病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈1〉
二十世紀フランスを代表する作家アルベール・カミュは、あたかも「戦後文学・思想」のアイコンであるかのように一般読者には思われがちである。殊に一九四五年の敗戦以後、「欧米の先進的文化」が雪崩のごとく流入してきた日本においては、おそらくそれが顕著なことだろう。一九五一年に邦訳された、カミュの出世作でもある小説『異邦人』の主人公ムルソーは、その虚無的で享楽的な振る舞いから「アプレゲール」の象徴であるかに見なされ、「年は取りたくないものです」で有名な広津・中村論争も巻き起こした。
しかしまさにその『異邦人』や、あるいは評論『シーシュポスの神話』といった著作が、カミュの本国であるフランスにおいて刊行されたのは、まだナチス・ドイツによる占領下にあった一九四二年のことであり、また本稿で取り上げる長編小説『ペスト』も、その大部分が四五年頃までにはすでに執筆されていたものとみられる。そうしてみるとカミュは、その立ち位置を敢えて分類するなら「戦中派」なのだと考える方が、むしろ適当なことであるとも思われるのである。
カミュが著したものとしては最も大きな長編小説である『ペスト』は、戦争や全体主義体制の下で人々が抑圧され、それにより困難で苦渋に満ちた日々を余儀なくされる様を、過去からさかのぼって現在に至るまでにおいて、当地ヨーロッパで最大にして最悪の被害をもたらした象徴的な病禍であるペストに、そのイメージを仮託して書かれたものだとされている。
そして、そういった「不条理」な病禍に抵抗し、人々の生活に日常の平和を取り戻そうという戦いに、ひたむきに献身貢献する主人公たちの姿は、戦時下のレジスタンス運動にもなぞらえて語られるのが一般的であろう。
しかしそこで語られているのは、はたして本当に「それだけ」のことなのだろうかと、中条省平は疑問を呈する。
「…『ペスト』は戦争が終わってわずか二年後の刊行ですから、戦争とその残響を抜きにしては語れない作品です。これまでしばしば語られてきたのは、戦中のレジスタンスとの関係です。ペストとはナチス・ドイツの隠喩であり、ペストとの戦いにはカミュの対独レジスタンスの経験が反映しているという読み方です。しかし、これはおそらく倒錯した読み方です。最初にレジスタンスという英雄的な主題を描こうという意図があったわけではなく、むしろ逆で、まず、災厄が人間を襲うことの不条理性とその恐怖が、出発点になっていると思うのです。そういう人間の条件の困難さ、人間は世界の不条理によって悲惨な目に遭っているという認識の集約が、たとえば戦争であり、ここではペストであって、その衝撃が彼に『ペスト』を書かせている。結果的に登場人物たちの行動がレジスタンスのように見えたとしても、戦中のカミュのレジスタンス経験を反映していると考えてしまうと、それは単なる寓話化に過ぎなくなってしまいます。…」(※1)
カミュ自身の経験した戦争やレジスタンス活動を単に寓話化したものではなく、むしろもっと普遍的な視点から、人間の被るさまざまな困難や悲惨な事件、それを運命などとは到底受け入れ難いような「不条理」な事態を、ペストというヨーロッパ人にとって忘れ去ることのできない病禍のモチーフに仮託して語られたのが、この『ペスト』という作品なのだとするのが中条の見立てである。
一方で、カミュは一般に戦争を語る際に用いられるような表現を、ペストという病禍の暗喩として用いていると宮田光雄は指摘している。
「…カミュは、この小説のいたるところで、さまざまのヴァリエーションで戦争のメタファーを用いている(包囲、敵、敗北、etc.)。…」(※2)
つまり、この『ペスト』という作品においては、ペストが戦争のメタファーであるのと同時に、戦争がペストのメタファーになっているという、いわばパラレルな表現手法が使用されているわけである。
上記いずれの見方をとるにせよ、カミュはこの作品において「戦争そのもの」を描こうとしたわけでも、「ペストそのもの」を描こうとしたわけでもないのだということ、要はその中にある、あるいはその間にある「人間」というものを描こうとしたのだということは、たしかに言えそうなことである。
しかし、それを描くのにあたって、はたしてそれが適切な舞台設定や表現方法であったのかどうか、むしろそれを選択したがゆえに必要以上のことが書かれてしまい、あるいはまた、そこから必要以上のことが読まれることになってしまってはいないかということについては、ここで改めて立ち止まってみて、少し考えてみなければならないことであるようにも思える。
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 中条省平「100分de名著・カミュ『ペスト』」
※2 宮田光雄「われ反抗す、ゆえにわれら在り−−カミュ『ペスト』を読む」
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