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エッセイ・コラム

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#人生

睡眠の質とは日常の質である

睡眠の質とは日常の質である

中学生のときには頭があまり良くなかったので塾に通わされていた。総じて聡明なメンバーが多かったのだが、今思えば個性の強いメンバーに囲まれていたものである。

ひとりはトップレベルの都立高校に進学したが、彼は怒ったりすると、両手と片足を前に突き出して「3点透視!」と意味不明な攻撃を繰り出していた。我々も面白がって、彼が冬場になるとよく着用していた赤とピンクの間のような色のパーカーを「たらこ色」「たらこ

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批判に耐えうる軸を作ろう

批判に耐えうる軸を作ろう

人間は暇なので、間違いだと感じることを誰かが言っていると偉そうに論評してしまう。
それだけに、何かを言えばどこからともなくどんな批判でも飛んでくるのが現代社会である。インターネットの世界の中では「アンチ」なんて呼ばれる人たちがそうした批判を繰り出すものだ。

批判を避けるために人から言われたとおりにやる、という人が時折いるが、人から言われたとおりにやっても批判されないわけではない。人は自分を守って

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高級ホテルのスイートルームに行ってみよう

高級ホテルのスイートルームに行ってみよう

職場の先輩で、女性と酒を飲みながら話すような「キャバクラ」みたいな場所が好きな人がいる。
それはそれで全く否定する気はないのだが、金額を聞いて2~3人で20万円ほどつかうことがあったという。女性と酒を飲み、話すだけで20万というのはなかなかの金額だ。

先輩からその話を聞きながら、いったい20万円をどう使うのがよいのだろうと考えてみる。1か月間かけて食費を切り詰めながら普通に生活してもいいだろうし

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人生は終わりと始まりを繰り返し続けて終わりを迎える

人生は終わりと始まりを繰り返し続けて終わりを迎える

中学生の頃に音楽を聞いていた時だったか、人生とは始まりと終わりがただ繰り返されていく営みであると直感したことがある。

生と死という大きな大きな始まりと終わりの中に、沢山の始まりと終わりがある。
一曲の始まりと終わりがあれば、一日の始まりと終わりもある。学生の始まりと終わりがあれば、仕事の終わりの始まりもある。だからこそ終わりは始まりだ、などと矛盾めいた言葉が存在することになる。

終わりというの

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「退職代行」は別にいいんだけどちょっとだけひっかかる

「退職代行」は別にいいんだけどちょっとだけひっかかる

退職代行というビジネスが活況らしい。
仕事を辞めたいのになかなか言い出せない(というか言い出すとブチギレられて退職交渉どころではない)人たちを対象に、第三者的な立場から退職の手続きを進めてくれるものだ。

たしかに必要な人は一定数いるのだろう。問題のある上司や、とんでもないパワハラの上司に退職を伝えるのは勇気がいるし、まともに取り合ってくれない可能性もある。本来仕事は「やめたい」といえばやめられる

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ともだち100人できるかな

ともだち100人できるかな

「一年生になったら」という歌のなかに「♪ともだち100人できるかな」という歌詞の一節がある。
100人のともだちと給食を食べたいとかおにぎりを食べたいとか、普遍的な欲を歌っている。私が一年生の頃は学年に80人くらいしかいなかったので「全員をともだちにしても100人にならない」などとひねくれた考えを持っていたのだが、いつの間にかそんな愉快な歌を歌うこともなく、およそ25年の日々が流れた。

社会人に

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人生という時間をどう使うか

人生という時間をどう使うか

「人生とは何か」という問いに対して、世の中では様々な答えがある。偉い人は「実験である」「自転車のようなもの」「死ぬまでの暇つぶしだ」と様々な回答をしているが、どれも正解なのだろう。

思うに、人生は単なる時間の集積である。
なんとも面白みのない回答なのだが、それゆえに目の前にある時間をどこにどう費やすのかを考えることは、人生を考えることでもあると思う。だからこそ今をどんな心意気で生きるのかがとても

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自分との対話って大事よね

自分との対話って大事よね

「内省」ということばがある。自分自身の考え方や思い、哲学と向き合うことを指している。もっといえば、自己対話という言い方をしてもいいかもしれない。

内省ができるのは、ある程度の時間がある時である。時間があって特に何もやることがない時に「そういえば自分って…」などとふと考えるものだ。
子育てなんかをしていると一生懸命子どもの世話をするので、その間に「自分の人生って…」などと考えることはまずない。子供

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弱さのマウント

弱さのマウント

大学には様々な地域から人がやってくる。初対面となると話をするのは大概地元の話なんかが多い。
大学1年生だった頃「地元が田舎である」と言っていた九州のほうからきた人がいた。
その根拠として「コンビニにいくために車で30分くらいかかる」と頑強に主張されたのだが、個人的には「知らんがな」状態でその人の話を聞いていたものである。

人はマウントを取り合う生き物である。
多くの場合はひとを蔑んだり馬鹿にした

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無駄な時間だったって言うけどそれも込みで自分だからしゃあない

無駄な時間だったって言うけどそれも込みで自分だからしゃあない

誰しも無駄なことをしたいとは思わない。
でも人生を振り返ると、不思議と無駄なことばかりしているものだ。
毎日を振り返ってみても「なんでこんなことしてたんだろう」とか「変な暇つぶしをしてしまったな」とか、いろんな後悔があるものだ。

仮に、理想の境地に一切寄り道せずに至ることができていたら、と考えてみる。
それは非常に無駄がなくて、いろんなことに使う時間ができそうな人生ではある。でも、どこか味気なく

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人生は短い(多分)

人生は短い(多分)

「人生の主役は自分自身である」ということばがある。考え方はいろいろあろうが、人生の捉え方は往々にして自分中心のものになりやすく、利己的で視野狭窄に陥りやすい。
私自身はその傾向が顕著で、20代は「自分が人生をどう作るのか」という視点しか持ち合わせていなかったし、他人との関係性のなかで自分を捉える努力を怠ってきた。結婚願望もなく、子供がほしいと思ったこともなかったというのは、その証左といえるかもしれ

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白米のような毎日を

白米のような毎日を

この間銀座に行った時、「名探偵コナン」のオープニングなどで知られる倉木麻衣さんのデビュー25周年を記念した展示会がやっていた。

デビュー25周年ということは、当たり前だが歌を歌い続けて25年ということでもある。「歌う」という、同じことを繰り返してきたのだ。クリエイティブな世界に長らく身を置き活躍を続けるのはそれだけですごいことである。

翻って私たちの人生を考えてみると、同じことをただ機械のよう

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「エアコンが効いているところでだらだらしていればお金がもらえる仕事」で満足できるのか

「エアコンが効いているところでだらだらしていればお金がもらえる仕事」で満足できるのか

中学生のころにあるおじさんが、学校でキャリア教育に関する講演をしてくれたことがあった。
そのおじさんは「キシさん」という人で、もったりとした不思議な話し方をするおじさんだった。
講演後にはその人の物まねが一瞬流行するくらい妙な話し方ではあったのだが、肝心かなめのキシさんが一体何者であったのかはよくわかっていない。

そのキシさんが言っていたことは断片的にいくつか覚えている。「生涯賃金が全然違うから

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仕事を経て、人の顔は変わるのかも

仕事を経て、人の顔は変わるのかも

しわひとつない黒々としたスーツに身を包む若者が、街を闊歩する時期である。
顔つきにはなお大学生のあどけなさが残り、社会人特有の幾ばくかの渋みみたいなものが全く感じられず、その様子を人は「若い」と形容する。

高校1年のころの担任教諭が「中学を卒業して間もないキミたちは実に幼い顔をしている。とりわけ男子は子供の顔をしている」と言われたものだ。
当時はその言葉の意味がよく分からなかったが、時間が経って

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