閑古鳥は“ビイ”と鳴く(4027字)

「どこをほっつき歩いていたんだ」

 帰宅するなり、頭上から不平不満がたらたらと。いつもなら無視するけど、今日は顔を上げて視界に入れてやる。

 視線の先――玄関の軒先には、頬杖をついて腰をかけている烏天狗。

「ほお、珍しいな。お前がこの俺を無視しないとは」

「とりもちアタック」

「ぎゃああああ」

 懐に忍ばせていたとりもちを手当たり次第に投げつけると、烏天狗はこの上ない悲鳴を上げた。

 コントロールがいまいちなので一つも当たらなかったけど、嫌がらせは成功したので良しとしよう。

「とりもちによる鳥類の捕獲は禁止されているぞ!」

 命からがらといった風に、烏天狗は大声を上げる。天狗としての威厳はどこへやら。

「天狗だろう、あんたは」僕は、残りのとりもちをさっさとしまった。「そんなところにいるから、思わず投げちゃったよ」

「だから、下りれないと言っているだろう! 何とかしてくれ」

 烏天狗は、軒先にくっついて離れない腰をよじりながら、抜け毛の目立つ翼をばたつかせる。

 もう、何百回何千回と試したんだろう。ぱりっと糊のきいた袴はすっかりよれてしまい、日がな一日陽に当たっているからだいぶ傷んでいる。

「天狗のあんたが無理なら、僕だって無理だよ」

「何度も言っているだろう。俺は、この家にとり憑かれたんだと。それなら、家の主であるお前が何とかするのが、筋ってもんだろう」

「他人の家にけちをつけるんじゃないよ」

 何度くり返したのかわからない会話の応酬。僕はさっさと家に入った。

「おい、まだ話は終わってないぞ」

 烏天狗は憤っているけど、ひと通り無視した。

 烏天狗は懲りずにわーわー喚いていたけど、かと思えばいやにかしこまって「どうもどうも」と挨拶するのが聞こえた。たぶん、近所の人が通りかかったんだろう。

 この家には僕しか住んでおらず、親類ともずいぶん疎遠になっている。

 だから、静かに慎ましく暮らしていたんだけど、烏天狗が居座ってからは(本人は不本意らしいが)ずいぶん賑やかになった。好意的に言えば。

 まったく、逐一やかましい閑古鳥だ。

 僕は、使い道のなくなったとりもちを処分した。





 烏天狗が定位置と化した玄関の軒先から動けなくなり、一ヶ月になる。

 本来烏天狗は、この町に聳え立つ霊験あらたかな山の主らしい。山頂に居を構えているはずの彼が、ただの民家の軒先に腰を落ち着けているとは、これいかに。

 一ヶ月前、烏天狗は所用で隣町の同じく烏天狗の元を訪れた。月に一度、付近の町の情報を共有をしているらしい。実際は、三日三晩酒を酌み交わしていただけらしいが。

 さすがに三日三晩は長居しすぎた、と飲んだくれの烏天狗(うちの町の方)。烏天狗(隣町)に暇を告げ、ふらりふらりと我が町へ戻っていく。

 さすがに呑みすぎたと見え、我が城へ辿り着く前に力尽きると思ったのか。ちょいと羽を休めようと、この家の軒先に降り立った。

 しばらく休み、「さて、そろそろ帰るか」と腰を上げかけたところで、その腰が瓦にぴたりと貼り付き、離れないことに気付く。

 まさか、とりもちでも仕掛けられていたのか?

 しかし、袴の腰の辺りを引っ張ってみても、そのようなものはうかがえない。渾身の力を込めて立ち上がろうとしても、うんともすんとも離れない。

 そして、うんうん唸っていると、丁度家から出てきた僕に発見された。

 烏天狗はこれ幸いとばかりに救助を要請してきたけど、僕は何も見なかったことにして、家の中へ引き返した。

 それから十五分後。近所の誰かが通報したのか、烏天狗の元に警察が駆けつけた(烏天狗は僕以外には見えないとか、そんなことはなかった)。

 軒先に梯子をかけ、警官が何人も上り、烏天狗をそこから下ろそうとするが、やはりうんともすんとも動かない。

 とうとう消防隊や機動隊まで出動したけど、結果は言わずもなが。状況は一切変わらなかった。

 しばらく場は騒然とし、近隣住民のちょっとした見物となった。

 最終的に「天狗だから、飲まず食わずでも問題ない」とのことから、しばらく様子見になった。

 烏天狗は彼らの下した結論にいたく憤慨したが、最初に駆けつけた警官からお隣の奥さんまで総出で彼をなだめたことで、なんとか事なきを得た。

 その頃、僕は縁側で日なたぼっこをしていた。

 この哀れな天狗は、すぐに町の名物になった。

 噂を聞きつけた地元新聞の記者が取材にやって来たり、近所のいたずら好きの小学生にパチンコ玉を投げつけられたりした(ちなみに、烏天狗は神通力か何かで全てはね返していた)。

 しかし、慣れというのは恐ろしいもので、明らかに異様な見た目をしている烏天狗を、通りがかりの人達がさらっと挨拶するほど、彼は下界に馴染んでしまった。今はもう、烏天狗がもの珍しい目を向けられることはない。

 むしろ、烏天狗が僕にぎゃあぎゃあ文句を垂れるのが近所迷惑になっているらしく、そのせいで警察が彼を注意しに来るまでになった。

 烏天狗は浮き世の理不尽を味わいながら、憮然とした表情でそこにいた。





「お、帰ってきたな」

 今日も今日とて、帰宅早々頭上から声が。それが不平不満じゃなかったことに違和感を覚えながら、変わらず無視して僕は家に入ろうとした。

「待て待て」

 妙に焦った様子で呼び止められるものだから、さすがに足を止めざるをえなかった。

 烏天狗を見上げると逆光になっていて、その姿は暗くなっていた。まるで、本物の烏に見える。まあ、彼も一応烏だけど。

「はいはい、何でしょう」

「お前が不在の間に、役所の人間が何人も家に入っていたぞ」

「ああ……」

 僕は頭をぽりぽりかきながら、心当たりから目をそらす。

「お前が在宅かどうかも確かめずに、しかも土足で上がり込んでいたぞ。いや、俺も一応止めたんだが、『ここは、あなたの家じゃないでしょう』とたしなめられてしまってな」

「それはそれは、ずいぶん崇められてるね」

 烏天狗は僕の皮肉をものともせず、この家の行く末を案じているようだった。

「良かったのか」

「良くはないね」

 僕は、玄関の軒先を支えている柱に触れる。文字通りの支柱。表面はだいぶささくれ立っていて、気を付けないと怪我をしてしまいそうだ。

「彼らは、客人じゃないからね」

「客人じゃない?」

 僕の返答に、烏天狗はぎょろっとした目をさらに大きくさせた。

「じゃあ、あいつらは不法侵入というやつか? 不当にこの家を解体しようとしているのか? いや、そんな話が持ち上がっていたんだ。このままでは、俺もただでは済まない。あいつらは、俺を何だと思っているんだ。烏天狗、この町の守り神だぞ。俺がいなくなったら、この町は」

「まあまあ、落ち着きなよ」

 僕は烏天狗の見当違いに肩をすくめ、案じているのが自分の身なのかこの町の命運なのかわからない彼を哀れに思った。

 僕は家を見上げ、さらに上にいる烏天狗を見上げ、ようやく諦める決心がついた。

「そろそろ、潮時かな」

「潮時?」

 烏天狗は、ますます首をひねる。

「お別れしなきゃね。この家と、それから君に」

 烏天狗は僕が何を言っているのかわからないようだったけど、やがてその意味にたどり着いた途端、ぎょっとして僕を見下ろした。

「お前の仕業だったのか」そんなに意外だったのか、烏天狗の声は上ずっていた。「俺をここに縛り付けていたのは」

「ちょっと静かにして。また通報されるよ」僕は、思わず声を落とした。「僕の姿は、君にしか見えないんだから」

 またまた驚愕した烏天狗は、餌を押し込まれる雛のように嘴をあんぐりと開けた。

「お前、人間じゃなかったのか」

「人間だよ、死んでるだけで。……というか、気付いてなかったんだ。天狗なのに」

 さらっと受け流す僕を、烏天狗はわかりかねるように首を何回転もひねった。お隣の奥さんが目撃したら卒倒しそうな絵面だ。

「お前は、この家の守り神なのか?」

「そんな大層なもんじゃないよ。未練たらたらで成仏できなかった地縛霊ってとこかな」

「じゃあ、いつもどこへ出かけていたんだ」

「この町も、そろそろ見納めかと思ってね。もうすぐ家が取り壊されるのは知ってたから」

 烏天狗は、まるで自分事のように肩をがっくりと落とした。てっきり、筆舌の限りを尽くして罵倒されるのかと。

「……なぜだ。なぜ俺をここに」

「もう少しだけ、この家を延命させたかったんだ。そうしたら、偶然あんたがやって来てくれて。あんた、酒で弱っていたから縛り付けるのも簡単だったよ。……うん。おかげで、この家にもう心残りはないよ。それについては、礼を言わせてもらうよ。ありがとう」

 烏天狗は、今まで見たことのないほどかしこまった僕に、思わず身をよじった。そのとき彼は、自分の体の自由がきくことに気付いた。

「もう、自由に動けるよ」僕は言った。

 烏天狗は、一ヶ月間軒先に貼り付いたままだった腰の感覚を確かめるように、何度も曲げたり伸ばしたりした。

 そして、何の支障もないことがわかると、立派な翼を大仰に広げた。抜け毛がひどかったはずだけど、だいぶ生えそろったみたいだ。

「長い羽休みにして悪かったね」

「まったくだ」

 烏天狗は、町の守り神としての威厳を示すように、憮然とした表情で答えた。しょっちゅう警察に頭を下げていた人物とはとても思えない。

 僕は手で庇を作り、烏天狗が飛び立つのを見守った。下界からでは影にしか見えない彼は、烏天狗ではなくただの烏に見える。

 けれど、僕のわがままに付き合わされたことを一切なじらなかった彼は、やはり神さまの類なのかもしれない。

「あんな閑古鳥なら、いても悪くなかったかな」

 さて日なたぼっこでもしようかなと思っていると、上空から「おい」と大声が降ってきた。

 見上げると、屋根よりずいぶん高いけど、丁度僕の頭上のところまで、烏天狗が戻ってきた。

「この町の山は、俺の山だ。もし、家を失くし行き場を失くし、寂しくて寂しくて寝小便をもらすようになったら来い」

 それだけ言い放つと、烏天狗はさっきよりも勢いよく飛んで行った。

 彼の姿が見えなくなると、僕は思わず苦笑した。

「やっぱり、ごめんだね」



追記:
小鳥書房主催の『第1回 小鳥書房文学賞』に応募したものです。
受賞には至りませんでしたが、大切に読んでいただいたので、こちらに投稿しました。
感想など、コメントいただけるとうれしいです。

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