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いっぱいの花束をぎゅっと抱きしめたら、私はまた走り出す。ー共感覚アートの苦悩

あの絵以降描けていない共感覚アート。

なんか不吉なのでイーゼルにのせてあったままだったのを反対向けて置いてあったのだが、今日ふとみるとゴミ箱に落ちていた。

「捨てろ」ということか。でもわりといい作品でもったいないので、とりあえず見えないところに隠しておいといた。それでもゴミ箱に落ちてく様なら可燃ごみに出して素直に捨てようと思う。

共感覚アート、描けないのではなく描けないと思い込んでいるのではないだろうか?だって、世界は毎日色付いて見える。これを模写すればいいのだろう。観えているのに描けないのは、景色があるのにカメラで撮らないのと同じだ。

つまり、描けないのではなく「描けるメンタル状態でない」だけで、それさえ正常化すればすらすらと模写できるはずだ。

今までもつらい思いを抱えている時に書いたこともあった。今は心の状態が共感覚アートを邪魔するほどに覆いかぶさってきているから難しいだけで、そこを突破できればきっとまた描ける。必ずかける。

もしかしたら、描きだそうとしている色と感情を切り離すコントロール法があるかもしれない。それがわかれば共感覚を持っていながらうまくコントロールできない人に教えることができるのではないだろうか。

失敗しては、挑戦し、また留まっては動き出す。

動きだせるのは周りの優しい人たちのおかげだ。

周りの人が優しい色の優しさの花をたくさん与えてくれるから、手には溢れかえるくらいいっぱいの花束になって、それをぎゅっと抱きしめたら、私はまた走り出すんだ。

その繰り返し、繰り返しで、くじけそうにもなるけど
私は負けないで自分の意志を貫き、自分のやるべきことのために生きていく。

またこんな色が描けるように。

山口葵


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