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したたかに生き愛を生むガイドブック

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茶々から学ぶ、したたかな生き方
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#運命

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二十三話 すべて自分が望み、引き寄せた現実

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二十三話 すべて自分が望み、引き寄せた現実

すべて自分が望み、引き寄せた現実

慶長19年8月、秀頼は秀吉の17回忌に京都の方広寺で大仏の開眼供養の準備をしていた。
5年の月日をかけ、大仏殿を再建した。
そして4月に出来上がった梵鐘に「国家安康」と記した。それを知った家康が吠えた。「これは家康の名前を分割したもので、豊臣は徳川家康の死を願っている」そう言いがかりをつけた。
家康は秀頼が成長するにつれ、彼に人望が集まるのを怖れていた。
何らか

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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二十二話 自分を束縛しているのは、自分

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二十二話 自分を束縛しているのは、自分

自分を束縛しているのは、自分

妹の江の長女で、家康の孫娘でもある千姫。豊臣に嫁に入った千姫は秀頼にひかれ、私にあいさつに来た。

「お母様、どうぞよろしくお願いいたします」と頭を下げた七歳の千姫の愛らしさにみなは、ほぉ、とため息をもらした。私は秀頼の母として威厳を保ち

「千姫、これから豊臣のために尽くして下さい」と言った。千姫は神妙な顔でこっくりうなずいた。私と千姫のやりとりを、秀頼が少し心配

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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二十話 愛しすぎると人は・・・

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二十話 愛しすぎると人は・・・

愛しすぎると人は・・・

秀吉という後ろ盾を失った私は、秀吉の遺言に従い秀頼と共に大阪城に移った。私は息子の生母、豊臣の母として誇り高い女王のように胸を張って入城した。秀吉亡き後のこの城こそ、私の城だ、という感覚があった。ようやく私は自分の根城を見つけた。だが女王はもう一人いた。一見穏やかな顔で私達を出迎えた寧々だ。秀吉は私に、自分の亡き後は寧々と手を取り合い秀頼を補佐するよう命じていた。あの女と

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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十九話 自分の存在価値を認める

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十九話 自分の存在価値を認める

自分の存在価値を認める

三歳の秀頼と私は伏見城に移り、秀吉と暮らし始めた。この年、秀吉は自分が亡くなった後でも豊臣政権が盤石であるよう、秀頼に継承するためのバックアップ体制を整えた。
秀吉はいつも幼い秀頼を抱きかかえ、家来達との会議や彼らに命令を下した。秀吉なりの帝王学を、秀頼に肌身で学ばせていた。
秀頼は自然と上に立つものの器に育っていった。私はそれが何よりもうれしく、誇らしかった。

慶長3

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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十八話 運は強気なものに味方する

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十八話 運は強気なものに味方する

運は強気なものに味方する

日に日に、秀吉の拾への溺愛ぶりが増していった。鶴丸の時と同じように、いやそれ以上に秀吉は拾いを可愛がっている。

私も拾が、可愛くて愛おしくたまらない。
毎日我が子を抱いて自分の乳を与えるなど、鶴丸の時にはなかった。
乳を飲ます内、これが我が子、という愛着がますます深くなる。
乳はいくらでも湧いて出た。

私が拾に乳を飲ませている姿を、秀吉は目を細めうれしそうに見ていた

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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第三話 傷つくのはこわいですか?

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第三話 傷つくのはこわいですか?

傷つくのはこわいですか?

城から出た私達姉妹は、母の実家の織田家に預けられた。
織田家で私達は肩を寄せ合うように過ごした。けれどそこは、母から聞いた華やかな織田家ではなかった。
織田の後ろに、いつも秀吉がいた。私達の親代わり、という名目で時折訪れる秀吉に、織田家の人々はみなペコペコ頭を下げ、彼の顔色をうかがった。私は自分の部屋で、じっとその様子を眺めた。秀吉は大声で笑いながら首を伸ばし、キョロキ

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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二話 愛されている自信がない

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二話 愛されている自信がない

愛されている自信がない

私は自分の名前が、すきではなかった。
「茶々」この名によい思い出など、ほとんどない。

私は父浅井長政と母お市の長女として生まれた。
初と江という妹達も生まれた。
妹の初と江は「浅井」も「織田」も背負わされることなく、自由だった。
でも母は長女の私だけに
「あなたの中に、浅井と織田の血が入っている。
なんとしても、その命を守りなさい」
と言い聞かせ育てた。あの頃はどうして

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