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Autisticにとっての、納得と変化の可能性について(R51119, HOTASさんとのスペースより)
11月19日に、HOTASさん@HOTAS10001 とスペース開催しました。その際に気づいたことなど、備忘録的に。
前半は、ニューロダイバーシティが日本において微妙に根付かない/違和感を感じさせるものであり続けるのは、現在の日本社会がそこまで追いついていないからではないか、という話で、HOTASさんの考察のほうがずっと進んでいたので、わたしが教えてもらう形でした。このへんの、HOTASさんの記
限定された場においてのみ有効な愛とか気づかいとかについて。
「わたしは先生にとって、ただの患者にすぎなかったのね」というのは、なだいなだ「れとると」の中の女の子ユキが精神科医である主治医に告げた別れの言葉でした。以前はユキの立場、いまは主治医の立場で、そうよね、と思ったりします。
愛情、では、定義からしてわたしの手には余りますので、適宜、気づかい、と読み替えていこうと思います。
条件付きの愛、かどうか。「わたしの患者である限りは」という条件は間違いなく
ホワイトボード上のサボテンマグネット。
なんなんだ、ですよね。これ、先日の、HOTASさん @HOTAS10001 との対談における発見の、キーワードなのでした。
「(余裕がある場合に関しては)人権を前面に押し出して交渉を迫るまえに、情報を共有したり、実績を積んだりして、問題意識を共有したほうが話は早いですよね」 (スペース上ではこの「余裕」についての言及が足りませんでしたけど)
ますますなんなんだ、ですよね。これ、「札幌の屋外では
問題意識の共有が先、の難しさについて。
昨日、わたしと同じくASDのHOTASさん @HOTAS10001 とスペースを行いました。ひさしぶりですね、とかいいつつ実は3ヶ月ぶりくらいの気分でいたんですけど、半年以上ぶりだったみたいですね。たのしかったです。
人権とニューロダイバーシティというテーマで話をするにあたり、一部の人につらい思いをさせたらしい、ということに、あとで気がつきました。ご指摘くださったかたがた、ありがとうございます。
二人で食べると二倍美味しい、ですか。
10年以上前。結婚したての頃。
「ご飯は『美味しいね』って言い合いながら食べたいんだよ」
と夫に言われて、文字通り固まったことがあります。
たとえば、ある店のハンバーグを食べておいしかったとして、夫にも食べさせたい、という気持ちはわたしにもあります。なので、おいしい料理が出てくるとわかっている店に行くときには、ぜひ一緒に行きたいわけです。それならわかる。
でも、二人で食べるとより美味しい、はよく
ASDの人は被害的な認知をもつ、のか?
「ASD(自閉症スペクトラム)の人は被害的な認知を持ちやすい」と書いている人がいました。精神科医らしいですけどそれは今は措きます。意味はいくつか考えられます。
ダメージの大きい/小さい。
たとえば感覚過敏。わたし(ASD)には聴覚過敏があります。掃除機の音でダメージを受けます。HP(ヒットポイント、英語圏ではHealth Pointらしいですけど)が減ります。掃除機の音が延々と鳴り響くとしたら、
身内の偏見のことと、祖父と父のこと。
わたしはいま、実家から遠く離れて暮らしています。帰省したことも、数回しかありません。行くたびに体調を崩すのです。
◆
理由のひとつは、わたしがASDというか「障害」を持っていることを、両親と親戚一同が、どうしても受け入れられないことにあります。信じたくないのです。わたしが「障害者」であることを。
「あのかしこいあずさちゃんが、障害者などという劣った存在であるはずがない」そのかしこいあずさちゃ
知識を披露しないことで得られるもののこと。
わたし、言語優位なんですよ。知能検査でもそうですし、実感としてもそうです。「ことばを、軽業みたいに使いますね」と言われたこともあります。
昔は、「ウオーキング・ディクショナリー」と呼ばれることがありました。歩く辞書ね。いまならウィキペディアですかね。語彙も豊富ですし、辞書的に覚えている単語も多いですし、どれもこれも説明できたりしますし。説明上手ですし。
最近は、そのウィキペディアを披露する