タクシードライバー日記【横浜】
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タクシーは、何歳まで出来るのか?
私がタクシーを始めたのは、 2003年の10月だから約20年になる。
20年というのはそれなりに長い年月だ。
41歳で始めて、 今はもう62歳になっている。
私は、ひとつの仕事を5年以上続けたことがなかった。
飽き性で、こらえ性がない私が、よくこれだけ続いたと思う。
うちの会社の定年は65歳だ。
その後、続けたい場合、健康に問題がなければ嘱託の契約をして一年ごとの更新をすることができる。
大抵
【タクシー・ショートショート】失われた理想郷
これは、私が、タクシーを始めた頃の話。約20年前の事だ。
年で言えば2003年。平成15年になる。
私は、会社の仮眠室に初めて入った時の光景を忘れない。
そこでは、数人の乗務員が、わいわいと賑やかに生活していたのである。
衝撃だった。
タクシー会社の仮眠室って、こんな感じなのか?
うちの会社には、社員寮がない。だからと言って、仮眠室に住み込んでいいというわけではないだろう。
私はそう思った。
タクシードライバーの健康管理。血圧とダイエット。
2年前の事だ。
昼間、家で寝ていて仕事に行こうとして起き上がった時、急に天井がグルグル回ってその場に倒れ、起き上がれなくなってしまった。
自分でも、何が起きたのか分からなかった。
天井が回るなんて初めての経験だった。
私はベッドに横になりながら考えた。
この症状は何だ? いったい何が原因だ?
その頃は、朝6時まで目いっぱい仕事をやっていたので、疲れが出たのかと思った。
その日は、寝込んで、とても
新米タクシードライバーが遭遇した高額の乗り逃げ。その巧妙な手口とは!?
(今回、初めて有料noteに挑戦しました。実際に私が体験したタクシー・ドキュメントです。タクシー会社では絶対に教えてくれない「乗り逃げ」のリアルを書きました。読んで頂けたら幸いです)
🚕
これは、私がタクシーを始めて、まだ1か月目くらいの話だ。
今から20年前になる。
タイトルにある「新米タクシードライバー」とは、私の事である。
この頃、私は「夜日勤」ではなく、「隔日勤務」だった。
「隔日
2日目のラッキーは、あったのか?
おとといは、珍しくラッキーが続いて、東京・西池袋まわりの用賀というお客がいて、それだけで、約20,000円の売り上げになった。
私は、ふっと、こんなラッキーな出来事が、2日続くことがあるものだろうかと考えた。
もしも、私が、一時的に、幸運を呼び込む体質になっていたとしたら、今夜の乗務でも、ラッキーなお客が乗ってくれるんじゃないかと、勝手に思ったのである。
しかし、早い時間帯で、横浜から東京なん
昨日は、珍しくラッキーが続きました。
昨日は、いつものように、夜7時に会社を出て、近くの駅へ。
すると、タクシーが一台もいなくて、数名のお客が待っていた。
私は、一人目の女性客をお乗せした。
すると、横浜駅の西口・プリンス会館まで。
2,500円。
今夜は、幸先がいいと思った。
急いで送り届け、西口を横目に岡野町へ。
すると、次の男性客。
東横線の白楽まで。
2,000円。
すごい。今夜は、ついている。
白楽まで行き、再び西口に
タクシーへの転職。家族の反対。
タクシーをやっている同業者に聞いてみたい。
タクシーを始めた時に、多少なりとも家族の誰かに反対されませんでしたか。
タクシーの仕事に興味を持ち、その世界に飛び込みたいと思っても、誰かのブレーキがかかってしまう。
そんな経験ないですか?
私は、20年前にタクシー会社に転職した。
そして、二種免許を取得する為に、教習所に通い始めたのだが、その時点で、妻には内緒にしていた。
普通ならありえないこと
私がタクシーに転職した理由。(後編)
私は、翌日、不動産の会社に退職願を出した。
上司は、特に引き止めるでもなく、少しホッとしたような顔で退職願を受け取った。
おそらく社長に、早く辞めさせろと言われていたのかもしれない。
「力になれなくて悪かったな」と上司は言った。
「こちらこそ、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」と、私も謝った。
本心だった。私みたいな3ヶ月ゼロの営業マンを下に持ったら、それこそ地獄だろう。
本当に悪い事をしたと思