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人生という時間をどう使うか

「人生とは何か」という問いに対して、世の中では様々な答えがある。偉い人は「実験である」「自転車のようなもの」「死ぬまでの暇つぶしだ」と様々な回答をしているが、どれも正解なのだろう。

思うに、人生は単なる時間の集積である。
なんとも面白みのない回答なのだが、それゆえに目の前にある時間をどこにどう費やすのかを考えることは、人生を考えることでもあると思う。だからこそ今をどんな心意気で生きるのかがとても重要だ。

20代のころ、楽しい仕事ができれば、それだけで幸せであった。
金融機関をやめ、文章を書く仕事につくという小さな夢を叶えた。楽しい仕事への転職である。
それだけに楽しい仕事をする時間が長くなって残業時間が伸びてしまうことは、大変ではあったがそれほど厭わなかったものである。
一部には「ブラック企業」というそしりもあろうが、嫌であれば辞めればいいだけの話であって、辞めなかったということは自分にとっては受け入れるに値する現実だったということでもある。

しかし30代になって、自分自身がかつて想像した以上の現実が目の前にある。
そもそも永遠に独り身であろうと思っていたので結婚すると思っていなかった。まして父親になるなど想像もしていなかった。
20代の頃より明らかに「変数」が増えて、考えなくてはならないことや考えるべきことが段違いに増えた。それだけに仕事だけではない人生のあり方(=時間の使い方)をよく考えるようになった。一言で言えば、仕事の価値は相対化されたといってもよい。

人生が時間の集積であるとすれば、20代のころは仕事など楽しいことに時間を費やすことに優先順位があり、その結果多少睡眠時間が削られても致し方ない、という発想であった。
30代になって、子どもが生まれてから、このあたりの考え方が少しずつ変わってきた。1日24時間という時間を、仕事だけではなく、何にどう割り振るのか20代の時以上にちゃんと考えるようになった。もっとも、無尽蔵のスタミナがあればそんなことを考えずに完徹を続けていればいいのだが、現実にはなかなかそうもいかないので時間の割り振りを考える。
子どもと遊ぶためには何時には家にいた方がいいとか、となると仕事は何時に終わらせるべきだとか、睡眠時間はこのくらいとらないとパフォーマンスが保障できないとか、挙げれば様々だ。

振り返れば、20代のときは脇目も振らず(良い意味で何も考えず)物事に邁進できる時期だと思うし、仕事を通じた人格の陶冶などが進む。30代はライフステージの変化なんかもあって、そういったものが一巡して「はて」と冷静になって自らを省察する時期に入るのだろうとおもう。

「でもいろいろ忙しいし考えるのをやめてしまえ」と目をつむるのは簡単だけれども、そうなれば10年、20年と時間が経つにつれていつの間にか空虚な人生であったと振り返ることになりはしないか、と私は思う。
自らを省察すべく、自分自身が一体何のために生きるのかという使命感や、この世界への問題意識といったものを直視することから、「いろいろ忙しい」30代だからこそ逃げてはいけないのだと思う。

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