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タクシーへの転職。家族の反対。

タクシーをやっている同業者に聞いてみたい。 
タクシーを始めた時に、多少なりとも家族の誰かに反対されませんでしたか。

タクシーの仕事に興味を持ち、その世界に飛び込みたいと思っても、誰かのブレーキがかかってしまう。
そんな経験ないですか?

私は、20年前にタクシー会社に転職した。
そして、二種免許を取得する為に、教習所に通い始めたのだが、その時点で、妻には内緒にしていた。
普通ならありえないことだ。

私がそんな行動を取ったのには、理由があった。

私は、不動産営業の仕事がうまくいかなかった時に、一度だけ「不動産やめてタクシーやろうかな」と妻に言ったことがあるのだ。
すると、妻は全く受け付けない顔で「絶対に駄目」と言った。
私が「どうして?」と聞くと、即座に「危ないから」と答えた。
「えーっ、俺、安全運転だよ」と言い返すと、「とにかく駄目。タクシーだけは絶対にいや」
妻は私の顔を見返してそう言った。
取り付く島がなかった。
しつこく言って、怒られるのも嫌だったから、私はそれ以上、その話題は持ち出さなかった。

今思えば、あの時、妻が機嫌を悪くしたのも無理はなかったと思う。
もしも、今年32歳になる長男がタクシーを始めたいと言い出したら、親として反対するかもしれない。
自分がタクシーをやっていて、息子にはやらせたくないというのも随分と矛盾している。

では何故、私は反対するのだろう?
それは、妻があの時、言った言葉と同じ理由である。
「タクシーは危ない」からだ。

一体何が「危ない」のか?

一つは交通事故の危険性である。
タクシーは、1日最大300キロくらいは走る訳だから、普通のドライバーよりも事故の可能性が高くなる。
私も20年間で、何度か事故に遭ったし、自分でも起こした事もある。
一番大きかった事故は、深夜、普通の交差点で停車していて、後ろからタクシーに追突されたことである。
ものすごい音と衝撃。相手の居眠り運転が原因だった。
相当無理をしていたのだろう。後で相手のドライバーに話を聞いたら、殆ど休憩を取っていなかったらしい。
タクシーの後ろは大きく潰れてしまったし、私もむち打ち症になってしまい、首にギブスをはめ、何ヶ月も病院に通った。
寝ていても油汗が出るようなあの首の痛みは、忘れることが出来ない。
あの時、命の危険を感じたのは確かだ。

「タクシーは危ない」のもう一つは、乗客とのトラブルだ。
20年間やって来て、多くのトラブルに遭遇したが、一番身の危険を感じたのは、酔った乗客に後ろから、座席を何度も蹴られた事だろう。

私は、その日の夜、JRの関内から一人の客を乗せた。
体の大きな男で、結婚式の帰りらしく、黒い礼服を着ていた。
かなり酔っていて、途中で、訳の分からない怒声を上げながら、後ろから運転席を蹴り始めた。
何が原因だったのか分からない。
私は、突然の暴力に動転し、やっとの思いで、近くの警察署にタクシーで逃げ込んだ。そして、入口の目の前でクラクションを鳴らし続けた。しばらくして中から警察官が数名出てきて、男を捕まえてくれた。
その間、私は、生きた心地がしなかった。

タクシーは、けっして悪い仕事ではない。
私は、タクシーの仕事に魅かれて転職した。しかし、その内側には、危険な要素を沢山含んでいる。
それは、紛れもない事実だ。

私は不動産を辞めてタクシー会社に転職したことを、妻に話そうと思っていたが、なかなか言い出せないでいた。
そして、二種免許を取得した日に、やっと、妻に告白した。
妻は、私の話を聞いて怒ってしまった。
「どうして話してくれないの?」
「だって、反対すると思ったから」
「反対するよ。私、危ないから嫌だって、前、言ったよね」
私は、何も言い返せなかった。
「転職ばっかりして。いつも勝手なんだから!」 
妻は、それから、口を聞いてくれなくなった。

私は、妻が怒るのも仕方がないと思った。
妻は、パートの仕事で一生懸命働いて、家計を助けてくれていた。
そんな妻に内緒で転職したのだから、怒って当然だろう。
ましてや、転職したのが、嫌がっていたタクシーだ。

私は、それ以上、その話はしなかった。いや、出来なかった。
しかし、私の中に、妻への反発もあった。
せっかく新しい仕事に就いたのに、少しは喜んでくれてもいいんじゃないか。
一方的に怒りすぎだよ。

私と妻の間に、会話が無くなった。
妻は、当時小学生だった息子とは話をした。しかし、私とは、口をきいてくれなかった。
夕食も無言の時が流れた。

私は、息子が一人の時に、タクシーを始めると言った。
すると息子は、「え? じゃあ、不動産は?」
「辞めたよ。お父さんは、タクシードライバーになるんだ」
すると、息子は「へえ」と言った。
「嫌じゃない?」と聞くと、息子は「別に。いいけど」と言った。
「でも、不動産の方がいいな」
「どうして?」
「だって、不動産の方がかっこよかったから」
「・・・・・・」
私は、息子が少し嫌がっていると思った。
確かに、父親の職業は、タクシーより、不動産の方がいいのかもしれない。
「お母さん、なんて言ってた?」と、息子は聞いてきた。
「怒ってた。タクシーは危ないって」と、私は答えた。
「ふうん。そりゃ怒るよ」
「・・・・・・」
「でも、せっかく始めたんだし・・・頑張ってね」
息子は、少しだけ励ましてくれた。

私は、それから、タクシーセンターと会社に通い、研修を受けた。
そして、10日後に、タクシードライバーの乗務員証が発行された。
(当時、神奈川県には、地理試験はなかった)
会社の研修担当者が「おめでとう」と言ってくれた。

その日の夜に、私は妻に言った。「来週からタクシー乗るよ。乗務員証も発行されたし」
それでも、妻は黙っていた。完全に、私を無視していた。
相当怒っていると思った。
そして、いよいよ、自分がとんでもないことをしたのかもしれないと思った。

次の月曜日の朝、私は暗いうちに起きて、会社に行く準備をした。
今日が初乗務だ。
午前中は、先輩乗務員が横に乗ってくれて、午後から一人で運転することになっている。
妻が何も言ってくれないことが、気になって仕方がなかったけれど、今更、タクシーをあきらめることも出来なかった。
私は、一人で食事をして、妻と息子を起こさないように玄関へ行き、靴を履いて出ようとした。
その時、後ろで声がした。
「待って」
振り向くと妻が立っていた。
「これ持ってって」
妻は、私に、お守りを渡してくれた。「交通安全」と書かれていた。
昨日のうちに近くの神社で買って来てくれたらしい。
私は、目頭が熱くなった。
妻は、「気をつけてね」とだけ言ってくれた。
私は「うん、ありがとう」と言って、小さく手を振って家を出た。

私は、会社に着くまでの間、何度もお守りを手にとって見た。
そして、妻に何度も「ありがとう」と言った。





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