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【タクシー・ショートショート】カブト虫のドライブスルー。

20年くらい前の話だ。

蒸し暑い夜だった。
私は、そのお客を関内駅の近くから乗せた。
40歳位だっただろうか。酔っていたが、気さくで人柄が良かった。
私と同年代で、小学生の息子がいて、同じだった。

お客は「センター北に行って下さい。都筑インターで降りて後は案内します」と言った。
私は、高速をひた走った。
お客は、後ろの席でずっと話していた。子供のこと。家庭のこと。
そして「最近、子供と全然遊べてないんだよね」と言った。
私は共感して頷いた。
そして、私も息子と一緒にいる時間がないとお客に話した。

タクシーは都筑インターを降りた。お客は、その後、親切に道案内してくれた。
当時、センター北の辺りは、未開発の土地が多く残っていて、所々に森や林があった。

お客は、唐突に「運転手さん、この近くに、カブト虫のドライブスルーがあるんだよ」と言った。
私は、「え? カブト虫のドライブスルーですか?」と聞き直した。
「そう。マクドナルドじゃないよ。カブト虫だよ。一緒に行こうよ」
お客は、まるで子供が友達を誘うように言った。
「はあ・・・」
私は、予想もしない事を急に言われて、返事に困った。
私はバックミラーで、改めてお客を見た。ごく普通のサラリーマンだった。
もしかしたら、ちょっとヤバい人かもと思った。

「いいから行ってみようよ。すぐ近くだからさ」
内心躊躇する私に、お客は楽しそうな声で言って来る。
私は、お客の言う通りに住宅街を抜けて、まだ開発されてない区域へ入って行った。
前方には、うっそうと茂った森がある。
タクシーは、山道を森の中へ突き進んで行く。
あたりは明かりがない。本当に真っ暗だ。ヘッドライトの光だけが森を照らす。途中に建物や人家はなく、人の姿など何処にもない。
本当に、こんな場所に、ドライブスルーがあるのか?

私は急に怖くなった。
ここはどこなんだ ?
どうして、客の言う通り、こんな場所に来てしまったんだろう。
もしかしたら、タクシー強盗かもしれない。
家族の話は、私を油断させる為にしたのか?

私は後悔した。
そして、いつでもタクシーを捨てて逃げる心構えをした。
何かされたら、ドアを開けて、とにかく逃げる。命が一番大事だ。
「あ、そこ。狭いから気をつけて」
私の抱く恐怖心とは裏腹に、客はワクワクしたような声で言って来る。
訳が分からなくなった。
カブト虫のドライブスルー?
それは、本当なのか? 嘘なのか?
心臓がバクバクして、手が汗でびっしょりになった。

タクシーは、車一台がやっと通れるくらいの緑のトンネルを進んで行く。
まるで、こちらの世界とあちらの世界をつなぐトンネルみたいだ。

「着いたよ。ここだよ。ほら見て」と、客は言った。
私は、タクシーを停めて、言われるまま外を見た。そして驚いた。
車の窓の近くに、ひと際大きな木があり、その幹にカブト虫が沢山とまっていた。
カブト虫だけではない。
クワガタや、 他の名前も分からない虫たちが沢山集まっていた。
私はその光景に言葉を失った。
お客の言った事は本当だった。
窓から手を伸ばせば、本当にカブト虫が取れそうな距離だった。それはまさに「カブト虫のドライブスルー」だった。

「取って行ったらいいじゃない。息子さん、喜ぶよ」
私は、お客に勧められるまま窓から手を伸ばし、オスのカブト虫を1匹だけ捕まえた。
「もっと取って行けば。クワガタもいるよ」
「いえ、もう一匹で大丈夫です」
私は遠慮した。あまり沢山取っても、飼うのが大変だと思った。
「ウチの近くの100円ショップで虫かご売ってるからさ、買ってったら」
「はい・・・」
「運転できないでしょう。持っててあげるよ」
客はカブト虫を受け取った。 「どうもすみません」
私は、タクシーをスタートさせた。

道は程なく森を抜け、少し行くと幹線道路に出た。
そして、100円ショップが見えてきた。
「店の駐車場でいいですよ」
私はタクシーを停めた。
お客は、カブト虫ツアーの代金も含めて払った。1万円近くになっていた。
「ちょっと待っててね」
お客は、100円ショップに入ると、虫かごとゼリー状のエサを買って来てくれた。
それには、私も驚いて、タクシーを降りて頭を下げた。
「どうもすみません。ありがとうございます」
「息子さんによろしく」
お客は、それだけ言って立ち去った。
私は、さっき、あんなに疑って、本当に申し訳ないと思った。

私は虫かごにカブト虫を入れた。カブト虫は急激な環境の変化に驚いて動き回っていたが、やがて大人しくなった。 

私は次の日、カブト虫を息子に手渡した。
息子は喜んでくれた。
そして、飽きずにカブト虫を見つめた。
カブト虫を飼うのは、初めてだった。
私と息子は交代で餌をあげて世話をした。

カブト虫は、その後、ひと夏だけ生きた。

私は、それから何度か「カブト虫のドライブスルー」の辺りに行ってみたが、どこか分からなかった。
あの森はどこにあったんだろう?

そして、夏が来る度に、あの不思議なお客の事を思い出すのだった。


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