井戸川射子『この世の喜びよ』をよむ。

突然母から新聞片手に呼び止められたのなんて何年振りだったでしょうね。

別に仲悪いとかそういう訳ではなくて。書けば書くほど墓穴を掘りそうなのでやめますが、幼い頃から面識ある女性がいつしか作家さんになり、芥川賞までもらっちゃったんですから凄い時代です。でいて世間はあまりに狭い。レビューが賛否渦巻くところまででワンセットですから、特に目もくれずにレジへと持っていった。恐らく表題作の舞台と思しきショッピングモール。

この「喪服売り場」がどこを指しているのか、「フードコート」は何階どの辺りに位置しているか。私小説であるという確証はどこにもないとはいえ、彼女は関西学院の卒業生ですから。そりゃあガーデンズのことじゃんねえ。他意はありませんがやはり駅直結型のショッピングモールとあって、様々な人間模様が日々交錯する場所。つまりエピソードの宝庫という訳です。

いくつか抜粋でご紹介します。スルー推奨。

幼いきょうだいの世話役を半ば強引に任されたことがあります。「買い物に行ってくるから、あのお兄ちゃんに見といてもらいな」イヤホンしているのを良いことにどうせ聞こえてないんでしょくらいのテンション感でしたが、本当に勘弁していただきたい。結局母親は、30分くらい待っても全然帰って来ませんでした。席を譲ったお礼に手作りパンをもらうことも結構多い。

本当は食べたいけれどごめんなさい、自分、売れっ子声優なんで。行きつけの格安ヘアカット店にわざわざ差し入れを届けるおじさま、ご存知ですか。ポケモンゴだかドラクエウォークだか今ひとつ判然としませんが、謎時間帯に謎人だかりが生まれるあの光景はもう現代社会と表現する他ありません。割とガッツリ話し込んでしまう顔見知りの前歯ないおじちゃん、通称天使。

無味乾燥な中にこそドラマがあり、平坦だからこそ細かな起伏が際立つ。

「あなた」を用いて作品性を膨らませていったのには、何かそうした意図があったのではと感じました。ローラーコースターモノを渇望したり、ありもしない伏線回収につい追われがちなのはある種、コロナ禍以上の社会病理。だからこそいついかなる心理状態の「あなた」にも読んでもらえるように、いつも新鮮な読後感を味わえるようにと工夫されたギミックだとしたら。

「衣食住」モチーフとしての喪服とフードコート、そのパイプ役を担うのが記憶力だという構図でしょうか。これもなにかこう普遍的な価値を描くのだという強い意思表示と見えた。ところが読み進める内だんだんと、あれこれガーデンズじゃなくね、むしろコロワ甲子園なんじゃねと思わされてきた。ゲームコーナーとか球場の近くなんて設定を目の当たりにしたものだから。

ぶっちゃけ、場所なんてどこだって良いんですけれどね。

当初「喪服売り場」を死生観の反映として読者に印象付けた上で、日本社会が抱える「One Of Them」観に紐付け得意の現代詩的語り口へすり替えて、踵を返すさまは非常に痛快でした。途中、小説を読んでいるような散文詩を読んでいるかのような時系列をグラデーションにした不思議な表現力に魅了されるのは氏特有の感性あるいはバランス感覚と言えそうです。

少女と出会い再認識した子育ての喜びを自分から発信しようと覚悟する場面で終わる。所謂「俺たちの戦いはこれからだ!」論法ではありますが不思議と嫌悪感はなく、むしろ見違えるほど雄弁に変わった「あなた」は非常に力強く映る。呼び起こされた記憶ですらより強烈な記憶で上塗りしてしまう、それこそが井戸川先生の辿り着いた喜びなのだと思います。

「この世には素晴らしい信仰がある」ガーデンズの一角で呼び止められた。

不思議ですね、ちょうど表題作中盤を読み進めていた頃にいかにも優しそうな風貌のご婦人から。丁重にお断りをすると、変に食い下がるでもなくまた振り向き様にも表情一つ変えず立ち去っていった。あれはもしかすると新興宗教家などではなく、「あなた」だったのかもしれない。彼女の中で何かが弾けて、あるいは交わりそうもなかった点と点とが不意に一線で結ばれて。

「心と口と行いと生活で、イエス・キリストを証ししなさい。」の一節で知られるバッハの名曲は、最後に『主よ、人の望みの喜びよ』というコラールで締め括られる。『この世の喜びよ』という響きにはキリスト教主義の影響を感じずにはいられませんでした。関西学院の先輩として、誇らしく嬉しく思います。この度の受賞、本当におめでとうございます。


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