見出し画像

認識の対象と解像度。

あまりに暑いので、さっき、かき氷バーを買ってきたんですよね。見たことある人も多いんじゃないかな。長年50円だったように思います。最近値上がりして70円になりました。30年前から好きでよく食べてます。

かき氷バー

で、このかき氷バーですね、30年間たぶん毎年食べ続けているにもかかわらず、わたしの頭の中には、画像が入ってないんです。見ればわかります。当然です。でも、頭の中にはモヤモヤとした赤とピンクしか浮かんでいないわけです。画像の解像度が絶望的に低い。よって、「かき氷バー買ってきて」で通じない相手には、買い物を頼むことができません。低い解像度の画像をどんなに説明しても、相手には何も伝わらないのです。

言語能力高いんじゃなかったの、という声が聞こえてきそうですね。高いですよ。頭の中ではなく、実際に目の前にあるものを記述する能力はかなり高いです。これ、絵でもそうで、頭の中にあるものを記憶で描けといわれてもろくな作品にはなりませんけれど、目の前にあるものをそのまま描けといわれればそれなりのスケッチはできます。

じゃあ、言語能力が高いとして、それは目の前のものを記述するだけなのか。目の前にあるものであれば、写真でいいじゃん。はい。わたしもそう思います。
では、言語能力が高いとして、何に役立っているのか。一つの答えは、抽象思考なんだと思うんです。

たとえば、です。わたしがときどき言うことに、「何かを思っちゃいけないと自分に言い聞かせてそれがうっかり成功してしまったら、身体の症状になって現れる」というものがあります。
これ、患者さんの話から抽出することのできるパターンです。いろいろな患者さんのいろいろな話に、頻繁に出てくるわけです。たとえば……

「専門家を名乗る新しい上司が来て以来、持病のアトピーが悪化した」

パターンを用いた言い換え(による仮定)

新しい上司=これまでと何かが違う、専門家=正しいかつ反対しづらい、パワハラといじめについては言及がないからとりあえずなさそう、持病の悪化=(精神科の病気の影響を受けた)身体症状、アトピーは精神科的事情で悪化しやすい

本人の性格やこれまでのいろいろを加味して

「新しい上司が何かを変えようとしていて、それについて一理あると思いつつ自分のやり方を否定されたみたいで腹が立つ、でも向こうが正しいしそもそも上司だし、怒っちゃダメだよね」と思っているうちにアトピーが悪化した

という仮定のもとに事情を聴き、適宜確認

抽象化

「怒っちゃダメだよねって自分に言い聞かせて成功しちゃったから、不眠という身体の症状になって現れたのね」

アドバイスに変換

「上司に直接怒りを表明するのはまずいとしても、自分が腹を立てていることは許したり認めたりしてもいいのではないでしょうか。友人が同じ状況なら一緒になって怒るでしょう?」

抽象化のレベルを上げ下げするとか、抽象と具体を行ったり来たりするとか呼んでいます。一般的な呼称かどうかはわかりません。

これはいま作った例ですけど、こんなふうに相手の話を分析して抽象度を上げて、抽象度の高い状況については抽象的なアドバイスが入手可能なことが多いのでそれを入手し、相手の状況に応じて抽象度を下げて具体的なアドバイスにするわけです。(精神科や心理の業界では、相手の話を聴くだけにとどめるべきでありアドバイスをしてはならないと考える人が多いのも承知しています。しかし、聴いているだけで自分で解答を見つけられる健康さを持ち合わせていない人も受診するのが精神科であるとわたしは考えています)

自分の頭の中にある画像の解像度があまりに低く、入力の時点で言語化されていることが大いに不満で、言語能力使えねーくらいに思ってたんです。そうはいっても仕事で使っている実感はある。使いみちはあるのかもな、と、かき氷バーを食べつつ考えたのでした。

参考にしたHOTASさんの記事はこちら。特性が違う人との比較は勉強になります。


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