見出し画像

未練はない

6/13。眼圧を下げる目薬を初めて挿す。
この目薬は、目の周りの皮膚組織に入り込むと黒ずむ傾向があるため、顔を洗えるお風呂の前にさすことを勧められた。これからずっと、この目薬と過ごすことになる。

風呂につかり、ぼんやりと、今日のことを思い出していた。
眼科の診断後、オーダー絵画をお客様に納品する。天国に旅立った先代犬と、現在一緒に暮らす愛犬が、天国で出会うシーンを描いたものだ。
絵画を見て、飼い主の方は号泣していた。「こんなふうに幸せに暮らしているんだ」って。
僕は、その方の横に寄り添っていた。いろんな思い出を聞かせていだきながら、よかったなぁと感動していた。

湯船に浸かりながら、突然、光が差し込んだように感じた。
僕は、気づきを得た。
「画家には未練はない。僕は、相手の心に寄り添うだけでいいのだ」と。目が見えなくなる可能性を考えた末での、気づきであった。

無論、今日の出来事は、絵画を通したことだったが、それはキッカケにしかすぎないのだと悟った。
そうだ、ずっと昔から、本当の居場所は、誰かのそばでじっと話を聞くことだった、、。
幼き頃から、嘆く母や、怒る父や、祈る祖父や、介護する祖母の隣で、話を聞いていた。そして対話していた。そこに深い癒しを感じていた。なぜだろう。

視野は失うかもしれない。すでに両目とも1/4以上はない。しかし、眼圧次第では、今の視界を保てるかもしれない。それにより美しい作品が描けるかもしれないし、技術を伝えられるもしれない。悲しみに暮れる方の愛する家族の命そのものを描けるかもしれない。

しかし、それらは些細なことだ。肝心なことは、他者に寄り添うこと。それができるなら、五感を全て失ったって、きっと、それまでに培ってきた多くのご縁と、学ばせていただいた心の機微、人生の不思議を丹田に置きながら、ゆっくり呼吸を整えて、誰かのために存在できるかもしれない。

今僕は、冷静じゃないんだろうか。あまりに受け入れ難いから、現実逃避して、理想化しているのだろうか。
よくよく心を観察する。静かな決意と、腹を括る覚悟がある。これは真実かもしれない。

ベートーベンやモネのように、表現にこだわり続けた偉大な芸術家もいる。でも、例えるなら、僕は最後を迎える前に残したいのは、「集大成になりうる傑作」ではなく、幼児に聞かせる「童歌」なのかもしれない。

これは意外だった。
だからこそ、今、この瞬間の一筆に、真実味を込めていこう。一番大切なもの。人生で、たった一つだけ選べるもの。
杜子春は、最後の最後ですべてを投げ捨てて「お母さん!」と叫んだように、僕も、最後の声で、静かに祈るのだ。

ただそばにいよう。いつまでも。

よろしければサポートお願いいいたします。こちらのサポートは、画家としての活動や創作の源として活用させていただきます。応援よろしくお願い致します。