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睡眠の質とは日常の質である

中学生のときには頭があまり良くなかったので塾に通わされていた。総じて聡明なメンバーが多かったのだが、今思えば個性の強いメンバーに囲まれていたものである。

ひとりはトップレベルの都立高校に進学したが、彼は怒ったりすると、両手と片足を前に突き出して「3点透視!」と意味不明な攻撃を繰り出していた。我々も面白がって、彼が冬場になるとよく着用していた赤とピンクの間のような色のパーカーを「たらこ色」「たらこパーカー」「たらパー」などとことごとく罵倒し、彼の怒りを買っていた。

ほかにも教室内で発泡スチロールの球を剛速球で投げてくる友人がいたり、授業中にどう音楽を聴くかで悪戦苦闘したり(数人ばれた)、塾のチョークを黒板に男子生徒諸君で投げつけてチョークを破壊したりと、今思えば実に生産性のない行為を繰り返していたものである。
大人になって思うが、実に扱いにくい子どもたちだったろうと思う。

とはいえ我々も遊びで集まっているわけでもなく、それらしき議論を交わすこともあった。
その一つが「翌朝何時に起きるかどうかはひとえに意志の問題である」という命題である。当時はいまいちピンとこなかったのだが、今考えてみると割と的を射ていたような気がする。

仕事の関係で私は時に5時前に家を出ることがあるのだが、前日は寝る時間が遅くなりすぎないようにうまいこと日々の業務なんかを調整する必要がある。早起きが非常に苦手な私である、心身を充実させ、ある程度予定通り布団に入れた時「すでにあす起きられるかどうかって布団に入るまでの行動とか心意気で決まっているのでは――」ということに最近になって気づいたのだ。

睡眠は極めて重要な日常の要素の一つだ。十二分に眠ることができなければ、日々のパフォーマンスにも影響するし、精神状態も悪化する。寝不足の時期を過ごしてよくわかったが、前向きに物事を捉えることがなかなかできなくなってしまう。
となると「翌朝起きられるかどうか」を決めるのは単に布団に早い時間に入れば良いということだけではなく、布団に入る前にすでにある程度精神が前向きで「明日は起きるぞ」と意志を持てる状態でなくてはならないということだ。

睡眠の質とは睡眠そのものだけではなく、日常の質をも問われているのだろう。
塾で派手に遊び、学び、疲れ切って床についていたあの頃、眠ることなどに悩むことなどなかったのはその証左だったのかもしれない。眠りをめぐる問題は様々な要因から起きるものだが、睡眠の改善にむけたちょっとしたヒントは日常に潜んでいるのかもしれない。

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