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研究者を断念して医者になった話。

わたし、医学部の前に理学部に4年間通って、大学院も半年行って、それから休学して医学部入試を受けて合格して、医学部を卒業して現在に至るんです。回り道についてはいろいろ思うところがありますけれど、その、回り道に至るまでの昔話です。

理学部4年生からは、研究室配属でした。生物学系の研究室に入りました。DNAを解読したり、そのDNAがどこにどう働いているかをホヤとかで解析する研究室でした。
夏休みの間に大学院の入学試験がありました。研究室に所属している全員が必ず大学院に入学できるというわけではなく、不合格になって浪人生になる人も時折いました。一生懸命勉強して、大学院の入試にも合格し、引き続き同じ研究室にお世話になりました。

理学部大学院入試のあと、教授に「キミは点数は非常に高かったんだけど、細かいミスがいくつかあった。研究職に向いていない可能性が高い」と言われたんですよね。自分のことを「(天才ではないことは周囲を見渡してよくわかったにしても)あたまがいい」と思い、よって自分は研究者に向いていると信じていたので、けっこうショックでした。
いま思い返すに、研究者全般に向いていないという意味ではなかったかもしれません。ただ、その研究室に必要とされる能力は、足りませんでした。

大学院の入試の時点では「でもあたまはいいし」とか思ってたんですよね。というわけで、その研究室で実験とか論文とか続けて、大学院にも進学しました。先輩にも恵まれ、たぶん、学部卒業までに論文を一本完成させたはずです。大学院半年目で退学するまでに、もう一本書きました。

大学院に入学する頃までには、「向いていない」ことに直面していたように思います。まず、考えに緻密さが足りない。「だいたい」理屈に合っていれば、それで「理解した」つもりになって、こまごました「でも証明されていない点」を勝手に補って、スルーしてしまうんですよね。これでは、科学的態度とはいえません。
医療・臨床であればそれで許される場面も多くあります。ひとまずストーリーを構築することが必要なことも多いですし、細かい隙間にこだわっていては大筋を見失う危険もあります。何より患者さんが治るなり今より素敵な人生を送れるなりすればそれでいいので、科学的な整合性はかならずしも第一優先事項ではないですから。

余談。最近、「自閉スペクトラム症の感覚世界」という本を読みました。

この本を読んで痛感したことは、自分が、証明されていることAと証明されていることCの間を想像でつないで、勝手にBを作り出して、A→B→Cのストーリーを作り上げている、ということでした。繰り返しますが、わたしのこの態度は科学的態度ではありません。内容そのものも感覚過敏のあるASD当事者として非常に納得できるものでしたけれど、それだけでなく、自分がおおざっぱな思考でいろいろなことを見過ごしていることに気づかせてくれた点でも、わたしにとっては非常に意義・価値のある本でした。

普段の思考過程でスルーしてしまう程度の「ストーリーに隠れたスキマ」こそが研究テーマになりうることは、かなりの衝撃でした。そのスキマを、見つけられないんですよね。日常生活あるいは大学入試のレベルであれば「おおざっぱに」理解すればそれで済むことも多く、わたしのこの認識スタイルは、読書経験の多さもあいまって、いろいろな知識を効率よく吸収するのに役立っています。また、細部に拘泥せず知識を他人に説明するのにも便利です。しかし、それでは研究は進まないのです。
さらにまずいことには、その「ストーリーに隠れたスキマ」に、十分な興味関心が持てないのでした。(スキマを適宜想像で補って)ストーリーが読めた瞬間に、わかった、として興味を失ってしまうのです。本を読み続けるくらいの興味は持ち続けられても、苦労して実験して論文を書くという手間をかけるだけの興味が持ち続けられない。先輩の指導のもとこまごました工夫をこらしたり読みやすい文章を書いたりすることは楽しくても、主体的に研究を続けることはおそらくできない。

「キミは点数は非常に高かったんだけど、細かいミスがいくつかあった。研究職に向いていない可能性が高い」の意味が、ようやくわかった気がしました。そして、大学院一年目の前期を通して、傍目には順調な研究室生活を送りつつ、じゃあ何ならできるのか、やりたいのかをずっと考えていました。

そもそも、自分のささやかな科学への貢献、のちのち間違っていることが証明される可能性すらある実験や論文に、自分は意義を見いだせるのか。意義がある事自体はわかるけど、そこに自分自身の人生を賭けたいのか。答えはNOでした。そこで、科学の進歩という広大なストーリーのなかで、自分の貢献を意識し、自分の貢献が科学の進歩につながっているという想像力は、わたしにはなかったのです。

じゃあわたしの想像力の射程はどこまでか。よくよく考えると、目の前の人、くらいが限界なのでした。笑顔がどうこうではなくて、実際に貢献できること。自分の努力によって患者さんの病気が治る(当時は非常にシンプルな認識でしたから、「治る」としか考えられませんでした)のであれば、たぶん一生、やりがいは感じられるかなと。

というわけで医学部に入り直し、現在に至るわけでした。

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