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【祝】君と僕の、ときめき大作戦【編集部のおすすめ選出】

 今夏、久々に東北の実家へと帰省した僕が、高校卒業まで使っていた四畳半の自室で偶然発見した物。それは、一枚の古びたメモリーカードであった。

 名ばかりの勉強机の引き出し。上から三段目。その奥の奥にしまい込まれていたスケルトンブルーのソニー純正メモリーカード。

「うわあ……」

 気づけば、内奥から沸々と湧き上がるノスタルジーに感極まっている自分がいた。

 間違いない。これは正真正銘、僕の私物だ。非常に愛着を持っていた代物で、記憶が正しければブルルなどという、まるでセンスナッシングな名前までつけていたはずである。

 ブルル発見直後、何かに導かれるようにプレステ2本体とテレビの電源を入れた僕は、ほどなく手のひらサイズのそれをメモリーカード差込口1へと挿入。

「……あ」

 コントローラーを操作する手がはたと止まる。二十四インチの鮮明な画質の液晶に「ときめきメモリアル2」のセーブデータが表示されるまで、そう時間はかからなかった。

 ときめきメモリアル2、通称ときメモ2。言わずと知れた恋愛シミュレーションゲームの金字塔である。当時、周りがFF10やら何やらに興じていた頃、思えば僕は――いや僕らは、中古で手に入れたこの名作に心奪われ、命を焦がさんばかりの大熱狂ぶりを見せていたのだ。

○○○

 時は平成中期。中学二年の夏休みを間近に控えた金曜日の放課後、同じクラスで生物部の木須くんが唐突に言い放った言葉を、僕は十数年が経った今でも、まるで昨日の出来事のようにありありと思い起こすことができる。

「明日、ときめき大作戦を決行する」

 木須くんが決意に満ち満ちた低音ボイスでもって呟いたとき、ああ、ついにこの時が来たのか、と僕は思わず身震いした。

 ときめき大作戦、つまりは「ときめきメモリアル2を誰にもバレないように購入しよう大作戦」の略である。  

 共にさえない文化系、そしてアニメに代表されるような典型的オタク趣味を持った、いわゆる「非モテ」にカテゴライズされた僕らの興味が三次元の同級生女子から二次元の超絶美少女に傾き始めた頃、どちらからともなく立案した一大作戦がこの「ときめき大作戦」で、僕はこの作戦を実行に移す日を今か今かと待ち望んでいたのだ。

 そしてたった今、数少ない同志の口から発せられた一言により、ようやくその作戦が決行されようとしている。

「他意はあるか」

「ない。あるわけねえよ」

「よし……じゃあ、明日の十一時、俺んちに集合な」

「……ラジャー」

 そして、翌日。

 午前十一時、快晴。まさにピーカンを絵に描いたかのようなエネルギッシュな青空の下、目元まで深々と被ったメッシュキャップに百均で購入したサングラス姿という不審者感マックスの僕らは、地元から数キロ離れたゲーム専門店までえっちらおっちら、キーキー唸る婦人用自転車を走らせた。

 もっとも、人口三十万人程度の地方都市といえど、徒歩圏内に店がなかったわけではない。あえて、あえて地元から離れた店を選んだのだ。

 なぜって、クラスメイトに遭遇することを恐れたから。ただそれだけの理由だ。

 まだ今ほどオタク文化が大っぴらではなく、インターネットもそれほど普及していない、オタク=キモイ、暗い、などというステレオタイプの偏見が拭いきれていなかった時代の話である。自意識とプライドばかり無駄に高かった僕らは、自らをオタクと認識されてしまうことを異常なまでに恐れた。

 思えば、教室でときメモ2の話題を口にするのも命懸けだった。「TM2(ときメモ2)」などという暗号めいた言葉を作り、小声でひそひそと話していたほどだ。

「ふう……」

 結局、目的地に到着したのは正午過ぎだった。頬を伝う大量の汗を拭おうともせず、僕らは息を切らしながら、そそくさと城の門を潜った。

「……見つけた! 見つけたぞ!」

 入店早々、木須くんの興奮し切った声が耳朶に触れる。それはまるで幽閉された姫の居場所を突き止めた勇敢なる兵士のごとき迫力であった。

 僕らは意味もなく顔を見合わせる。そして二、三秒ほどの空白を挟んだあと、パッケージを隠しつつ忍び足でレジまで向かい、

「らっしゃいませー」

 店番をしていたのは、黒髪マッシュルームカットに縁なしメガネのさえない大学生風だった。僕は右手に忍ばせていた四角いパッケージを胸のドキドキと共に彼に差し出し、そして特徴的なバリバリ音のあと、マジックテープ式の財布からしわくちゃの夏目漱石を立て続けに三人召喚した。これは、僕と木須くんがなけなしの小遣いから出し合った、ときメモ2の購入費用であった。

 中古ではあるものの、大学生風が提示した金額は二千五百円とかなりの高額であった。アラサーを迎え、人並みに稼げるようになった今現在の価値観からすると何でもないような金額であるが、少なくとも月二千円の小遣いでやりくりしていた十四歳当時の僕らにとってその金額は、大金もいいところだった。

「あじゃじゃしたー」

 数秒のやり取りのあと、大学生風の暗く、ねっとりとした低音が客もまばらな店内にこだまする。

 無事にときメモ2を購入し、店をあとにした僕らの顔には、やりきったというような爽やかな表情が宿っていた。

「やったな」

 ともとより細い目を更に細める木須くん。

「おう」

 とクールを気取り、ぼそりと呟く僕。

 ときめき大作戦、見事大成功である。

 その日から僕らは一週間交代でときメモ2を貸し借りし、休み時間ともなると教室の片隅でこそこそと「TM2」の話題に興じた。

 僕と木須くん、両者が頻繁に話題に上げるキャラと言えば光であった。本名、陽ノ下光。赤髪ショートヘアの似合う、陸上部所属のボーイッシュな活発女子高生である。ちなみに主人公とは幼なじみの関係にあり、作中ではヒロインという立ち位置にもかかわらず攻略難易度の低いキャラだったと記憶している。担当声優は、のだじゅんこと野田順子さん。

 木須くんとつるんでいるときは、大抵いつも光の溢れんばかりの魅力について熱弁、侃々諤々し合っていた。時には殴り合いのケンカにまで発展することもあった。僕らはそのくらい、ときメモ2の魔力に魅せられ、熱狂していたのだ。

 だが――そんな輝ける青春の日々も、思いのほかすぐに終焉を迎えてしまうことになる。

 ときめき大作戦決行から約半年後の一月、粉雪が舞う放課後。行きつけのローソン店先にて僕は、木須くんの口から衝撃的な一言を浴びせられることになるのだ。

「俺、カノジョできたんだわ」

 瞬間、僕は摂氏マイナス百度でもって身体中がカチンコチンに凍りついてしまった。その言葉の意味を理解するまでに数秒の時間を要した。

 木須くんは、同級生のカノジョ、安藤さんとの馴れ初めを嬉々として語り尽くしたあと、ときメモ2をおまえに譲渡する、といささか軽い調子で宣った。

「しばらく三次元に没頭するわ」

 心に、一陣の風が吹き抜けた。

○○○

 時は流れ、令和初めての夏。つまりは件のブルル発見から二日後のことである。

 仕事のため翌日には東京のマンションに戻らなければいけないというスケジュールの中、僕は地元最後の一日を思い出スポットの散策に費やそうと、ふとそんなことを思い立った。

 思い立ったらすぐ行動を信条に生きる僕は、有無を言わさぬ早さで行動開始。スマホと財布 (さすがにもうマジックテープ式ではない) だけをカバンに、築三十年の一軒家をあとにする。

 まるで容赦ない八月の陽射しの下、駄菓子屋、街区公園、高校時代ほぼ毎日通っていた書店と順に回り、そして母校であるA小の前を通りかかったときのこと、

「リョウ? リョウだよな?」

 そのあまりの懐かしさに校門付近で立ち止まっていた僕を、右方から呼ぶ声がした。成人男性の野太い声だ。

「やっぱりな、そうだと思ったんだ」

「……おお!」

 振り向いた先にいた中肉中背の目の細い男が木須くんだという事実に気づいたのは、直後のことだった。僕は期せずして、新種の昆虫でも発見したかのような大仰な声を上げる。

「木須くん⁉」

「うはは、久しぶり。何か変わったなぁ」

 そう言う当人は、見た目に関しては目立った変化がほとんど見られなかった。あえて言うならば年中スポーツ刈りだった黒髪が少し伸び、全体的にちょっぴりふっくらした程度。

 中学卒業後、僕らが連絡を取り合うことは、ただの一度だってなかった。何も絶縁していたわけではないのだが、お互いが別々の高校へ進学したことをきっかけに、自然と交流がなくなってしまったのだ。成人式後の同窓会にも木須くんは顔を出さなかった。風の噂によると土木関係の仕事に追われ、同窓会どころではないということだった。

 要するに僕らは今、中学卒業以来十数年ぶりの再会を果たしたということになる。

 僕が胸の内で密やかに感極まっていると、

「おーい、早く来いよー」

 と木須くんが、後方数メートルを歩く髪の長い女性と、そして四、五歳くらいの小さな女の子に向けて声をかけた。

 何ごとかと思っている間に目の前までやって来た二人を両脇に、木須くんは何の気なしといった装いで告げた。

「これ、俺の嫁と娘」

 直後、女性が淑やかに会釈し、続いて木須くんに促された女の子が一瞬だけ頭を下げた。

 この予想外の展開を前にしても、不思議と僕が動じることはなかった。なぜって、よくよく考えてみたら僕らはもう、そういう年なのだ。結婚をして、子どもの一人や二人いたって何ら違和感のない年齢なのだ。

 女性は、木須くんの嫁さんは、色白でスレンダーな薄顔の純和風美人だった。身体から何やらフルーティーな香りが漂っている。香水だろうか。

 一瞬、木須くんの初カノジョである安藤さんの蛭子能収によく似た顔を脳裏に思い浮かべたが、はっきり言ってまるで別人であった。案の定、下の名前はエリというらしい。安藤さんの名前は確かアカリだったはずだ。

 そんなどうでもいいようなことを考えていると、

「ちゃんとごあいさつしなさい」

 といかにも父親風を吹かせた木須くんが、娘の華奢な両肩をつかみ、そして彼女を僕の目の前へと追いやった。

「いいよいいよ」

 と遠慮がちに呟く僕を制し、ほら、と娘を促す木須くん。すると直後、サロペットを身にまとったショートヘアの女の子が、大きな、大きな声で言った。

「ヒカリです! 五歳です!」

 ヒカリ――僕はその響きに確信を持った。

 無意識に木須くんに視線を転じると、彼は黙したまま、少し黄ばんだ前歯をニカッと輝かせ笑っていた。

 釣られて僕も笑う。その様子を美人ワイフが怪訝そうに見ている。でも、これでいい。この笑顔の意味は、地球上で僕と木須くんだけが理解していればいい。木須くんもきっと、僕と同じことを思っているに違いない。きっと、そうきっと――。

 翌日。東京へと戻る東北新幹線の中で僕は、デジタルオーディオプレーヤーを介し一人、延々と音楽を聴いていた。

 チープな白イヤホンから流れる、のだじゅんの、いや光の高らかな歌声。

 こんな甲斐性なしにもいつか、人生に光を照らしてくれるような人が、女性が、現れるのだろうか。頭の隅でぼんやりと思いながら僕は、夏も終わりに近づいた田舎の景色を「勇気の神様」のメロディーと共に、ただひたすらに眺め続けるのであった。

オーイエーアハーン!