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それは、あまりにも小さなことだけど

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「それ」は、生とか人とか。取るに足らないことかもしれないけど。それでも。(短編集)不定期更新。
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記事一覧

さなかのるすばん(1100字)

「ただいま」

「おかえり。何してたの、今まで」

 玄関で迎えた俺に母さんは答えず、「疲れちゃった」と上がり框に腰を下ろした。

「中、入んなよ。そこで休まなくても」

「あんたも座んなさいよ。親孝行」

「ここで?」

 と口では言いつつも、『親孝行』の言葉に弱い俺は、素直に母さんの隣に座った。

「母さん、どこまで行って」「懐かしいわね」

 母さんは、遠くを見る目で言った。

「クロがいな

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猫又貸し(1221字)

 これは、ある友人から訊いた話である。

 当時中学生の彼女には、いじめを受けているクラスメイトがいた。仮にAさんとする。

 Aさんは、クラス内のいじめグループに目を付けられていた。日々罵られ、提出物を隠され、生傷も絶えなかった。友人を含め、クラスの誰もが彼らをよく思っていなかった。

 しかし、彼らが九人という大所帯であること、担任も見て見ぬフリをしていることから、自身がいじめられないためには

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Frog,Flag,Flap!(4943字)

 むかしむかし、だれの、どんな願いも、だれかが叶えてくれたころのこと。

 ある国に、ひとりの王さまとたくさんのお姫さまがいました。お姫さまはみな美しく、中でもひときわ美しいのが、いちばん下のお姫さまでした。世の中を見わたしても、こんなに美しいお姫さまは他にいません。

 王さまはもちろん、お姉さまであるお姫さまたちは、いちばん下のお姫さまをかわいがりました。そんなお姫さまは大きくなると、彼らを見

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「椎名ちゃんはボクのもの」などと■■は供述しており、(1029字)

 質問? 何でも答えますよ。「答えたくない質問」なんてありません。だって、椎名ちゃんに関することでしょう? 椎名ちゃんのことならボク、何でも答えます。

 誘拐? 動機? 失礼ですね。ボクは、椎名ちゃんが好きなんですよ? 「好きな人と過ごしたい」って普通のことですよね? 誰にでもある欲求じゃないですか。そんなに騒ぎ立てることなんですか?

「なぜ、椎名ちゃんを殺さなかったのか?」どうして殺すこと

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命、三つ時(1183字)

 毎晩、丑三つ時に目を覚ます。まるで、目を逸らすなと警告されているように。

 天井が、夜な夜な迫っている。

 始めは、気のせいだと思っていた。本来、床から天井までの距離は二メートル以上あるはず。けれど、男ではなく天井に迫られ早一ヶ月。一昨日より昨日、昨日より今日、布団の上の私と天井の距離は確実に縮まっている。

 しかし、天井は日の下に本性をさらしたくないのか、朝になれば元の高さに戻っていた。

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イントロダクション(4916字)

イントロダクション(4916字)

その1:黒さんの場合
 その女の子は、茶色い髪を肩まで伸ばしていました。陽の光を丹念にほぐしたような、優しい色です。女の子は、まるで何かから守るように、自分の髪にそっと触れました。

「ご本人が気に入っているのであれば」

 と、その美容師さんは言いました。

「私には、することがありませんね」

 そのことばに、女の子はむっとしました。

「仕事してください」

「そうなんですけどね……。でも、

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満ち引きの駆け引き(1584字)

 このビルは、街の中で最も高い建物。三階建ての、高層ですらないビルが『最も高い』なんて。そして、最も必要とされていないなんて。最高の建物は、最高に皮肉が効いている。

 最も高い建物の、最も高い場所――屋上に、私はいる。所々破れているフェンスの、足下まで裂けている場所に、腰をかけて。こんな場所でも、街並みを一望することは出来ない。

 私の膝から下は、宙をぶらついている。爪先より下の方では、どろり

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亡く羊(11340字)

1.コース料理の説明「オードヴルのベイクドポテトには、骨がございます」と、ギャルソンは説明した。

「ランチでは取り除いてご提供しているのですが、ディナーではそのままお出ししております」

「ここが出すのは、パンじゃなくて、米料理だったかしら? リゾットとドリアは、どちらがおすすめなの?」

「どちらも……と申し上げたいところですが、本日はリゾットをおすすめします」

「では、リゾットを」

「か

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閑古鳥は“ビイ”と鳴く(4027字)

「どこをほっつき歩いていたんだ」

 帰宅するなり、頭上から不平不満がたらたらと。いつもなら無視するけど、今日は顔を上げて視界に入れてやる。

 視線の先――玄関の軒先には、頬杖をついて腰をかけている烏天狗。

「ほお、珍しいな。お前がこの俺を無視しないとは」

「とりもちアタック」

「ぎゃああああ」

 懐に忍ばせていたとりもちを手当たり次第に投げつけると、烏天狗はこの上ない悲鳴を上げた。

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笑って、笑って(1623字)

この国では、“マスク”の着用が義務付けられている。

“マスク”は、数十年前に比べるとかなり変化した(僕が生まれたときは、すでに現在の“マスク”だったから、教科書でしか見たことがないけど)。

従来の“マスク”がカバーできるのは、せいぜい鼻から顎までで、しかも安価なものは布製だったらしい。

現在の“マスク”は、前髪の生え際から喉の辺りまで、余すことなくカバーされている。しかも、特殊加工のおかげで

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intermezzo(1640字)

もしかしたら、ここは彼の屋敷だったんじゃないかと思う。いや、過去形にするのはおかしいか。彼は今も、ここに棲みついているんだから。
 

たしかにここは、あちこちが崩れていて、住処というには荒廃としている。普通の人間なら、まず住むことは出来ない。でも、彼は普通じゃないから問題ない。

敷地内のやせ細った植木にもたれかかっていると、ふいに目まいがした。そのとき、私はもう地面の上に屈み込んでいる。

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comed(a)y(6655字)

「プラークチェッカーみたいですね」と先生は言った。

「ぷらーく……何ですか?」

「小学校でしませんでしたか? 歯の磨き残しをチェックするために使うお薬です。それを噛むと、磨き残したところがピンクに染まるんです」

「じゃあ、まだ歯にはさまってるんですね」

僕は言った。

「クレヨンですからね。私は歯科医じゃないので何とも言えませんが……気になるようでしたら、受診してくださいね。紹介状を出して

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toward morning

僕はたぶん、起きる方向を間違えたんだ。「方向」っていうのは、何の比喩でもなく、東西南北のことだ。僕はいつも東を向いて起きているのに、今朝にかぎって、西を向いて起きてしまった。そのせいだ。現在午前7時。昇るはずの陽が、沈もうとしている。ああ。取り返しのつかないことをしてしまった。これじゃ、今日が始まるどころか、昨日に戻っているじゃないか。ああ。全人類の皆さん、ごめんない。僕が、西を向いて起きたばっか

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イッツ (ア) ファンタスティック

「慣性の法則?」

「うん。……ええと、つまり、君を忘れようと思っても、すぐには忘れられないってこと」

「じゃあ、魔法をかけてあげる」

「魔法?」

「1日目には、体温。2日目には、匂い。3日目には、私自身を、忘れることが出来るように」



「おは、」

そこまで云いかけて、云うべき相手がいないことに気付いた。

そうか。
君は、もういないんだ。

『荷物、全部置いていくから』

『何で?

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