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うつは「わがまま」の「甘ったれ」か


① うつは「わがまま」の「甘ったれ」か

以前の投稿では次のような意味のことを書いた。

「本人が内心で抱いていた何らかの価値観や価値。それが当人の周囲の環境と衝突して矛盾を生じ、挫折若しくは喪失することによって、うつ病は発症する。だから、この『内心の価値観と周囲の環境との衝突』を解消するためには、人生の環境として、当人の価値観に相応しい選択肢を選ばなければならない」
と。

そして、これに対しては、下記のような反論があるかもしれないとも書いた。

「自分の『価値観』は譲れないと言って『環境を選択』するということは、要するに自分は『環境』に適応するのを拒否しているということではないのか。『自分は悪くない』『悪いのは他人(環境)だ』という『他責論』ではないのか。それは『甘ったれ』『わがまま』とどのように違うのか」
と。

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② マラソンがいやで会社を辞めました


なるほど。それでは一体どんな場合が「わがまま」「甘ったれ」と言えるのか、考えてみよう。

たとえば、エッセイストの玉村豊男氏の場合だ。彼はエッセイストとして一家を成し、最近では長野県でワイナリーを経営するほか、父親譲りの画才を発揮して今や画家としても活動している人である。私は玉村豊男氏のエッセイが好きなので、主なものは殆ど持っている。

さて玉村氏は東大文学部(フランス文学)の卒業を控え、フジテレビから内定を貰う。だが内定者を集めた合宿でマラソンをやらされたことで嫌気が差し、「どうも、ぼくは、集団でしごとをするのに向かないようなので」と言って内定を辞退してしまう(玉村豊男「エッセイスト」朝日新聞社1995年p.41)。

その後は一貫してフリーランスの立場で仕事を続け、そのまま今日に至っている人物である。

まさしく「自分の『価値観』は譲れないと言って、当人の価値観に相応しい『環境を選択』した」訳だ。では玉村氏は「わがまま」「甘ったれ」なのか。いや、そんなことを言う人は誰も居ないことだろう。


③ 「成功者」や「勝ち組」ならよいのか

だがこれに対しては、こんな反論もあることだろう。

「自分で人生の『環境』を選んだのなら、先ずそこで『実績』をあげる事だ。それなら認められるだろう。自分で選んだ『環境』なのに、その中で『成功』も出来ないようでは、認められない。それは、やはり単なる『わがまま』『甘ったれ』なのだ」と。

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ほう。なるほど。一見もっともらしい反論だ。だがこの反論もよく考えるとおかしい。

「実績」とか「成功」とか言うけれど、ではその基準は何なのだろうか。所謂「有名人」になって、社会的な知名度を得ることなのか。

世の中には、フリーランスで仕事をしている人は多数居る。その全員が玉村豊男氏のように著書を出版したり個展を開いたりメディアに登場したりしているわけではない。

だからと言って、その人たちは「実績」を上げていないことになるのだろうか。そんなことはないだろう。人は何も他人に「成功者」か「勝ち組」なのか判定して貰うために生きているわけではない。「実績」というなら、自分一人の力で自分で飯を食えているのなら、それだけでも「実績」というには十分なのではないだろうか。

「実績」とか「成功」とか言いながら、とかく他人を「値踏み」したがる人。その人の基準は、結局「自分」である。自分の収入額や役職や肩書き。それが基準なのだ。それを上回れば「成功者」「勝ち組」と評価し、下回れば「わがまま」「甘ったれ」と見下す訳だ。

④ 「ムラ社会」の「序列」

実はこれは「ムラ社会」の論理なのだ。「ムラ社会」では「目上」「目下」などの「序列」や「席順」が絶対だ。このような所謂「止まり木の順序」を固守することによって「ムラ社会」は「掟」や「しきたり」を守る。

現代日本の「ムラ社会」では、この「序列」の基準として、収入額や役職や肩書きや知名度などを用いる。その基準を満たせば「成功者」「勝ち組」と「評価」され、そうでなければ「わがまま」「甘ったれ」として「出来そこない」「半端もの」扱いをするわけだ。

だが、そのような「ムラ社会」そのものが嫌になってしまった場合はどうなるのだろうか。

⑤ 「会社は悪くない」

そもそも会社では全員が定年まで勤続するわけではない。様々な理由で中途で退職する人がいる。退職して家業を継ぐ人、結婚して家庭に入る人、或いはもっと高待遇なり適性ある職種なりを求めて会社を去る人。これらの人たちは何の非難もされない。

家業を継ぐ人に対しては「跡取りは大変だな」と同情し、結婚する人に対しては「おめでとう」と言う。他社に転職しても、いきなり競合する同業他社に転職でもしなければ、問題にされない。もともと会社に勤めるということは、対価として一定の待遇を求めてのことなのだから、せいぜい「あいつ、うまいことやったなー」と影で噂されるくらいで済む。

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では、うつになって会社を辞めた場合はどうだろうか。「病気になって大変だね」と同情してくれれば、未だマシだ。だが下手をすると「わがまま」「甘ったれ」扱いされてしまうのではないだろうか。

怪我で身体を壊したり、他にも病を得て会社を辞める人は他にもいる。だがなぜ「うつ」の場合だけ、「わがまま」だの「甘ったれ」だのと、なじられなければならないのだろうか。


⑥ 日本の企業は「ムラ社会」

結局これも「ムラ社会」の論理なのだ。

日本の会社組織は営利組織ではない。「ムラ社会」である。「ムラ社会」の「身内」の「掟」や「しきたり」に絶対価値を置く。その結果「集団浅慮」を助長し「合成誤謬」を加速する結果、現実適応を誤る。だからこそ、相変わらずこんなに企業不祥事や経営破綻が絶えないのだ。

うつで社員が会社を休むなり辞めるなりしたらどうなるのか。会社についていけなかった社員が居たと言うことだ。となるとどうなるのか。

社員の方に問題があるのなら、「会社は悪くない」。だが社員の方に問題がないのなら、会社のどこかに間違っているか、誤っているのか、すくなくとも問題が存在していることになる。

だが「ムラ社会」としてはそれを認めるわけにはいかない。だからうつになった社員の方を「わがまま」とか「甘ったれ」で「迷惑だ」などと非難するのだ。もちろん問題の責任を転嫁するためである(これについて詳しくは、本編サイトで書いたのでそちらをご参照願いたい)。

⑦ 「ムラ社会」は「足抜け」を許さない

だから、たとえうつにならなくても、「ムラ社会」から抜け出した人や抜け出そうとする人は、同じような非難を受ける。

「自分の価値観と『ムラ社会』は相容れない」として、「ムラ社会」を拒否し、自己の価値観に即した環境と人生を選択する人は、「ムラ社会」にとっては「わがまま」で「甘ったれ」なのだ。そういう非難によって論点をすり替え、「ムラ社会」の問題点が暴露されないよう隠蔽するためなのだ。

途中での「足抜け」を許さず、最後まで「同調」を強制する。これが「ムラ社会」なのだ。そして日本の企業組織は合理的組織ではない。「ムラ社会」である。これが「わがまま」とか「甘ったれ」などという非難の所以である。

⑧ この記事に関連する本編サイトのページ

●「ムラスタン人」と「ワカスタン人」
このページの「『ムラ社会』の『掟』」の項目をご覧下さい。

●「会社は間違っていない」

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