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言葉・文章・書くこと

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#日記

自分の思考を「書く」という行為を通して客観視したら、ちょっとだけやりたいことに気づけた。

自分の思考を「書く」という行為を通して客観視したら、ちょっとだけやりたいことに気づけた。

今年はこのnoteで100本目。
ああ、でも間に合うかな、紅白は蛍の光を歌い始めちゃったよ……

さてさて、どのnoteもそこそこちゃんと内容も主張もあるものばかりで、我ながらよく書いたな、と思う。相変わらずの自画自賛っぷり(笑)

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実はわたし、「こう思う」という論があれど、書くこと自体はそんなに得意でも好きでもない。
文章も思考の質も高い身近にい

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ライティングセラピーという癒し

ライティングセラピーという癒し

このクソ忙しいし原稿落としてお待たせしている状況なのにnote書いている場合じゃなくないか?と自分でも思う。

毎日20分程度。でも1日20分を1週間なら140分。ざっと2時間半。

この時間があればもうちょい寝れるだろうし、仕事なら図面1-2枚、原稿1本は仕上がる。溜まったメールの返信も書けるだろう。

なのに、なのにだ。なぜ書くんだ?
毎日?ちょっと頭おかしいんじゃないだろうか?

これはほぼ

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うまくいかないことが続くと、妄想力がつく。妄想力は、べつのとこで生かせる。

モンモンとした数や時間がおおいほど、イマジネーションゲージがたまるのです。ボカン🤗

エッセイとコラムのちがい

エッセイとコラムのちがい

「エッセイって、なんの意味があるんですかね?」

白いお皿にのった鶏肉にナイフをいれながら質問する。テーブルクロスの先に座っているのは、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の教授を務める柳瀬博一さんだ。

柳瀬さんは編集者として、矢沢永吉の『アー・ユー・ハッピー?』や『小倉昌男 経営学』、『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などヒット作を数多く作ってきた日経BP社の名物編集者だった。

東工大で教鞭をと

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「書きたい」と「書かなきゃ」の境界線

「書きたい」と「書かなきゃ」の境界線

ここまで私は内側から溢れ出るものを書かずにいられなく、欲求として文章を書いていることが多かった。
「書きたい」は抑え込むことはできても、自分を楽にするため、苦しさを和らげるために、救いのような道として書くことを位置づけていた。
けれど少し落ち着きを取り戻し調子が良くなってきた今、「書きたい」は「書かなきゃ」に移行しつつある時があるように思っている。

毎日更新を掲げていると、次第に義務感が生じてく

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どうでもいい話なんですよ、けどね、書きたいのです。

どうでもいい話なんですよ、けどね、書きたいのです。

なんだか今日は書きたいのに書けない。そんな時は"ここだけのどうでもいい話"で、書くリハビリをするのがいい。そのくらいゆるくていい。

今日はいつもよりずっとずっとゆるくいきますよ。
よければ最後までお付き合いくださいませ。

++

皆様、携帯電話は何をお使いでしょうか。
そして、どうしてそれを選んだのでしょうか。

お正月早々、ケータイに不調が現れた。私が使っているのはiPhone6。かれこれ3

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本の中で出会う人

本の中で出会う人

今読んでいる本のジャンルがある程度ニッチなものだからかもしれないが、このところ、読んでいる本の中に見知った人の名前を見つけることが続いている。

ただ、「見知っている」といっても顔見知りなわけではないし、ましてや向こうがこちらのことを知っているわけでもない。一方的に、著作等を通じて存じ上げているだけのことだ。それでもある本の中に見覚えのある名前を見つけると、「おぉ!」と思う。

例えば、最近はもっ

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本は良いなぁ

この頃時々ご紹介している初台にある「fuzkue」さんの店主である阿久津隆さんによる『読書の日記』(2018年、NUMABOOKS)。2018年の最終日である今日もいつものようにそれを読んでいて、2016年11月25日(金)の記述にこんなくだりを見つけた。

自分で変えられるとは思っていないからこそ気にならないでいられることがこの世界にはたぶんものすごく無数にあるということでもありそうで、変えられ

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「自分の言葉」をつくっていくために

「自分の言葉」をつくっていくために

ついつい、「他人がつくった言葉」に乗っかってしまう自分がいた。「考える時間がとれないから〜」なんて都合のいいことを言いながら、自分の考えを放棄していたように思う。

そんなとき、こんなnoteが目に入った。

日々、「この人の想いをどう伝えよう」と心を砕いていると、「自分の想い」と向き合う時間が減っていく。「日記とか書くぐらいなら、もったいないから仕事の原稿を進めよう」という現金な思考まで生まれる

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じんわり沁み入る優しいnote

じんわり沁み入る優しいnote

 整理整頓が苦手な私の枕元には本が何冊も積み上がっている。ベッドの物を置けるスペースにもだ。
 母からは時折冗談で「いつか(地震などが起こったら)本に埋もれて死ぬよ」と言われるが、そのたびに私はこう返す。
「本に埋もれて死ねるなら本望だよ」
 冗談か駄洒落か。実際は半分冗談、半分本気といったところだ。
 物心ついた頃から、私は本が好きだ。喋り出すのは遅かったが、文字を覚えるのは早かった。保育園の先

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言葉の波の、あっちとこっちで。

言葉の波の、あっちとこっちで。

タイムラインを覗けば同じ時間にこの"場"にいるのに、私たちの言葉は交わる事はなく、言葉の波は過ぎていく。

"まだ起きてるんだ。"

深夜2時。そう思っても、会話に発展するでもない。
リプを送ればいいだけだ。メンション付けてつぶやけばいいだけだ。

それでも、なんとなく勇気が出なくて、ただ眺めるだけの時間。

なんでもないような、構って欲しいような、そんな言葉を波に投げたりなんかして。けれどちっぽ

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作家チヨダ・コーキが教えてくれたこと

作家チヨダ・コーキが教えてくれたこと

一部の層にしか受けない作品。大人には通用しない作品。もし自分の作品がそんな風に評されたら、あなたならどう思うだろう。
今の自分のスタイルを曲げて、万人受けしやすいものを学んで改善する?
心折れて作ることをやめる?

「チヨダ・コーキはいつか抜ける」

中高生に人気の作家、チヨダ・コーキ。多感なお年頃に熱中し、年を重ねるとスッと抜けるように過ぎてしまう彼の作品は、そう評される。

彼の処女作である「

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今日の「10分間」で書けること

たまたまご縁あって、ぬえの松倉さんにお会いして、お話を聞くことができました。毎日noteを書いていて、このまえ365日達成したそうです。

そのとき聞いたことが、今も頭の中に残っています。

それは、デバイスを問わず・本文から書きはじめて(書き終えた後にタイトルをつける)、10分間で書ききること・見直しはせず誤字脱字は気にしないこと。

それを自分に課していたそうで、その制約があったからこそ毎日書

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あなたの書くと、わたしの書くは

あなたの書くと、わたしの書くは

キッチンタイマーさんの「架空の聞き手を心に住ませる」を読んでいて、ふと思った。

そういえば聞き手を想定して書く…ということはしたことがないかもしれない。 自分にとって書くことというのは、話し手になるというより聞き手になっている感覚に近いからだろうか?
 
"書きたい"の種をみつけたら、まず頭の中でそれに纏わるお喋りが始まる。考えや感覚がまだ曖昧な部分では声が止むので、立ち止まってもっと深い

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