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とりあえず平和をひとつください

飲み会には「とりあえずビール」という文化がある。たぶんある。 ほとんど幼い頃からの憧れで、僕もそのようにしている。 ほとんどっていうのはそりゃあ優柔不断とか、そもそもビールが好きとか、そういうのもあるからに決まってるだろうがふざけんじゃねえ!!! と、時々コントみたいに心をわざと荒ぶらせながら、心の平穏を保っているのが僕の常です。 つ、つ、ツネって言っても2700のじゃないからね! というようなお茶目もまた見せていきながら。 2700好きだったんだなたぶん。 ああなんだか

    • 11月7、8日 在宅勤務と肉体労働

      寒と暖。陽と陰。上と下。苦と楽。 正義と悪。夢と現実。 世の中には、反対に位置しているとされるものがある。 在宅勤務と肉体労働。 これもそれにあたるだろうか。 7日、たぶん久しぶりの在宅勤務だった。そして8日、肉体労働だった。 在宅勤務で一日中机の前にいたかと思えば、肉体労働で一日中体を動かした。 飴とムチというほどではないにしても、いささか体は驚いているようで、ずいぶんぐったりしている。 電車でうっかり座れたために、寝過ごしてしまったことにはかなりむかついている。 ネットサ

      • 11月3、4、5、6日 三連休とトゥデイ

        素晴らしい三連休を終えた僕は、電車に乗っていた。会社に行くためだ。 めんどくせえという気持ちもそこそこに、この三連休のことを思い出していた。 一日目。 ジャパンモビリティショーに行った。会社の元同期と大学の友人という謎のメンバーで時々遊んでいる。元同期に出会った時から、その友人と馬が合うだろうなと思っていたのが、最近証明されたためである。そんなうまい話もあるものなんですね! 夜には会社の後輩も合流し、小宴会をした。 皆と解散し、恋人に会った。この先の話や、二人の関わり方につい

        • 11月2日 カメラのおかげか

          11月2日、あれよあれよと11月も2日が過ぎてしまった。 なんかカメラマンをして、溜め込んでた仕事を片付けて、仲良しの、入社1年目の時の上司と飲んだ1日だった。 酔っ払っているので、ちょっともうあんまりよくわからないのだけど、大好きな人と飲めたのもあり概ねハッピーである。 あとカメラマンが思っていたより楽しかったな。 カメラにはずっと興味があり、仲の良い友人にカメラに詳しい人もいるのだけど、結局手を出せていない。 少しだけ「ワイルドライフ」の話をする。その言葉を借りれば、人は

        とりあえず平和をひとつください

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        • 日記
          6本
        • 小説
          2本
        • 映画
          2本

        記事

          11月1日 義務すぎるおもんねえ投げやり

          11月1日、寝坊なんかしないと思っていたらしてしまい、洗濯なんかできないと思っていたらできた。寒いと思っていたらあったかくて、この人には会えないかなと思っていたら会えた。立ちっぱなしだと思っていたら座りっぱなしで、あんまり人は来ないものだと思っていたら案外人が来た。休憩なんかないと思っていたらあり、勤務時間内に酒を飲むはずないと思っていたら飲んだ。そのせいかはわからないけれど、ふわふわしている。

          11月1日 義務すぎるおもんねえ投げやり

          10月31日 精神衛生が永遠のテーマ、怒らない怒らない

          10月31日、いらっしゃいませとありがとうございましたとthank youが最多発言語句だった。 来訪を歓迎するやわらかな気持ちで始まり、感謝で終わるだなんて、なんて素敵な時間なのだろうかとピュアな気持ちの時もある。 ただ、大概はこの週1(なんですけどね)で接客をする日は最悪な気持ちになってしまう。 ところが(どっこい)今日はとてもハッピーな気持ちで帰っている。 なんでかな。 たぶんやさしいお客さん(普通の、ともいえる)が多かったから、ではないかと思う。 いつも、当たり前にタ

          10月31日 精神衛生が永遠のテーマ、怒らない怒らない

          10月30日 2日続いているだけでもすごい。

          10月30日、僕は主にメールを打っていた。 先週出張に行った先でお世話になった方へ御礼を申し上げながら、一緒に行った同僚に出張の後処理でわからないことがあればなんでも言ってねと言った。メールで。 後輩に早速わからないと言われ、不十分だったかといささか反省した。 それから別の後輩からのお願いをわずかに叶えていると、取締役に捕まり、帰りが遅くなるなどした。同行した元上司の感想そのほかを聞けたのが有意義だったので、帰りが遅くなってもそんなに嫌な気持ちにはならなかったが、ここに書くぐ

          10月30日 2日続いているだけでもすごい。

          スヴェン・ギー・エングラー

          10月29日、僕は浦和を歩いていた。 西なんちゃらの公園で恋人との素晴らしいひとときを過ごしたのち、浦和駅で一人になった。 せっかくだから昔住んでいた浦和の街を散策してやろうと思ったのだ。 パルコへ行くと、もうフレッドペリーはなく、まだグリーンレーベルはあり、もうgrnはなく、縮小こそすれまだタワレコはあり、もうスミスはそこにはなく、まだスミスはそこにはあった。 拡張されたような気のするザラを通り裏口から外に出た。 住んでいた家へと歩くことにした。 多少は地図を見ながら歩いて

          スヴェン・ギー・エングラー

          映画を見たよ

          「CLOSE/クロース」という映画を見た。 何にも予定がない休日は、まず出かけようか、出かけまいか、と考える。 別にやりてえこともないしなあ、やめとくか、と大抵なる。 1人で出かけようということになる時は、たぶんどうかしている。1人で出かけてあー楽しい満足!と帰れた試しなどないからだ。 僕の起点は結局帰ることにある、家にあるんだ。 その日はたぶんどうかしていたので、吉祥寺へ行くことにした。バスで行けるからだ。バスに乗るのが好き! ほいじゃあキャップでも見に行こうかな、そう

          映画を見たよ

          まだ知らない。

          僕はまだ知らない。 彼らが何をしていたのかを。 中学2年生への進級を機に、鹿児島から埼玉に引っ越すことになった。 小学3年生の頃にも引っ越しは経験していたけど、その時とは訳が違った。 僕には5年ぐらい一緒に野球をしていた仲間がいたし、一緒に馬鹿になれる友達がいたし、厄介な先輩がいたし、何度も登った坂道があったし、それを登った先には小学校と中学校があったし、部屋にはロフトがあった。それから時には、火山灰も降った。 あと、僕は少しずつ感情を言い表すいくつかの言葉を覚え始めてい

          まだ知らない。

          それでもあなたが好きでした。

          お店で店員さんに声をかけられるのが苦手だ。 前よりは少しだけ大丈夫になったけど、それでも、あーちょっと今、人と話したくないねんけどなあ、ということはある。 どちらかが悪いとかは別に思っていない。 高校2年生から大学1年生まで、通い詰めていた洋服屋さんがあった。 「おしゃれ」というものに「目覚めた」のが高校2年生ぐらい。そのきっかけは友達と、その友達に勧められた「さらば青春の光」という映画だ。あるいはピートドハーティ。 そんなこんなで英国っぽい服装に憧れを抱いた。 遠出

          それでもあなたが好きでした。

          ふたつ目がこっちを見てらぁ

          「たまたま」という言葉がある。 これを読んでいる皆様方におられては、そのご意思如何に関わらず、この「たまたま」の二つの意味をご存知だろう。 そしてそれはきっと、決められた道で通学していたような頃に得た知識だろう。 「たまたま」には主に二つの意味がある。 ・偶然 ・キンタマ 何言ってんの、とは俺も思ってるさ黙ってろよ。 喧嘩腰のその腰の下部に視線をやりながら、僕は驚いたふりをして猫にすり寄りその名前を呟くのさ。 そんな冗談を言いながら、たまたま、とタマタマ、を交互に

          ふたつ目がこっちを見てらぁ

          お金を貯めて一人暮らしするんだー!

          母と二人で住んでいる。 父には、優しいねって言われた。 僕が仮に優しいのだとしたら、父が優しくなかったからなので、苦笑いした。 僕は自分の決断を後悔していないし、誇ってもいない。 人は、優しさなんかで人と一緒に住んだりはしないんだよ、たぶんね。 母と二人で住んでいる。 母には、年金も入るしおじいちゃんがお金を残してくれたから、お金のことは心配しなくていいよって言われた。 もう年金をもらうような歳なんだねって笑ってみた。 そんな歳なのよって言われた。 人は、お金で

          お金を貯めて一人暮らしするんだー!

          チョコが染み出たコアラのマーチ

          秋が待ち遠しくて、「赤黄色の金木犀」を聴いてみた。 「春はあけぼの、夏は夜、秋はまさひこ、冬はつとめて」といわれるように、秋はフジファブリックが一番良い。 富士五湖文化センターで歌った「茜色の夕日」の動画を見ると、春でも泣いてしまうのだけど。 ともあれ、期待外れなほど感傷的にはなりきれなかった当時に、簡単に引き戻されたから、この文章を書き始めた。 「コアラのマーチ」について考えている。「コアラ」部分はわかるけど、「マーチ」部分がわからない。調べてみると、楽器を持っているコア

          チョコが染み出たコアラのマーチ

          渋谷と親と投球フォーム

          コロナは嘘、らしい。 本当か嘘かなんて興味がないのでその結論に辿り着く根拠は知らないけど、そうらしい。 渋谷が苦手だ。人が多いことや、そこにいる人の相容れなさや、理由はいろいろあるけど、なるべく近づきたくない。 と、前々からそう思ってはいたけど、その思いが増した出来事が、いつぞやあった。 スクランブル交差点。 行き交うのは人ではなく、愛や憎悪、性や金だという。 恐る恐る近づくと、「コロナは嘘だ」というのぼり旗が左手に見えた。その隣でマスクをしていない女性が叫んでいたのも、

          渋谷と親と投球フォーム

          並だが、溢れそう。

           ここのところずっと、なんだか泣きそうである。  こめかみのあたりを、といっ、と人差し指ででも押されようものなら、それだけで涙が出てしまうという確信があるぐらいには、泣きそうである。  こんなのは別に平常運転のような気もするので平静を装う。装うが、夜になると無性に散歩したくなる。散歩したい時、僕はヤバい。ということだけは、付き合いが長いのでわかっている。装いは外される。  しかし、特別に辛いことがあったのかと問われれば、よく、わからない。真摯に考えるのは、いつでも怖い。

          並だが、溢れそう。