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アンティークコインの世界 | ウィルヘルミナ女王の2•1/2グルデン銀貨

今回は、オランダの美しき女王ウィルヘルミナを描いたコインを紹介していく。オランダのアンティークコインは、マイナーなジャンルかもしれない。英米独仏などの国と比べると種類も少なく、また知名度としてもそれらには劣る。だが、オランダのコインも他のコインに負けず劣らず素晴らしい魅力を実は秘めている。

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発行国:オランダ王国ユトレヒト造幣局(Utrecht, Netherlands)
発行年:1898年(単年号発行)
発行数:100,000枚
彫刻師:P. Pander
銘文表:WILHELMINA KONINGIN DER NEDERLANDEN(Wilhelmina Queen of the Netherlands オランダのウィルヘルミナ女王)
銘文裏:MUNT VAN HET KONINKRIJK DER NEDERLANDEN 1898 2 1/2 G(Coin of the Kingdom of the Netherlands オランダ王国のコイン 1898年 2•1/2グルデン)
銘文縁:GOD ZIJ MET ONS(神と我々と共に)
額 面 :2•1/2Gulden
材 質:銀(Silver .945)
状 態:UNC(未使用)
直 径:38.0×2.5mm
重 量:25.0g
分 類:DAV237、KM123


コイン市場では、オランダのコインは比較的高額で取引される傾向にある。もちろん、ものにもより、晩年のウィルヘルミナ女王のコインなどは安価で手に入るが、発行枚数が他国に比べると少ないことと、ウィルヘルミナ女王の若い肖像が美しいことから特に人気が高い。最も人気が高いウィルヘルミナの肖像は、即位当時の幼女像とこれから紹介する18歳頃の肖像である。1898年に発行された彼女の肖像は、大人と子どもの中間と言える頃合いの年齢であり、絶妙な美しさを秘めている。ウィルヘルミナを描いたコインは年代によって肖像が変わっていくため、コレクターを楽しませてくれる。幼女→少女→壮年→晩年とリアルタイムで肖像が変遷していく。まさしくイギリスのエリザベス2世のコインと同じである。

ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが永遠の若さと活力のイメージをアピールするために死の直前まで30代の若い肖像を刻ませたのに対し、こうしたヨーロッパ諸国では、年齢の経過に伴った肖像を描いた。ローマ帝国でもネロ帝の治世のコインでは、ネロが少年の姿から大人になっていく過程が見られる。また、五賢帝時代でもマルクス・アウレリウス帝やコンモドゥス帝のコイン肖像は、幼少期から壮年期まで年齢の変遷を忠実に描写した。むしろアウグストゥスのような時の経過を感じさせない肖像を刻ませ続けた例の方が特殊なのかもしれない。この思想はオリエント地方から来ており、特に古代エジプトでそうした考えが強かった。エジプトの制圧と属州化をアウグストゥスは生涯誇りに思っており、自身の業績録にも過度に誇張した形で紹介している。彼が使用した契約印章は、エジプト属州の獲得を象徴するスフィンクスの図柄であったし、強き専制君主を絶対とするオリエントの思想や表現スタイルに多少なりとも影響を受けているのかもしれない。実際、彼は「市民の第一人者」という形を採り、自身が王、すなわちREX(レックス)であるとは宣言しなかったものの、権限は事実上の王権に相当し、元首政と呼ばれる共和政ローマにはなかった新しい統治方法を確立していた。

さて、どうしても話が古代方面に行きがちなので、オランダの話に戻そう。「古代コインは原点にして頂点」という信条を持ちながら現在に至るまでコレクションを行ってきた立場ゆえ、どうにも話題が古代に行きがちかもしれない。とはいえ、古代の文化や風習をベースに後継の国家は成立しているため、古代ローマのコインの知識は、近代西洋貨幣を学ぶ上で全く無駄にならないことは自信を持って言える。

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ウィルヘルミナ女王(Wilhelmina I 生没:1880〜1962年 在位:1890〜1948年)を描いた2•1/2グルデン銀貨。表側には18歳頃のウィルヘルミナの若々しい肖像画描かれている。

1890年に父ウィレム3世の崩御によりウィルヘルミナが即位した時、彼女はまだ10歳だった。当時、彼女は世界最年少の女王であり、実権は母のエンマ王妃に握られていた。それから彼女は二度の世界大戦を経験し、ヨーロッパ列強に翻弄され続ける運命を歩む。特にナチス党率いるドイツの軍勢に苦しまされ、王国を占拠されたために国外逃亡を余儀なくされた。

ウィルヘルミナの肖像の周囲には下記の銘文が刻印されている。「WILHELMINA KONINGIN DER NEDERLANDEN」。英訳と邦訳の試訳を参考までに記述すると下記のような意味となる。「Wilhelmina Queen of the Netherlands」、「オランダのウィルヘルミナ女王」。

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裏側にはオランダの国章が描かれている。こうした盾紋章を「エスカッシャン」と呼ぶ。冠を戴く盾の中には剣と弓を握るライオンが描かれている。後ろ脚二本で立ち上がるライオンの構図は「ランパント」と呼ばれる。こうした構図には複数の種類が存在するため、下記で紹介する。

ランパント
後ろ脚で立ち上がった姿

パッサント
四つ脚で歩く姿

セジャント
座った姿

デミ
上半身だけの姿

ギャム
脚だけの姿


エスカッシャンの周囲には、銘文が刻印されている。銘文の内容は下記の通り。「MUNT VAN HET KONINKRIJK DER NEDERLANDEN 1898 2 1/2 G」。英訳と邦訳の試訳を参考までに記述すると下記のような意味となる。「Coin of the Kingdom of the Netherlands」、「オランダ王国のコイン 1898年 2•1/2グルデン」。

また、このコインには、実は細分類があるので下記に列挙する。あまりに細かい差異なので、かなり意識しないと全て同じに見えてしまうのだが、微妙に異なっている点が非常に興味深い。

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【1898 P.PANDER Type】
PとPANDERの間にコンマを挟むタイプ。このヴァージョンが最も多く、発行枚数全体の85%がこのタイプに分類される。

【1898 P PANDER Type】
PとPANDERの間にコンマを挟まないタイプ。このヴァージョンは少なく、全体の18%がこのタイプに分類される。

【1898 P.PANDER Proof Type】
PとPANDERの間にコンマを挟むタイプでプルーフが存在する。このプルーフ仕様のものが最も珍しく、全体の3%ほどしかない。


次は、ウィルヘルミナの晩年に発行されたコインを紹介する。

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図柄表:ウィルヘルミナ
図柄裏:オランダ王国国章
発行地:オランダ王国ユトレヒト造幣局
発行年:1930年
銘文表:WILHELMINA KONINGIN DER NEDERLANDEN(オランダのウィルヘルミナ女王)
銘文裏:MUNT VAN HET KONINGRIJK DER NEDERLANDEN 2 1/2 G 1930(オランダ王国のコイン 2・1/2グルデン 1930年)
銘文縁:GOD ZIJ MET ONS(神と我々と共に)
額面:2・1/2グルデン
材質:銀(.720)
直径:38×2.5mm
重量:25.0g
分類:KM165


実は、本貨になってから銀の品位が.945から.720までとだいぶ低下している。第一次世界大戦の影響等、国家情勢の低迷が窺える。ウィルヘルミナの父ウィレム3世の時代も.945を保持しており、先述したウィルヘルミナの青年期でも.945の銀含有率を保持していた。だが、この時代になると.720まで品位を落とさなければ、製造と供給のバランスが取れない事態に陥っていた。

コインの表面の輝きを比べて見てみると、その違いが分かる。古いタイプの方が銀本来の色に近い白味を帯びた発色だが、新しいタイプは銀の含有率が低いため、鈍い色味で輝きに欠けるのが分かるだろう。まだ.720程度であれば誤魔化しが利くものの、これが.500を下回るいわゆるBillon(ビヨン)と呼ばれるところまで品位が落ちると、色味の悪さが明らかに目立ってくる。

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髪を結って整えた美しきウィルヘルミナ女王を描いた2・1/2グルデン銀貨。先の肖像と比べると、だいぶ大人っぽくなったのが分かる。大人の女性の落ち着きを感じさせるような美しい肖像である。

美しき女王ウィルヘルミナを描いた大型銀貨は、世界中から人気を誇っている。通常貨として一般で流通したこの種のコインは大抵の場合ひどく摩耗し、彫刻の鮮明さが失われている。だが、本貨はウィルヘルミナの瞳まで明瞭に残す良好な状態を保っている。

このコインが発行された頃には、ウィルヘルミナは第一次世界大戦を経験している。だが、ヨーロッパの世界情勢はまだまだ安寧を得ることができず、1939年にナチス党ドイツがポーランドに侵攻したことで、第二次世界大戦が勃発した。オランダは中立の立場を維持するも、翌年にはドイツがフランス侵攻を行い、その勢いでついにはオランダもその手に落ちた。ウィルヘルミナは、親交の深いイギリスの国王ジョージ6世に救援を要請し、ドイツの追っ手から逃げ落ちた。その後、イギリスに入国した女王はロンドンで亡命政府を樹立した。彼女はラジオ放送で祖国オランダの市民に語りかけ、反ドイツのレジスタンス運動を支え続けた。

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裏側には先述したコインと同じエスカッシャンが表されている。だが、エスカッシャンの左右に表されたタツノオトシゴとカドゥケウスの意匠が興味深い。カドゥケウスは古代ギリシア神話の伝令神ヘルメスの持ち物であり、翼付きの杖に蛇が巻きついた形をしている。カドゥケウスはラテン語であり、ギリシア語ではケリュケイオンと呼ばれ、意味としては伝令杖を指す。当時は、ヘルメスが商業を司る男神ゆえ、商業のシンボルとして使用された。

また、「2・1/2」という半端な単位が興味深い。この値はローマ帝国で発行されていたセステルティウス黄銅貨に由来したものであり、セステルティウスは「2・1/2アス」の価値を持った。ローマ帝国の影響と痕跡が垣間見られる興味深い例である。現在「2・1/2」という数字を用いた額面は、EUで発行されたユーロコインにも継承されている。


以上、二枚のウィルヘルミナ女王のコインを紹介した。私は彼女が描かれた2•1/2グルデン銀貨が以前から好きで、収集当初から何故だか不思議と惹かれるものがあった。国名や詳しいことが分からなくても、何故だかパッと見た感じで良いなと思ったことを今でもよく覚えている。コインの大きさと、やはりウィルヘルミナの肖像の美麗さが印象に残る大きな要素だったのだろう。日本ではオランダのコインを積極的に収集している人は少ないかもしれない。それでも、この記事が新たな収集意欲と学びのきっかけとなれば、それほどの幸いはない。


Shelk 詩瑠久🦋





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