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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第三話 傷つくのはこわいですか?


傷つくのはこわいですか?

城から出た私達姉妹は、母の実家の織田家に預けられた。
織田家で私達は肩を寄せ合うように過ごした。けれどそこは、母から聞いた華やかな織田家ではなかった。
織田の後ろに、いつも秀吉がいた。私達の親代わり、という名目で時折訪れる秀吉に、織田家の人々はみなペコペコ頭を下げ、彼の顔色をうかがった。私は自分の部屋で、じっとその様子を眺めた。秀吉は大声で笑いながら首を伸ばし、キョロキョロ私を探した。そんな彼に吐き気を覚えた。彼こそ父や母の仇。憎しみと怒りで固く握った爪が肌を食いちぎり、掌に赤い血がにじんだ。それなのに心の奥で「これが戦国の世の下剋上。強いものがすべてを手に入れる」とさめた目で彼を見ていた。

伯父さえできなかった天下統一を、どのように彼が成し遂げるのだろう?
伯父信長、浅井の父、柴田の父、彼らと秀吉は何が違うのだろう?
仇である秀吉に興味を持つ自分に驚き、私はプイッと自分を見つけた秀吉の視線から顔をそむけた。

翌年、秀吉は十三歳になった妹の江を従兄の佐治一成に嫁がせた。だが、初の結婚は一年足らずで終わった。しばらく一緒に過ごしたが二年後、今度は秀吉の養子羽柴秀勝に嫁がされた。その頃、十七歳の初も従兄の京極高次に嫁がされた。十八歳の私一人だけどこにも嫁がされず、残された。

秀吉が私をどうしたいのか?黒い予感が私の胸を覆った。思えば私達がこの城での暮らしに落ち着くと、秀吉は戦の合間を縫い、たびたびやってきた。
「おみやげをお持ちしました」と言いながら、満面の笑みで私達に豪華な着物や小間物を広げ、お菓子と一緒に渡した。私は姉妹を代表しお礼を言い、お茶を飲み話を聞いた。彼の相手をしたのはいつも私で、彼もそれを望んだ。もらった着物を手に取り、貧乏人の成り上がりものだがセンスは悪くない、と私はホッとした。そして次に彼が訪れた時は、受け取った着物を身に着けた。そうすると彼が「よくお似合いになる!」と飛び上がって喜ぶ。それを知っていた。やはり私も彼の機嫌を取る織田家の人間だ。

秀吉の話は、とても面白かった。
彼は三十も年上なのに、十八の私にどこか気を遣っているように見えた。
それは柴田の父と母の関係に、どこか似ていた。
最初はそれが、自分の元城主の姪で父や母を倒した彼の罪の意識から来ている、と思った。
しかし彼はねっとりした目つきで私を見て、隙あればボディタッチをし触れようとした。私を口説くような言葉もあった。それは父親代わりではなく、私を女とみる男の態度だった。私はしっかり自分をガードし、失礼にならない程度にはねつけた。

私はこれまで、男を好きになったことがない。
ほのかに好意を抱く男はいたし、恋されたこともある。
でも私は人の心を信じられない。もともと慎重な性格な上、私の耳に
亡くなった母の言葉がこびりついている。

小谷城を出た母は幾度も恋をし、私にささやいた。

「ねぇ、茶々。
恋は何度してもいいのよ。
恋は、心を縛らない。
でもね、愛には気をつけるのよ。
愛は、心も身体も縛るの。
だから、本当に愛を知ると苦しい。でも、とても幸せな苦しみよ」
母の恋の相手はいくらでもいたから、母は一度きりの逢瀬に不自由しなかった。

そんな軽い恋を楽しむ母を見ながら「心って、そんなもの?
自分で軽々コントロールできるもの?」と私は心の中で母に問いかけた。でも怖くて聞けなかった。数々のアバンチュールを経て伯父を失った母は女を閉じ、柴田の父に嫁いだ。私は学んだ。自分さえしっかり閉じていれば、誰にも惑わされず、翻弄されない。だからしっかり心に鍵をかけてた。私は人の心を信じない。信じられない。
心を閉じていれば、何にも傷つかない。傷つくのが、怖い。

だからいくら秀吉が私に好意を持ち言い寄っても、受け入れなかった。女好きの彼のことだ。今は私に夢中でも、いつ心変わりするかわからない。
どうせ見た目が母に似ているから、秀吉は私に母の面影を見ているだけ。そう思い邪険にしていたら、どんどん私への贈り物が増え、織田家の人達も躍起になり、私と秀吉を近づけようとした。

ある夜、彼から
「今日は満月だから、一緒に庭で月見をしよう」
と誘われた。
もちろん断れるはずもなく、渋々一緒に庭に出た。

庭の東屋に並んで腰かけ、空を見あげた。満月が煌々と輝く夜だった。私達は黙って月を眺めた。私は彼に何か言われる気がし、胸がドキドキした。彼に胸の鼓動が聞こえないことを祈った時だ。彼が静かに口を開いた。

「なぁ、茶々・・・わしは、本当にお前のことがすきなんじゃ。
すきで、すきでたまらんのだ」私は三十も年上の男が、あけっぴろげに自分の気持ちをさらすことにビックリした。
私は彼に、たくさん側室がいることをチクリと言った後
「何より秀吉様には、誰にも代えがたい寧々様がおられます」と言った。彼の妻、寧々にも何度か会った。秀吉の手綱を握る賢い女だ。彼らは子供はいないが、仲がいい。秀吉はため息をつき
「寧々はなぁ、わしがここまで上りつめるのを一緒に戦った大切な戦友じゃ。だがな、わしの心に火をつける存在ではないんじゃ。
茶々はわしの心に火をつけ、わしに生気を与えてくれる」そう言って私の手を取り、逃しはしないとばかりに自分の両手に挟みこんだ。
「茶々を思うだけで、わしは胸が苦しい。ずっとお前のそばにいたい。
もちろん茶々にとってわしは憎い仇だ。それはわかっている。
わかっているが、もうこの気持ちは抑えきれん。
どうしたらいいんじゃ、茶々・・・」

そう言うと、彼は泣き出した。

私はビックリしながら「これは彼の常套文句だ。女を口説くための、彼の演出だ。驚いてはいけない」と一生懸命自分に言い聞かせた。
だが私はこれまで女として自分がここまで求められたことはなかった、と気づいた。北ノ庄城から出た私達を出迎えた時の彼の笑顔が蘇った。頭で考えるより身体は正直だ。秀吉が右手で私の肩を抱き寄せると、私は彼の胸にそっと頭を寄せた。

私は彼に心底求められるほど、存在価値があるのかもしれない。そんな自信が光となり、あたたかく私を照らした時だった。私の腿に置かれた彼の左手がジワジワ上に伸び、私もぐっと固く閉じた両足をゆるめた。身体と心の鍵を開こうとすると「ゆるすな・・・・・・」という低い声がした。耳元で囁かれたような冷たい声に刺され、ゾクッと背筋が震えた。私はするり、と彼の手から逃げ、立ち上がって東屋を出た。

私は思わず両耳を手で塞ぎ、目を閉じた。彼を仇として赦すことを禁じたのか、私が心を許すことを禁じたのか、わからないまま混乱した。秀吉はいきなり東屋を飛び出した私を追いかけ、私の名を呼び、後ろから抱きしめた。その手は着物の上から私の乳房を握っていた。彼の下心を冷静に見つめ、私は心と身体のシャッターを降ろした。
そしてすべてを受け入れたふりをし、乳房の上の彼の手に自分の手を重ねた。

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したたかに生き愛を生むガイドブック

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