道玄坂をおりる/嫌な顔をされる 3
道玄坂上交番の交差点へとおりていくと、景色が開けていく。一方通行の狭いビルの谷間から、坂の上に出て、急に空が広くなったように感じる。
マークシティの出入り口と松屋の間にある大きな看板が、ジャニーズの若い人たちに変わっていた。その前は何が宣伝されていたのか思い出せないけれど、一週間か二週間に一度くらいで看板が入れ替わる。いつでもアイドルか、もしくはアイドルと同じように宣伝されるような歌手の宣伝ばかりで、自分が聴くようなものが看板になることはなかった。そうでなくても、ここから駅まで道玄坂を下っていく間、通りに面している店で自分が用のある店はほとんどなかった。松屋にたまに行くくらいで、あとは駅前のツタヤに行くくらいだろう。毎日歩いているとはいえ、自分にとってこの道は、ただ通り抜けるばかりの道だった。
交差点から坂の景色を見下ろすと、少し気持ちが持ち上がる。入りたい店がひとつもないこの通りを、どうしてこんなにもいいものに思っているのだろう。なんということもない景色なのになと思う。ビルとその内側に沿った街路樹に挟まれた、あまり太くもない道。その狭いスペースの中で、くだらない看板ばかりが目立っている。目立つことだけを考えて作られた、目立たせる必要がないものについての看板。チェーン店ばかりが連なり、他に目立つものといえば、風俗の案内所やその手の店のファサードくらい。かといって、ビルの壁や、ばらばらな高さで連なった看板の赤やオレンジや黄色が、木々の緑の隙間からちらちらと見えて、そして、日がしっかりと差し込むと、まばらな木々が受け止めきれずに光を路面に漏していく。それを見ていると、この景色はいいなといつも思う。
八時二十分頃のそう多くもない人通りの中で、みんながばらばらに動いている。店先の掃除をしているおじさんたち、すれ違うカラスとハト、俺と同じように駅におりていく人たちと、駅から上ってくる人たち。会社に向かう人たちは、スーツ姿も、もっとくだけた格好もいる。遊び終わって、これから帰ろうという感じの人たちもちらほらしている。朝まで遊んで、帰る前に安いラーメン屋に入ろうとしている派手な格好の人たちや、遊び足りないのかコンビニの前で座り込んで、まだ帰るでもなさそうな若い人たち。いろんな人が、いろんな方向に歩いていたり、立ち止まってたり、座り込んだりしている。
中野に住んでいた頃、毎朝中野駅への向かう道のりは、みんなが同じ方向に歩いて、自分も同じように駅に吸い込まれていくというばかりでつまらなかったなと思う。みんなが似たような感じで、俺はその似たような後ろ姿を追い抜いていくというだけだった。中野のあと、荒木町に二年住んでいたけれど、そのときは部屋の窓から会社のビルが見えていて、会社まで徒歩一分だったから、通勤中の景色も何もなかった。それはそれでよかったけれど、毎日同じ道を歩くなら景色はつまらなくないほうがいい。渋谷駅は、駅から人がたくさん出てくるし、周辺には通勤とは関係のない人もたむろしていて、いろんな人たちがばらばらな方向に動いている。そのばらばらな人たちとすれ違いながら歩いていられるというだけで、ずいぶん気分がましだと思う。そして、この道玄坂の景色が好きだということも大きいのだろう。朝、道玄坂の上から駅の方に歩くと、太陽の方向に歩くことになる。交番前の交差点から通りを見渡すと、光が目に入る。明るい視界の中で空の青さを確かめてから、木々が光を遮って、ところどころが柔らかく日陰になった坂道をだんだんとおりていく。もう三年くらいこの道を歩いて通勤しているけれど、この坂の上からの景色の気持ちよさには、まだ飽きてこないなと思う。
日差しが強くて、少し見上げると、眩しさは思っていた以上に強かった。朝飯を食べていなかったから、すぐにお腹が空いてきそうだった。今日も十一時半にいつもの中華料理屋に行こうと思った。月曜日はホイコーローを食べて、火曜日は海老とアスパラガスの玉子炒めを食べた。今週の週変わりの五品で、他のメニューは、高菜とイカの塩味炒め、牛肉と湯葉の醤油煮、野菜炒めだった。今日は牛肉と湯葉の醤油煮がいいかなと思った。今までもよく週変わりのメニューに入っていて、何度も食べたことがあった。中国醤油で色付けされた、とろみのある甘めのスープに、五香粉の香りが加わっていて、ジャガイモ、ニンジン、ニンニクの茎、牛肉、湯葉が入っている。煮物というよりは、野菜を炒めたうえで、そこに牛肉と湯葉の甘く煮込んだスープを流し込んで合わせているのだろう。野菜の食感がはっきりしていて、牛肉は柔らかくしっかりと味がしみている。そこそこ甘いのだけれど、甘さが重くなく、ふんわりとした甘さの中で、具材の食感と味、そこに五香粉の香りがあとを引いていく。甘さが前にきながら、ちょうどいい塩加減でバランスがとられているからご飯も進む。けれど、ホイコーローも好きだから、もう一度食べておいてもいいかなと思った。結局は店に着いたときの気分でもう一度迷うことになってしまうのだろう。
交番を過ぎたところにあるビルの、入り口に続く植え込みの前に、女ホームレスが座り込んでいた。週に二、三回くらい、朝この場所に座っている。そして、今日もまたタンクトップにショートパンツだった。たいていそういう露出の多い格好をしている。四十代前半くらいに見える、かなりの短髪にした女の人だった。度が過ぎた肥満というほどではないけれど、充分に腹がつき出ているくらいの肉付きで、谷間のはっきりしない胸元の肌を見せ、むき出しになった太い腕と脚を放り出して地面に座り込んでいた。そして、顔いっぱいににやにやしながら、通り過ぎる人々をぶしつけに眺めている。よくもそんなに力強く他人に対して嫌な顔を向けられるなと思う。今まで見てきたホームレスの中で、見ていて一番不快になる人だった。大陸系の目鼻立ちだったし、日本人なのかどうかもわからない。荷物はビニールのバッグにいろいろ詰め込んで足元には置いてあるけれど、服にしろ、髪や肌にしても、汚れているのを見たことがないから、どこかでシャワーを浴びたりする金はあるのか、そもそもホームレスですらなく、ただ誰かが面倒を見切れていない精神異常者か精神障害者なのかもしれなかった。
少し息苦しいくらいにむかむかするのを感じながら、目を合わさないようにして女ホームレスの前を通り過ぎた。もしかすると、俺ではなく別の人を見ていたのかもしれないけれど、視界に入るだけで不快になる。
普段気にならないというだけで、俺もそういうふうに視線が不快だったりすることはあるのだ。近頃は女ホームレスの姿が見えたら顔をそっちに向けないようにしているけれど、それでもたまに目が合ってしまうこともある。目が合うと、相手がこちらに向けている敵意や憎しみのようなものに対して反射的に敵意が湧いてきて、自分も目に力が入ってしまう感じがする。向こうは視線を逸らさないから、こちらが逸らして通り過ぎていくけれど、バカにするようににやにやしてくるのに対して、こっちを見るなと思いながら、見下すような感じで睨み返したりしてしまっているのかもしれない。
そんなふうに、他人から見られているのが嫌だと感じるのは、俺にとっては珍しいことだった。今までに視線が嫌だなと思っていた人なんてほとんどいなかった。女ホームレスを除くと、覚えている範囲では、前の会社の同僚だった視線の落ち着かない女の人と、今の会社の上司の二人だけしかいなかったのだと思う。
けれど、今の会社の上司がそうなのだ。自分では他人の視線は気にならないと思っていても、現実は、もう長いこと、毎日のように視線が嫌だなと思い続けている日々だったりしている。
上司は俺の二つ隣の席に座っていて、よく考え事をしているポーズで固まっているのだけれど、そのときに俺の方に顔を向けていることが多い。そして、実際に何か考えてはいるのだろうけれど、集中して考えているような感じではなく、いつもイライラそわそわしているような感じだから、その視線と気配が漂ってくるのを感じると、もうだいぶん慣れたとはいえ、嫌な気持ちになってくる。どれだけ上司から見られていても、そちらのほうを見ることはないから、目が合ったりすることはないけれど、何十分も視線が続くから、さすがに無視しているにもうんざりしてくる。
女ホームレスのような人が街中にたくさんいたり、電車に乗るとまわりの人が上司がしてくるような感じで見てきたりしたのなら、俺も人と目を合わさないように気をつけて歩くようになるのかもしれない。俺が視線を気にしないのは、今まで他人からの視線であまり不快な思いをすることがなかったからというだけで、まわりの人から嫌な感じで見られたりすることが多かった人なら、視線全般が嫌になってしまったりもするのだろう。
すごく太っていたり、とても肌が荒れていたり、いかにも多くの人が自信を持ってブサイクだと認定しそうな感じに顔の作りが整っていなかったりする人は大変だろうなと思う。他人の目が自分の身体の特定の部位に留まって、そこからネガティブな表情が浮かんでくるのを毎日何度も感じていたりするのだろう。確かに、そういう人たちは視線を避けている場合が多いのか、あまり目が合うということがないように思う。
そういう他人が勝手にネガティブに思ってくる要素がなかったとしても、女の人であれば、女であるというだけで男の視線にいつもまとわりつかれているのだろう。男の目を引くような人だけが見られるというわけでもなく、とりあえず女だからそういう目で見てみるというような視線が、女の人全般に対して容赦なく向けられ続けているのだと思う。男から女への、セックスがらみの想像が含まれていたり、セックスがらみの想像を試みてみようというような視線は、同じ男からしてもグロテスクに感じられるものだったりする。女の人が、男からの視線というだけで不快に思うようになったとしても仕方ないことだなと思う。
俺は男だし、特別汚かったり、外見上で変なところがあったりするわけでもないから、視線を気にするようになるほど他人の視線を受けてこなかった。そもそも俺は大学生くらいまで他人の自分への視線をまともに感じようともしていなかった。中学高校と男子校で気楽にやっていたからというのもあるのだろうけれど、自分の容姿や風貌が他人から悪く思われていたりするかもしれないという可能性をあまり考えずに生きていたように思う。もともと他人からの視線に対して比較的無頓着で、その後もその無頓着さをキープできてしまった。いいにしろ、悪いにしろ、人の目を引いてしまう容姿だったりすると、そうやって無頓着でいることも難しかったりするのだろうなと思う。
大学生の頃、普通の人かきれいな人かといえばきれいな人だと思う人のほうがはるかに多いくらいの、人並みよりきれいな女の人と付き合っていたけれど、その人は、昔から男全般が怖かったし、男の視線も怖かったと言っていた。その人は小さい頃にいじめられていた経験もあったし、男から乱暴を受けかけたこともあったようだから、人並みより暴力全般に対する恐怖というのが強かったのだろうとは思う。そのうえで、二十歳を過ぎるくらいからずいぶんときれいになって、男が寄ってきたり、じろじろ見てくるようになってしまった。実際、たまに俺に話してくれていたぶんだけでも、よく声をかけられていたり、バイトのあとに店の出口で待ち伏せされたりしていた。
その人は母親がきれいな人だったことがコンプレックスで、昔から、モテないと何も始まらないと思ってきたと話していた。けれど、男が寄ってきたという話をしてくれるとき、多少へらへらはしていたけれど、いつも少し疲れた感じというか、うんざりした感じがあった。その人にとっては、男が自分に対して何か思っているという気配は、自分が望んでいるものでありながら、同時に身の危険を感じさせるものでもあったのだろう。じろじろ見ている男の方は悪気なんてなく、むしろ褒めているようなつもりなのだろう。その人も、きっとそうなのだろうとわかってはいて、けれど、それが男からの視線であること自体に不安を感じていたのだろうと思う。
その人が言っていたのは、男と女の身体の大きさや腕力の違いのことだった。そんなふうに見えない男の人だったとしても、もし相手がそう望めば、力はどうしてもかなわなくて、自分は簡単に傷付けられてしまう。だから男の人が自分に興味を持っていること自体が怖いと言っていた。
その人と付き合い始めた頃に、その人が俺を恋愛対象として見始めたきっかけを話してくれたことがあった。付き合うより半年くらい前に、俺がその頃付き合っていた彼女と一緒にいるところにその人もいて、俺が彼女と話しているときの目の感じや、彼女の身体に触れているのを見ていて、この人は優しい人だと思って、それから俺のことをそういう対象として見ていたらしかった。
自分のことだから、自分が優しいのかはわからなかったけれど、その人にとって、話しかけるときの目が優しいとか、優しく相手の身体に触れるとか、そういうことが誰かをいいなと思う気持ちの中心にあるというのは、俺からすると不思議な感じがしたのを覚えている。他人の身体なんて、なるべく丁寧に扱うしかないものだろうとなんとなく思っていたから、そうでない人がそんなにいるのだろうかと思っていた。けれど、そのあとに、男全般に対しての恐怖というような話を聞かされて、他人の視線の中で落ち着けない中で、そうではない眼差しを向けてくれる人だと信じられることは、この人にとってとても重要なことだったのだろうなと思った。
その頃、俺の付き合っている相手への目つきは、他の人から見て、優しくてよいものに感じられるものだったのだろう。もちろん、ひとりでいるときと他人と一緒にいるときでは、同じ人でも目つきはずいぶん違っているのだろう。けれど、その頃は道を歩いていてすれ違う人に嫌な顔はされるようなことはなかったように思う。
覚えていないけれど、最初にあの女ホームレスと目が合ったとき、俺は痙攣的に嫌な顔をしたのかもしれない。そうなったときの感覚を思い浮かべると、自分が無表情のままでいられたとも考えにくかった。俺が嫌な顔をされることがあるというのも、見る人によっては、俺の顔が、俺にとっての女ホームレスの顔と同じようなものだったりするということなのかもしれない。反応だけを考えれば、それらは似ているのかもしれないとも思う。
きっと、今にしても、誰か好きな人と歩いていたのなら、俺の顔つきも自然と違った感じになって、嫌な顔をされたりしないのかなと思う。けれど、さっきガラスに映っていた自分の顔を見たとき、ひとりで歩いている自分の顔に違和感はなかった。あの顔に嫌な顔をされているのだとしたら、どうしたらいいのだろうとは思ってしまう。
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