見出し画像

身体拘束について思うこといろいろ。

精神科における身体拘束(手足や胴体を、ベルトで固定すること、以下拘束と記載)についての記事が流れてきた。「そんなことするなんて、ひどい」「あれはつらかった」それはわかる、そうだと思う。

昔話

昔々、いろいろな事情でいつ歩けなくなってもおかしくない人が、そうはいっても歩けるうちはと車いす併用でがんばっていたことがある。本人とご家族と相談して、転んだら転んだで仕方ない、それで大ごとになったとしても、それでも、いま歩きたいという本人の意思を尊重する、という結果になった。結果的に転びはしなかったけど、看護の負担は相当なものだったと思う。

その患者さんが、短期間、大きな病院に入院した。センサーマット(ベッドから下りようとしたらブザーが鳴って看護師に知らされるため、ベッドから下りられなくなる機械)のせいでまったく歩けなかったよ、と嘆いていた。なんだあの病院は、この人が、歩けることを大事にしていることをどうして尊重できないのか。医師・看護師一同、しばらく怒っていた。

転倒は、医療事故として扱われる。防ぎえるものとして考えられているからだ。だから、歩行が不安定な患者さんは、拘束までいかなくとも、センサーマットなどの対象になる。センサーマットで解決しない患者さんは、身体拘束となる。大きな病院は通常、短期の治療を旨とするから、センサーマットや身体拘束の対象となる可能性は高い。

身体科における身体拘束は本人の同意を得ているから無問題だ、というかもしれない。法律的にはそうだろう。サインはされているはずだ。しかし、同意は希望ではない。また、同意しない限り治療を受けられないとしたら、拘束を断れる人はどのくらいいるんだろうかと、いじわるなのでつい疑問に思ったりする。また、全員が同意できる状態でもないだろう、とも、実は思っている。意識障害の人とか、重度認知症の人とか。いるはずだ。

本人の意思、病院と患者/家族の信頼関係、信念の理解、看護の努力、そういうものが全部そろってやっと、歩行が不安定な人を歩かせるという決断に至ることができるともいえる。精神科かつ長期療養だからできたことなんだろう、と、あとで思った。

認知症と身体拘束

先日読んだ新聞記事にによれば、「身体拘束が二倍になっている」という。正直、そりゃそうだろう、と思う。精神科における、重度認知症の人たちの数が、どんどん増えているからだ。

ちょっと記憶障害がある、程度の、街によくいる認知症の人たちではない。まったく話が通じず、通じたとしても数分しか記憶がもたず、猛スピードで歩き回ってほかの部屋にもお構いなしに入ってしまい、止めたら大声をあげ、何かしらの妄想があったりして力任せに暴れる、そういう人たちは家庭でも施設でも対応できない。病院に来る。

そもそも、突然思い立ってどこかに出て行ってしまう可能性が高い人を家庭や施設でみるのは非常に難しい。絶対出ていけない構造にはできないからだ。そうするには、閉鎖病棟が要る。介護のルートに乗るには、基本的に本人の同意が必要で、認知機能の低下のために介護の必要性が理解できないまま時間が過ぎ、認知症が重くなることも、ときどきある。

もちろん、入院の同意どころではない。医療保護入院という、本人の同意が不要な入院になる。拘束の同意どころでも、ない。同意ができるくらいなら、拘束など不要なケースがほとんどである。

身体拘束をしなくていい条件

認知症の有無に限らず、身体拘束を「しなくていい」条件について考える。

最低限、医師や看護師の話している内容(ベッドから離れるときはナースコールを押してください、など)を理解し、覚えていられて、従うことができ、衝動的な行動をとらないことが必要である。

身体拘束の理由いろいろ

転倒については、床にふとんを直接敷くと安全性は保たれるのだけれど、たとえば車いすに乗るなどのときの本人の動作が難しくなるし、介助の負担も増えるので(看護師の腰痛は職業病といっていいほど多い)、身体の動きのレベルによっては使いづらい。点滴もしづらい。立ち上がっては転倒、を繰り返すケースも時折ある。やっぱり怪我につながる。

暴力も困る。見境ない暴力をふるう患者さんというのはどうしても存在する。患者さんの暴力による骨折などの経験のある医師や看護師も多い。暴力の条件がわかれば、避けることができる場合もある。残念ながら、本当にランダムでどうにもならないこともある。もちろん、ランダムじゃないものをランダムだと思い込んでいる可能性は否定はしないし、その技術は研鑽すべきであるとしても、だ。なお、人は殴らずドアや壁を殴るだけの患者さんも多い。そういう場合は確かに、拘束は不要だと思う。

各種の不随意運動(本人にはコントロール不能な動き)や発作なども、本人が何をどうしようと防げず、勢いのよすぎる動きでけがをするケースが多いので、これも、身体拘束やむなし、のことは多い。薬の調整でどうにかなることは多いにせよ、それまでは仕方なかったりする。こういうケースでは、本人の同意のもとに拘束を行っていることもときどきある。

自殺の危険については難しいところで、個人的にはこの理由で拘束するのはできるかぎり避けたいと思っている。ここは、意見の分かれるところだとも思う。当然のことながら、自殺による死亡は何としてでも防ぎたい。精神科の病院であるならなおのことだ。また、「ぜひとも死にたい精神状態」は、一過性のことが多い。それを防ぐためにはやむを得ないケースもあるかもしれない。

精神科病棟とセンサーマット

自殺や暴力はさておき、転倒についてはセンサーマットを使えば縛らなくて済むケースもあるのではないか、という意見はあるかもしれない。理論上は可能なケースもあるだろう。

ここで問題になるのは、精神科病棟の診療報酬と看護体制、建物の構造だ。診療報酬は低く設定されていて、センサーマットなどという予算は正直言って、ない。センサーマットのブザーが鳴ったときに駆け付けられる看護師も、特に夜勤帯は絶望的に少ない。病棟の構造上、そもそもコンセントなんてほとんど設置されていない。センサーマットが存在したとしても、設置できない、設置できたとしても活用できない。

患者と家族が納得すれば事故があってもいいのではないか、という意見もあるかもしれない。こころから「納得」ができる患者、理解力や記憶力が十分な患者であれば、そもそも拘束は不要な可能性が高い。また、転倒などの事故で患者がケガをした時の職員の精神的ダメージも、かなり深刻だ。できれば防ぎたい。

前の職場と今の職場

少し前に職場を変えた。前の職場は「点滴中以外の拘束は例外的と言っていいほどまれ」な病院だった。点滴中は動いて抜かれても困るので拘束することは多かったけど、点滴が終了すると外していた。その程度の重症度の患者しかいなかったし、ほんとうに重い患者は、対応不可能として断ることが多かった。

今の職場は、そもそも前職場よりもずっと重症者が多く(要は断らない)、拘束も多い。そうはいっても自分の患者については、拘束を少しは減らしてきたけど、重症すぎてどうにもならないケースもある。たぶん、絶対ゼロにせよと言われると、そもそも、入院を断らざるを得ないケースが出てくると思う。

全部言い訳だと断ずる人がいるかもしれないとも思いつつ、個人的には最近ずっと考え続けていることだったので、少しまとめてみた。たぶんまだ、考え続けるのだけれど。

きっかけとなった記事はこちら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?