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地域移行とおっしゃいますが。

地域移行って、聞こえはいいんですけどね。地域で暮らすことの是非はさておき、入院から「地域」に移るあるいは戻るにはどうするか、というお話です。わたしがたいへん、というより、ソーシャルワーカーがたいへんなので、わたしはあまり大きなことがいえないんですけどね。

イメージはこんな感じです。

退院のイメージ

もといたところに戻れるかどうか。

もといたところに戻れるのか。これが最初の分岐点になります。わたしがいまいるところは緊急入院の患者さんが多いところです。ということはつまり、とてもとても病状が悪くなって、家庭や施設でどうにもならなくなって、緊急で来た人が多いということです。重症になる可能性がある人、ともいえますね。

で、その、家庭なり施設なりに戻れるかどうか。

その家庭・施設の環境が合わなかったからこそ、病状が悪化したケースがあります。この場合、多少の教育や環境調整でなんとかなればそれでいいですけれども、そうもいかない場合もあります。そうもいかなければ、戻ることはできません。

家庭であれ施設であれ、戻ってこないでほしい、と言われることもあります。たいていは、我慢の限界でそう言われているので、反論もできない。あんなに病状が悪くなる可能性があるならうちではみれません、とか、もうそもそも、素行や人間関係などの点で限界だったんです、とか、薬剤管理なんてできません、とか、理由はいろいろです。まあ、しかたない。

親の負担が(いいとは言っていたとしても)あきらかに限界のケースも多いです。あんまり無理してほしくないのが本音です。親のほうが、うつ病になってしまいます。病人を増やすのは本意ではない。

戻れる場合は比較的スムーズです。施設なら、判定会議を経ることも多いです。判定会議で戻れないという判断がなされることもあります。

もといたところに、戻れない場合(施設)。

もといたところに戻れないケースにおいては、新規に退院先を探すことになります。事情の種類はともかく、もとのところで受け入れてもらえないレベルの何かがあった人なので、ここが難航するわけです。施設に退院する場合にはとくに、人間関係のトラブルなど、他の利用者に一方的に迷惑をかけてしまったケースが、問題になります。こちらも、隠している訳にはいかない。ふたをあけたら対応不可能な患者さんだった、では、今後、その施設は、当院からの退院を受けてくれなくなります。信用にかかわります。

施設であれば、選定して、情報を送って、面談して、先方の判定会議を経てからの決定になります。条件がつくことが多いです。最も多い条件は、「悪くなったときに再入院をこころよく受けること」です。この条件はほぼ絶対です。訪問看護の利用やデイケアへの通所なども、条件になり得ます。

「事情を正直に述べたりしたら普通断るよね」というケースもあります。実際断られます。現行の制度では、3ヶ月以内に退院しないと病院的にかなり困るようにできているので、入院した瞬間から退院先を探し始めることも時折あります。たまに間に合わない。

グループホームなどは福祉の管轄で、障害福祉サービスを申し込まないと入居できません。過去に障害福祉サービスを申し込み済みの場合は、毎回申し込む必要はありません。

もといたところに、戻れない場合(一人暮らし)。

自宅(一人暮らし)の場合も問題になります。だって、いままでいたところには何らかの理由で戻れないわけですから、住むところを探さねばならないわけです。家探しからスタートです。家探しをサポートしてくれる相談支援事業所(福祉系とりまとめ組織)もあります。もともと相談支援事業所にお願いしているひとはいいんですけど、相談支援事業所探しからスタートのケースもあります。相談支援事業所を経由せず、たとえばソーシャルワーカー同行で、不動産屋に行くことも、まれにあります。

もとの自宅にせよそうでないにせよ、一人暮らしで病状が悪くなりその自宅にいられなくなった人を、また一人暮らしに戻すというのは、けっこうなリスクが見込まれます。たとえば、薬をのまなくなって再発したとして、一人暮らしでまた薬をのまなくなったらどうするのか。本人の問題として片付けることも可能ではありますけれど、短期間での再入院も、病院にとっては大きな不利益になるように、制度は設計されています。そもそも、再発は困ります。

というわけで、訪問看護とデイケア、障害福祉サービスの出番です。訪問看護とデイケアは医療の管轄(自立支援利用可)なので、障害福祉サービスとは分けております。訪問看護で、少なくとものみわすれのチェックは可能です(それでものまない人はいます)。障害福祉サービスの代表はヘルパーさんの派遣で、食事を作ってくれたり、通院に付き添ってくれたりします。

ただ、これ、ほとんどは、「生活への介入」です。他人を家に上げたくないなどの理由で、断られることも多いです。全部断る、という患者さんが、よく問題になります。自己責任もいいんですけど、再発と再入院がひっかかるわけです。あまり大きな問題を起こすと、病院の責任も、問われることがあります。道義的にも、責任があるような気もします。病気の人が病気のせいでやっていることは、どこまで本人の責任なのか。明らかに病気がある人の自己責任は、どこまで問うていいのか。

障害福祉サービスの利用には、手続きが必要です。市役所(など)に申し込まねばなりませんし、そもそも、どこの事業所にお願いするか、選定して申し込んで、いいですよ、と言ってもらわねばなりません。

退院問題と愚行権とパターナリズム。

退院問題は、愚行権とパターナリズムの問題、ともいえます。人権だけの問題ではない。偏見だけの問題でもない。

愚行権とは、ウィキによれば、「たとえ他の人から「愚かでつむじ曲りの過ちだ」と評価・判断される行為であっても、個人の領域に関する限り誰にも邪魔されない自由」のことです。たとえば、その選択をすれば絶対に病気が悪くなる、という選択を、よしとするか。一人暮らしをしたら次の日には生活が破綻することが火を見るよりも明らかであるときに、それでも、一人暮らしを許可するのかどうか。病気や障害によっては、現実を無視した一人暮らし要求とか、よくあります。外から見たらもっともらしいことを言うんですけどね。過去に何度も破綻してても、今回は大丈夫と言い張る。一時的なもので病状が改善すれば判断力も戻ってくるなら、治療すればいい。でも、判断力が戻る見込みが薄い場合もあります。

健康であれば愚行権もありだと思います。ただ、病気や障害で判断力が落ちている人に失敗するとわかっている選択をさせることが、はたして正しいのか。正しいのかもしれません。よくわからない。障害の重さと希望の強さによる、そうかもしれませんね。きっとそうなんだけど、ケースバイケースなんだけど、抽象的には簡単そうなんだけど、いざ直面すると、判断は結構難しい。毎回悩みます。

だからといってたとえば医師が「あなたのため」といって全部決めるのもどうなの? って感じですよね。パターナリズムといいます。そこまでの権力はないし、あったとしても行使したくありません。悪者になりたくないだけかな。そうかもしれないけど。

愚行権も人権である。本人の希望を尊重せよ。そうかもしれませんね。ここは、トレードオフなんだと思います。いくつかの外国では精神科病院を減らして地域で暮らせるようにした、人権を尊重している、すばらしい。そう言う人は多いけど、そういう国では、病気や障害のある人の多くがホームレスになっている。それでもそのほうが人権尊重ですばらしいのかな。わたし自身は医師として躊躇するけど、それは、わたしが人権を軽視しているからかな。どうでしょう。考え方の問題だとは思います、けど。

多少、パターナリズムに偏りがちなのは自覚しています。強引なのが悪いところです。心配性を自称しております。なかなか治らない。

そんなわけで、具体案を伴わない「地域移行」の掛け声を聞くたびに、遠い目になってしまうのでした。少数派かな。わかんないけど。


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