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【直木賞作家を信じて立命館へ入学した結果、フィクションをノンフィクションに変えることに成功した話】~書店員のエッセイ&本紹介~ 万城目学 『鴨川ホルモー』

晴れて大学生となった私を待っていたのは、フィクションが本当にフィクションであるという現実だった。

入学前のオリエンテーションで待ち受けていた上回生にビラをもらいまくっても、館内のボードに張り付けられたサークル紹介チラシを片っ端から見て回っても、バイト先の先輩に恥を忍んで聞いてみても、そのサークルが実在するという情報は得られなかった。

まだ新しい香りのする六畳のド真ん中に座り込んで、私は誰に知られることもなくほんの少し落ち込んだ。覚えたての発泡酒をあけ、ぷはあーっと一丁前な吐息を漏らす。
存在するわけがない。それは分かり切っていたことだった。しかしそれでも夢は捨てきれなかった。ちょっと怪しげな雰囲気でも構わないから、せめて類似したものがあればいいと思っていた。立命館大学に入ったのはそのためだと言っても過言ではなかった。
私はのそりのそりと本棚の方へ蠢き、、一冊の文庫本を取り出した。何度も読んで癖のついた六十二ページはするりと簡単に開く。

『立命館大学白虎隊——これに十名』

昨夜自転車で訪れた、四条烏丸交差点の風景がありありと脳裏に浮かぶ。白い浴衣を纏った上回生に「これからよろしくな」と握手を求められる妄想が頭の中で膨らんでいった。
「はい!」
威勢よく返事をした私は、上回生たちに連れられ、三条木屋町にある古びた居酒屋へとなだれ込んだ。
彼らに聞かされる謎だらけのサークル説明 (京大・立命・龍谷・京産の四大学で、オニを操って戦うホルモーという競技を行う) に胸をときめかせ、鼻筋の綺麗な美女や愉快な友人たちと談笑しながら酒を酌み交わす。そして私は立命館大学白虎隊の一員として、華々しい学生生活のスタートを切る。

「ゲロンチョリー!」
「フギュルッパ!」
「アイギュウ・ピッピキピー!」

観光客や学生カップルたちが行き交う嵐山公園。彼らから向けられる視線には、たまらなく冷たいものを感じる。しかしそんなものなどどうでもいい。全身全霊でオニ語の練習に励むのみ。

「もっと大きな声で!アガベー!」
「アガベー!」

飛び散る汗、枯れていく声。
横を見れば、一緒になって叫ぶ同回生たち。知り合って日は浅いが、すでに長年の友のような気がしている。
ああ、これが大学生なのか。
ああ、これが青春というものなのか。
おいでやす京都。渡月橋の向こうまで広がる空さえも、歓迎の色に染まっているよう。鼻筋の綺麗な美女にほんのりと恋心を寄せながら、思い描いた青春の真っただ中で、私は最高の時間を味わう。
・・・はずだった。

発泡酒缶を飲み終えた私は、近所のリカーマウンテンで買ってきた赤玉スイートワインをプラスチックのコップに注いだ。
甘ったるい味が舌にぬたあーっと広がり思わず顔をしかめる。確かにポートというよりスイートだと独り言ち、季節に翻弄されるがまま、ホルモーとは無縁の大学生活を過ごしていくのだった。

時は流れ、私は三回生になっていた。
ちょっとしたとばっちりからバイト先を追われ、新しく見つけたバイト先の飲み屋にも馴染めず苦しんでいたころであった。
彼女もおらず、予定もなく、怠惰な夜を繰り返す。あやふやな日々に埋もれる己は嫌いではなかったが、どこか空虚さを感じて過ごしているのも事実だった。

「今何してるん。」
ある日の夜、悪友Aから電話をもらった。
「部屋でこの世を憂いてる。」
死んだ声で私は返事をした。
「マジか。じゃあ今からホルモーしようぜ。」

ホ、ホ、
ホルモオオオオオオーーーー!!!!!

激しく飛び散る火花のように、私はベッドから飛び上がった。
「する。やる。ファミマ集合でいい?」
「おう!」

財布と煙草をジーンズのポケットに突っ込んで部屋を出ると、自転車にまたがって千本今出川へと北上し、まっすぐ東を目指した。時刻は午前十二時。御所を横目にびゅんびゅんと、心地良い夏の夜風を全身で切っていく。

ファミリーマート出町店の前で、Aはタバコをふかしていた。
「よ。」
私たちはストロング缶を四本ずつ買い、自転車を引きながら目的地へと歩を進める。

「思ったより顔色良くて安心したわ。」
「ホルモーと聞けば、それはもう元気になるよ。」

Aは、かつて同じ予備校に通っていた男である。高校は違ったものの、なんだかんだで気が合いよくつるんでいた。彼は東京の大学に進んだのだが、「俺も京都に住みたい」という短絡的理由から、三回生の春に同志社大学へ編入してきたのだった。

自転車を舗道に止め、跳ねるように鴨川デルタへと降り立つ。両手が自由になった私たちは、手に下げたビニール袋から酒を取り出し、おいすー!という掛け声とともに缶をぶつけ合う。川の音だけが響く静けさの中、二人の男子大学生が喉を鳴らす青春がごくりごくりと夜を駆ける。

闇が流れる鴨川を眺めながら、私たちはとりとめのない話題で盛り上がった。
フリーで入ったピンサロで、エイリアンみたいな嬢に当たってしまったこと。大学付近の飲み屋で幽霊の足首を目撃したこと。『京都いろどり日記』の横山由依ちゃんが可愛すぎること。伏見で飲んだ美味い日本酒のこと。漠然と抱いている将来像のこと。
阿呆な会話に花を咲かせながら、息を吸うように酒を飲む。かつて想像していたものとは大きく異なってはいたが、これも素晴らしく完成度の高い青春だった。

最後の四本目に突入しようかというとき、じゃあそろそろやりますか、とAが腰を上げた。ニヤニヤした口元とは裏腹に、目には好戦的な炎が宿っている。

「よし、ガチでやろう。」

私は尻に付いた砂利を払いながら立ち上がった。不敵な笑みを浮かべ、Aを視界の中心から逃がさずぐるりと首を回す。

「負けないよ。」
「今はなき光竜陣の意地を見せてやるよ。」

私たちは親友であると同時にライバルであった。立命館と同志社、この関係は切っても切れないバチバチなもの。
互いに大学唯一のホルモーサークルの矜持をもって、神聖かつ極上のホルモーを行うことがライバルとしての礼儀だった。

三尺ばかり離れて向かい合った私たちは、くっと酒をあおってから各々の所属を名乗り合った。

「同志社大学光竜陣——これに一名!いざ!」
「立命館大学白虎隊——これに一名!いざ!」

緊張感をはらんだ空気がびゅうと舞う。
待ち望んだこの瞬間に、武者震いが止まらなかった。

念願の〇〇〇代目間ホルモー、通称『酔いどれ鴨川ホルモー』はその後、幾度となく開催された。
月に照らされながら全力でオニ語を叫ぶ青年は、溢れ出る喜びを京都の街にまき散らしていく・・・。

<最後に>
「深夜の鴨川デルタに奇妙な言葉を放つ男が現れたとき、世界は新しい扉を開いてちょっとだけほんわかする」
という、かつて京都界隈を賑わせた噂であるが・・・その発祥は私たちであったと、今ここで告白させていただく。
そしておそらくその噂は、『フィクションをノンフィクションにした大学生たち』として直木賞作家・万城目学さんの新作に登場する(可能性がある)。
刊行された際には、私の勤務先の書店でぜひ一冊購入してほしい。ページの端に小さなサインを書いて差し上げよう。
よろしくどうぞ、いろんな方々。

〜本紹介〜

【志望大学に迷っている高校生よ、この本を読んで騙されてみるがいい!】

万城目学 著『鴨川ホルモー』

あらすじ:二浪してやっと京都大学に入学した安倍を待ち受けていたのは、京都大学青竜会という謎のサークル。美女の誘惑に流されるがまま、彼は京都四大学による対抗戦、『ホルモー』に参加することになるのだが…。

映画にもなったが、芦名星さん演じる早良京子は魅力的溢れるキュートな悪女だった。
本当に素敵な女優さんだと思う。
亡くなられたという事実を、未だに私は受け入れられないでいる。


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