ASDの人は被害的な認知をもつ、のか?

「ASD(自閉症スペクトラム)の人は被害的な認知を持ちやすい」と書いている人がいました。精神科医らしいですけどそれは今は措きます。意味はいくつか考えられます。

ダメージの大きい/小さい。


たとえば感覚過敏。わたし(ASD)には聴覚過敏があります。掃除機の音でダメージを受けます。HP(ヒットポイント、英語圏ではHealth Pointらしいですけど)が減ります。掃除機の音が延々と鳴り響くとしたら、わたしは被害を受けるわけです。
このとき、被害は実在します。だって、HPは実際に減っているのですから。しかしながら、できれば配慮していただきたい(わたしがその場を離れる許可を含む)のはそうだとしても、掃除機をかけている人を責めるつもりもないですし、そもそも責めるべきでもありません。
掃除機の音でダメージを受ける、という理由を告げ、離席の許可を求めたとしましょう。多くの人には、その音が被害につながるということは想像しづらいことでしょう。もしも、「そういう人もいるかもしれない」と考えてくれる人がいたら、とてもありがたいです。配慮しないまでも、被害=苦痛の存在を認めてくれるだけでも、多くの場合は十分だったりもします。

人間関係。


わたしが「罪のない」はずの冗談を、冗談であると認識できず、深く傷ついたとしましょう。これも、被害ではあります。でも、言った側には、被害を発生させようという意図はなかった。
ここで、わたしが傷ついた旨申告したとして、これを「被害的な認知」と受け取られるのはかなりつらいです。冗談を冗談として受け取れないのはわたしの問題だとして、これは、「ものごとを被害的に受け取りやすい」とはイコールではありません。「ものごとを字義通りに受け取りやすい」であって、プラスにもマイナスにも働きます。いちがいに、被害的な認知ではないのです。社交辞令を真に受けたりね。

気持ちの推測。


ASDの人は他人の気持ちがわからない、ということになっているようです。これについてはいろいろ思うところがありますけれども、とにかく、そう考えている人にはしばしば遭遇します。
ここで、たとえば上述の「冗談」についての解釈が、わたしと多数派の誰かのあいだで異なったとしましょう。わたしの意見って、「あいつASDだし、他人の気持ちがわからないに違いないよね」ってことで、間違っていると断定されやすいんですよね。何かしらマイナスの意見を述べようものなら、わりと簡単に、「被害的」と言われたりします。プラスの意見を述べると、「謎の性善説」「脳天気」と批判されることもあります。
これはつまり、実際に被害が生じている場面について、被害を申し立ててもきちんと取り合ってもらえないことにつながります。だいたいわたしのしゃべり方はあんまりかわいげがなく、目上の人に評判が悪いので(敬語は完璧なのですがね)、よけいに、です。

注意されたときの反応が大きすぎる。

注意されるって、なかなかの大事件なんですよ。被害的に受け取るから大事件なのではなく、「まさか注意されるとは思っていない、正しい行動であると信じて疑っていない視野の狭さ」に加えて「想定外に弱すぎる」から、大事件なのです。
少なくともわたしはそうです。人間が関わっていようといまいと、「まさか」の想定外にはほんと弱い。来ると思っていなかった郵便が来ていることが怖くて(悪い内容の郵便が来ているかどうかという問題ではなく、誰から送られてきたのかという問題でもなく、想定外であることだけが問題)郵便受けを開けられなくなってたことがある、というレベルです。調子悪いときだけですけどね。
そして、想定外の事件が起きて混乱すると、意味不明な行動を取ります。他人を攻撃するとは限りません。たんに固まる、がわたしの場合は多いかな。この、混乱したときの行動は、ひとによるように思います。

被害的って、雑な評価よね。

発言者は精神科医らしいですけどそれはさておき、と記事をはじめましたけど、ここで「発言者が実際精神科医の場合」について一言。
被害的って、雑な言葉です。精神科においては「被害妄想」という、一部の病気に特徴的な症状が取り上げられることが多く、この「被害妄想」は、自分が被害を受けるという内容の妄想、という意味にすぎず、「ここに木の枝が落ちていたということはわたしは殺されることが確定しているということだ」みたいな荒唐無稽なものを含みます。その精神科医は、まさかこの被害妄想を想定して言ったわけではないのはわかっているんですけれども、なんとなく、被害的→被害妄想 と読み替えてしまう人がいそうな気がするのです。考えすぎかな。

まとめ。

「事実」は誰にとっての事実なのか、事実に照らし合わせているのは誰なのか、その事実は当事者にとっても事実扱いするに足るものなのか。マイナスに受け取っているとして、それはほんとうに「被害的」に受け取っているからなのか、それとも他の特性によるものなのか。
まず、そこに被害がある、というところからスタートしたいな、と思うのです。他の人がダメージを受けないことでもわたしがダメージを受けるかもしれません。そこで、誰かを責めるとか、誰が悪者とか、そういうこと以前に、「あずさはダメージを受けた、HPが減った」と、認識してもらえれば、話のはじめようもあるかな、とか。


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