記事一覧
11月1日 義務すぎるおもんねえ投げやり
11月1日、寝坊なんかしないと思っていたらしてしまい、洗濯なんかできないと思っていたらできた。寒いと思っていたらあったかくて、この人には会えないかなと思っていたら会えた。立ちっぱなしだと思っていたら座りっぱなしで、あんまり人は来ないものだと思っていたら案外人が来た。休憩なんかないと思っていたらあり、勤務時間内に酒を飲むはずないと思っていたら飲んだ。そのせいかはわからないけれど、ふわふわしている。
ふたつ目がこっちを見てらぁ
「たまたま」という言葉がある。
これを読んでいる皆様方におられては、そのご意思如何に関わらず、この「たまたま」の二つの意味をご存知だろう。
そしてそれはきっと、決められた道で通学していたような頃に得た知識だろう。
「たまたま」には主に二つの意味がある。
・偶然
・キンタマ
何言ってんの、とは俺も思ってるさ黙ってろよ。
喧嘩腰のその腰の下部に視線をやりながら、僕は驚いたふりをして猫にすり寄
お金を貯めて一人暮らしするんだー!
母と二人で住んでいる。
父には、優しいねって言われた。
僕が仮に優しいのだとしたら、父が優しくなかったからなので、苦笑いした。
僕は自分の決断を後悔していないし、誇ってもいない。
人は、優しさなんかで人と一緒に住んだりはしないんだよ、たぶんね。
母と二人で住んでいる。
母には、年金も入るしおじいちゃんがお金を残してくれたから、お金のことは心配しなくていいよって言われた。
もう年金をもらう
チョコが染み出たコアラのマーチ
秋が待ち遠しくて、「赤黄色の金木犀」を聴いてみた。
「春はあけぼの、夏は夜、秋はまさひこ、冬はつとめて」といわれるように、秋はフジファブリックが一番良い。
富士五湖文化センターで歌った「茜色の夕日」の動画を見ると、春でも泣いてしまうのだけど。
ともあれ、期待外れなほど感傷的にはなりきれなかった当時に、簡単に引き戻されたから、この文章を書き始めた。
「コアラのマーチ」について考えている。「コアラ」
渋谷と親と投球フォーム
コロナは嘘、らしい。
本当か嘘かなんて興味がないのでその結論に辿り着く根拠は知らないけど、そうらしい。
渋谷が苦手だ。人が多いことや、そこにいる人の相容れなさや、理由はいろいろあるけど、なるべく近づきたくない。
と、前々からそう思ってはいたけど、その思いが増した出来事が、いつぞやあった。
スクランブル交差点。
行き交うのは人ではなく、愛や憎悪、性や金だという。
恐る恐る近づくと、「コロナは嘘だ