬いで迎えて、1年の寿命だった。
モネが亡くなって、その代わりに溺愛していた金魚2匹だった。金魚のことを何も知らないのは、神様に与えられた命に失礼だと思い、いろいろ勉強した。その特性やさまざまな病気など。
1匹目レッドちゃん(息子命名)は数ヶ月で松かさ病で亡くなった。ブラック君はそれでも元気だった。数日前までは元気に泳いでいたが、涼しくなったからか、

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例え、見えていたとて。

例え、見えていたとて。

緑内障で視界の1/4がみえず、たとえ残り3/4が見えていたとしても、その世界が恐ろしいものであればどうしようもない、という絵。

かえって見えるもの(感じるもの)苦しめられるくらいなら、いっそ、見えない方がよい。

残りの視野に、美しいものを見出せるかどうか。
まさに人生の変化の時。

どこへ行く、ぺーくん。

どこへ行く、ぺーくん。

懐かしい記事が出てきた。

20代のころ、井の頭公園で似顔絵を書いていたときに、老舗の美術雑誌「美術手帖」のいちコーナー「ウルケンさんが行く」から取材を受けたことがあった。

このコーナーは駆け出しのイラストレーターが売り込みに行くまでを追う内容だ。
僕は大学を休学して、お上りさん気分だったので、いきなり売り込みに行くと言う場面で腰が引けていた。しかも「文藝春秋」だという。
公衆電話でアポを取り、

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いつか見えなくなる世界

いつか見えなくなる世界

今朝、どうも目がむず痒いなと思い眼科に行きました。
相変わらず眼圧が高めで、精密写真を撮ることになり、緑内障初期の疑いがあるということで、来週に視野検査をすることになりました。

「緑内障」。
ついに来たか、という感じ。ついに・・といっても馴染みのない人には一生ないだろうし、ある人にはある。
進行の進み具合にもよりますが、一度視界が見えなくなったら、もう2度と戻らないのは、白内障との大きな違い。

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今観える世界を。

今観える世界を。

緑内障の診断が出た。
もはや、失われた視界は戻らない。あとは眼圧を下げる治療をしつつ、どこまでこの視界を守るかということになる。
平均では失明まで20-30年と言う。あくまで平均の話だ。ちょうど今日お会いした方の知り合いは、50代前半で緑内障の治療が遅く、片目がほぼ失明してるという。それでも仕事は出来ている。人間には五感がある。
僕は画家だ。目が見えなくなることは致命的。教えることも出来なくなるだ

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未練はない

未練はない

6/13。眼圧を下げる目薬を初めて挿す。
この目薬は、目の周りの皮膚組織に入り込むと黒ずむ傾向があるため、顔を洗えるお風呂の前にさすことを勧められた。これからずっと、この目薬と過ごすことになる。

風呂につかり、ぼんやりと、今日のことを思い出していた。
眼科の診断後、オーダー絵画をお客様に納品する。天国に旅立った先代犬と、現在一緒に暮らす愛犬が、天国で出会うシーンを描いたものだ。
絵画を見て、飼い

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雑草のように

雑草のように

駅に向かう途中に、なかなか売れない土地があり、半年に一度くらいシルバー人材の方々が土地の手入れをする。
しかし、あっという間にこの有様だ。

ちょうど今朝、茄子の苗を植えたところだった。小さなひよっこの苗とは違い、これらの雑草(アジサイ的なものもある)のオラオラ系と言ったら凄まじい。

なんだろうな、これは・・と心の湖に一雫の波紋が浮かぶ。

神社の境内で偶然見つけた尺取り虫も、そのような波紋の一

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新学期

新学期

新学期

のような気分です。
秋物を揃えたせいか。新しい観葉植物を迎えたせいか。金魚の住処に手を入れたせいか。
新しい表現のイメージが見えてきたせいか。

アトリエの前には大きな柿の木があります。樹齢も高くてあまり柿が実らなくなりましたが、今も少しづつオレンジ色になって熟しつつあります。
鈴虫がないています。金魚はゆっくりと泳ぎ、ウンベラータと苔と盆栽が目の前に。
ただ絵の具と筆だけは、まだありま

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エレーナのインコ

エレーナのインコ

(福音館書店あらすじより)
エレーナのかあさんは人形作りです。市が開かれる日、かあさんが人形を売るのを手伝いにいったエレーナは、鳥売りのおじさんからインコの雛をもらいました。ペロンと名付けたインコをエレーナは大切に育てました。ところがある日、ペロンは雨に打たれて死んでしまい・・。
ーーー
息子に読み聞かせをして、感動した絵本。
絵のタッチもとてもほのぼのしてますし、世界観も異国な感じです。作者夫婦

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自己表現(自我)よりも大切なこと。

自己表現(自我)よりも大切なこと。

タイトル通り。
以上!!

と終わりたいくらいですが、少し補足を。独り言にお付き合いくださいませ。

2022年9月の展覧会以降、ぽっかりと生まれた空白が、なんなのかをずっと考えてきました。
自己表現をずっと追求してきた画家人生だったと言えます。その対極にあるのが、他者表現というものでしょうか。デザインなど社会表現よりももっとミニマムで個人的な、相手の物語を紡ぎ出す絵画。
似顔絵だったり、絵画教室

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上手い下手より大切なこと。

上手い下手より大切なこと。

今朝、ふと思ったことがありました


「美大受験に合格する・しないは、ただ上手いか下手かの違いだけだったんだな」と。
それが今後の人生を決定することでは全くないのです。
しかし、当時にとっては、受験というのはその後の人生が全て決まるほどのことでした。

無論、合格するに越したことはありません。近所の高校生の子も、合格して、こんなにおめでたいことはない!って心から嬉しかった。努力の結果があるわけだ

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