身内の偏見のことと、祖父と父のこと。
わたしはいま、実家から遠く離れて暮らしています。帰省したことも、数回しかありません。行くたびに体調を崩すのです。
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理由のひとつは、わたしがASDというか「障害」を持っていることを、両親と親戚一同が、どうしても受け入れられないことにあります。信じたくないのです。わたしが「障害者」であることを。
「あのかしこいあずさちゃんが、障害者などという劣った存在であるはずがない」そのかしこいあずさちゃんが言ってることなんだから、信じてくれればいいのに、そこは信じないわけです。そしてそれは、「障害者」を劣った存在としてみなしているからにほかなりません。「そっか、あずさちゃんはかしこいけど、障害もあるのね」それだけでいいのに。
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思えば、「かしこさ」そして「かしこさをわかりやすく表示する学歴」に、多大な価値を置く人たちなのでした。そして、わたしは親戚の中でもっとも偏差値の高い大学に入学しましたから、父方祖父の孫たちの中で、いちばん上に位置づけられていたわけです。そう、祖父は息子たちと孫たちに対して大きな権力を持っていて、彼の息子たちと孫たちは、彼の価値観によって評価されることから逃げられなかったのでした。
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祖父は先日亡くなりました。たしかに、かしこい人でした。戦争のために進学できなかったとしばしば嘆いていました。あの世代のひとたちがよく言うセリフだとはいえ、たぶん、実際に進学していたとしたらそれはそれで面白い人生を送っていたことでしょう。
祖父は商人でした。くだものを扱っており、自転車やリヤカーでくだものを売り歩く零細商人として始まった商売を、大きな店に発展させました。たとえばこんなことをよく言ってました。
愛想もよかったですし、少なくとも個人商店の店主としては、優秀だったと思います。
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いま振り返ると、学歴だけでなく、「わかりやすく人の役に立つ商売(仕事)」に就くことも、望んでいたように思います。孫たちが世のため人のために働いていると、彼が想像できること。そして、医師は、その彼の想像する理想的な仕事なのでした。社会的な地位も高く、わかりやすく人のためになる。他人を喜ばせることが、祖父にとっての「仕事」の定義ですから。
そういうわけで、わたしは祖父にとって、理想を体現する孫だったわけです。しかしながら、何もかも祖父の理想通りとはいきませんでした。ひとつは、わたしにこどもがいないこと。家系の発展に寄与していないこと。そしてもう一つは、精神科医になったことでした。医師になることは素晴らしい。名誉であるし、人の役つのはいいことだ。しかし、よりによって、「気が狂った人」や「障害者」を相手にする仕事に就かなくていいのに。そういうわけでわたしは、祖父や親戚にとっては、いつまで経っても「お医者さん」です。「精神科医」であることは、なかったことにされています。
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「精神科の病気はそもそも治らないんだから、そういう患者を扱う精神科医なんて、医師を名乗る資格はない」と、父はわたしにいいました。「おかしい」患者は「おかしい」ままなのだから、価値はないし、その患者のために働くことは意味がない、と、いまでも彼は思っていることでしょう。この調子だから、わたしが精神科で扱う障害のひとつである発達「障害」を持っていることなんて、受け入れられるはずもないのです。
すでに対話はあきらめました。あきらめない道も、あったのかもしれません。わたしにはわかりません。
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というわけで、ずっと、実家には行かずにいます。祖父の葬式も、行きませんでした。そもそも遠すぎて連絡を受けてからでは間に合わなかったのも一因ではありますけれど。非難されてるだろうな、とも、思いますけれど。
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