あずさ

ASD当事者の精神科医です。

あずさ

ASD当事者の精神科医です。

    最近の記事

    ホワイトボード上のサボテンマグネット。

    なんなんだ、ですよね。これ、先日の、HOTASさん @HOTAS10001 との対談における発見の、キーワードなのでした。 「(余裕がある場合に関しては)人権を前面に押し出して交渉を迫るまえに、情報を共有したり、実績を積んだりして、問題意識を共有したほうが話は早いですよね」 (スペース上ではこの「余裕」についての言及が足りませんでしたけど) ますますなんなんだ、ですよね。これ、「札幌の屋外ではサボテンは育たないので、まず温室を用意してからサボテンを育てたほうが、サボテンは

      • 問題意識の共有が先、の難しさについて。

        昨日、わたしと同じくASDのHOTASさん @HOTAS10001 とスペースを行いました。ひさしぶりですね、とかいいつつ実は3ヶ月ぶりくらいの気分でいたんですけど、半年以上ぶりだったみたいですね。たのしかったです。 人権とニューロダイバーシティというテーマで話をするにあたり、一部の人につらい思いをさせたらしい、ということに、あとで気がつきました。ご指摘くださったかたがた、ありがとうございます。 ◆ 人権って、すごく強い言葉で、それを持ち出した瞬間に、相手は防御態勢に入

        • 研究者を断念して医者になった話。

          わたし、医学部の前に理学部に4年間通って、大学院も半年行って、それから休学して医学部入試を受けて合格して、医学部を卒業して現在に至るんです。回り道についてはいろいろ思うところがありますけれど、その、回り道に至るまでの昔話です。 ◆ 理学部4年生からは、研究室配属でした。生物学系の研究室に入りました。DNAを解読したり、そのDNAがどこにどう働いているかをホヤとかで解析する研究室でした。 夏休みの間に大学院の入学試験がありました。研究室に所属している全員が必ず大学院に入学で

          • 二人で食べると二倍美味しい、ですか。

            10年以上前。結婚したての頃。 「ご飯は『美味しいね』って言い合いながら食べたいんだよ」 と夫に言われて、文字通り固まったことがあります。 たとえば、ある店のハンバーグを食べておいしかったとして、夫にも食べさせたい、という気持ちはわたしにもあります。なので、おいしい料理が出てくるとわかっている店に行くときには、ぜひ一緒に行きたいわけです。それならわかる。 でも、二人で食べるとより美味しい、はよくわからない。美味しいものは美味しいし、美味しいなら分けてあげたい。でも、二人で食

            認識の対象と解像度。

            あまりに暑いので、さっき、かき氷バーを買ってきたんですよね。見たことある人も多いんじゃないかな。長年50円だったように思います。最近値上がりして70円になりました。30年前から好きでよく食べてます。 で、このかき氷バーですね、30年間たぶん毎年食べ続けているにもかかわらず、わたしの頭の中には、画像が入ってないんです。見ればわかります。当然です。でも、頭の中にはモヤモヤとした赤とピンクしか浮かんでいないわけです。画像の解像度が絶望的に低い。よって、「かき氷バー買ってきて」で通

            ASDの人は被害的な認知をもつ、のか?

            「ASD(自閉症スペクトラム)の人は被害的な認知を持ちやすい」と書いている人がいました。精神科医らしいですけどそれは今は措きます。意味はいくつか考えられます。 ダメージの大きい/小さい。 たとえば感覚過敏。わたし(ASD)には聴覚過敏があります。掃除機の音でダメージを受けます。HP(ヒットポイント、英語圏ではHealth Pointらしいですけど)が減ります。掃除機の音が延々と鳴り響くとしたら、わたしは被害を受けるわけです。 このとき、被害は実在します。だって、HPは実際に

            身内の偏見のことと、祖父と父のこと。

            わたしはいま、実家から遠く離れて暮らしています。帰省したことも、数回しかありません。行くたびに体調を崩すのです。 ◆ 理由のひとつは、わたしがASDというか「障害」を持っていることを、両親と親戚一同が、どうしても受け入れられないことにあります。信じたくないのです。わたしが「障害者」であることを。 「あのかしこいあずさちゃんが、障害者などという劣った存在であるはずがない」そのかしこいあずさちゃんが言ってることなんだから、信じてくれればいいのに、そこは信じないわけです。そし

            知識を披露しないことで得られるもののこと。

             わたし、言語優位なんですよ。知能検査でもそうですし、実感としてもそうです。「ことばを、軽業みたいに使いますね」と言われたこともあります。  昔は、「ウオーキング・ディクショナリー」と呼ばれることがありました。歩く辞書ね。いまならウィキペディアですかね。語彙も豊富ですし、辞書的に覚えている単語も多いですし、どれもこれも説明できたりしますし。説明上手ですし。  最近は、そのウィキペディアを披露することは減りました。知識をひけらかすなんて失礼だとかうるさいとか面倒だとかなんとか

            女性のASDが少ないとされる原因について

            昨日のHOTASさんとのスペースで、やっと言語化できたことがあるんです。仮説の域を出ないことではありますけれど。 気づいたことというのは、わたしにとって、女性らしさというのは目指しづらい概念であるということ、です。ASD女性の中には、わたしと同じ事情を抱えたひともいるように思います。 たとえば、「賢くあれ」。単純に勉強をがんばりなさいというメッセージになるのかどうか。男の子はそうですよね。勉強をがんばって、出世することはとてもいいことです。しかし女の子はどうでしょう。いま

            ASD的行動がいっけん真逆であってもやっぱりASD的である件について。

            わたしと同じくASDであるHOTAS+さんと先日スペースをやりまして、印象的だったことがいくつかあります。そのうちのひとつの話です。大きくとらえれば、「世界をいかように認識するか」という問いについて。ベースが共通であっても、生育環境によって現れかたは変わるのだと、よくわかりました。 まず、わたし。 わたしは言語発達がものすごく速かったのです。そして、長子であり両祖父母にとって初孫であったことから、誰もこの発達の速さに疑問を抱きませんでした。早期教育とかお受験とかにはつながら

            善とか責任とか裁量権の範囲とか。

             善を為さないことは悪であるか、というツイートと、note を読んだ。この疑問文について、わたしは、そのツイート/note を書いた彼女とはぜんぜん違うことを考えた。 ・ 善を為す/為さないことって、何について? ・ 善とは何か?  ・ だれにとっての善なのか?   という問題が、この「善を為さないことは悪であるか」に次いで現れる。  たとえば、わたしは精神科医なので、「患者さんの病状がよくなることについて、貢献すること」が善である、というのがとりあえず浮かぶ。先生の生き

            言葉数とブロックチェーン。

             文章が簡単に書けすぎて、軽すぎて困る、みたいなことを、先日書きました。自分で言うのもなんですけれど、実際軽い印象はあります。よく言えばかろやか、悪く言えば軽薄です。後者に見えて絶望していることが、ときどきあります。  じゃあ軽いって何? と考えて、一文字あたりのデータ量かもしれない、と思い当たりました。同じデータ量をやりとりしていたとして、わたしのほうが文章が長い。口数が多い。それはつまり、わたしの一文字あたりのデータ量が少ないということです。そりゃ軽いわ、って感じですよね

            書くためのエネルギーと、記憶の話。

             わたし、以前書いた文章ってどんどん忘れていくんですよね。記憶障害ではありません。過去として過ぎ去ってしまうのです。  そういうものだろう、と思っていたら、過去のnote を再掲して継ぎ足すように書いている人がいました。何をいつごろ書いたのか、覚えているというのですね。驚きでした。  大きな違いは、イメージをことばにする際に必要なエネルギーでした。  わたし、書くの速いんですよね。書くだけ書いて削る、という書き方をよくやります。書きながら、書く内容を作っている。書いて目の前

            ふつうって、なんですか?

            ふつうって、いろんな意味のある言葉ですよね。「ふつう〜なのに、わたしはそうじゃないんです!」と主張する患者さんは、「ところで、そのふつうって、誰のこと?」とわたしに聞かれることになります。「でもふつうは……」って、ふつうって、何でしょう。 偏差値的に、まんなか。 なんでもいいけどテストをしたとしましょう。70%の人は、偏差値40から60の範囲に入ります。70%=ふつう。ありそうな話です。ふつうサイズとか、いいますよね。わたしは身長が低いので、ふつうサイズだと服が余ります。ふ

            落ちこぼれ研修医の時代と、その後の話。

              医学部を卒業して国家試験に合格すると、2年間の「初期研修」があります。この2年間は、法律上は医師ではありますけれど、たいていは研修医と名乗り、研修医として扱われることになります。実質的に半人前ということですね。2004年(平成16年)スタートの制度です。  初期研修というのは、年度によって多少変わりますけれど、基本は、「ローテ」(ローテーションの略)といわれる、いろいろな科を1−2ヶ月ずつ回るという形式です。いくつかの「メジャー」といわれる科(内科とか外科とか救急とか)は

            「女の子」だった時代のこと。

             わたしにも、こどもだった時期はあります。ASDあるあるエピソードに満ちた、わりと平和な子供時代ではありました。でも、その平和なこども時代にも、その後にも、ずっと影を落としていた問題があります。女の子らしさとか女らしさかとの折り合いです。  わたしの母親は典型的な良妻賢母で、専業主婦としてわたしと弟を育ててくれました。料理も上手でしたし、手芸でも、パッチワークとかいろいろきれいなものを作っていました。祖母によると、小学生の頃から、バービー人形の服を縫ったりしていたそうです。