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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十九話 自分の存在価値を認める

自分の存在価値を認める

三歳の秀頼と私は伏見城に移り、秀吉と暮らし始めた。この年、秀吉は自分が亡くなった後でも豊臣政権が盤石であるよう、秀頼に継承するためのバックアップ体制を整えた。
秀吉はいつも幼い秀頼を抱きかかえ、家来達との会議や彼らに命令を下した。秀吉なりの帝王学を、秀頼に肌身で学ばせていた。
秀頼は自然と上に立つものの器に育っていった。私はそれが何よりもうれしく、誇らしかった。

慶長3年3月15日、秀頼が五歳の時、秀吉は京都の醍醐寺に大きな庭を造らせ、日本各地から700本の桜を集めた大花見会を催した。
寧々や他の側室達もすべて招かれ、華やかに花見会場を彩った。手を伸ばすように咲くしだれ桜を始め、見渡す限りどこまでも続く美しい桜の木々。そこにずらり、と並ぶ家来達。秀吉の権力を知らしめるように壮観だった。

もともと醍醐寺は応仁の乱のあと、荒れ果てていた。
それを立て直した座主の義演は、秀吉とよい関係を築いていた。
秀吉はたびたび醍醐寺を援助し、義演を助けた。
義演は秀吉にとても感謝していた。
そんな彼は秀吉の衰えを、敏感に感じていた。
もしやこれが最後の大舞台になるかも、と感じた義演は秀吉のために壮大な醍醐の花見に尽力した。

風が吹くと、薄桃色の花びらが渦になり、地面に舞った。あたり一面は桜の絨毯が敷かれたようだった。そこでみな美しい桜と美味しい酒や肴に舌鼓を打ちながら、陽気に騒いでいた。秀吉はその様子を満足そうに眺めていた。金と権力にものを言わせた豪華絢爛な宴。それは秀吉の人生の集大成に見えた。

皆は口々に美しい桜を誉め、その可憐な姿に酔っていたが、私は冷めた目でこの宴を見ていた。
この美しい桜の下に血塗られた歴史がある。おびただしい屍を超え、血を吸った美しい桜の花が咲いていると知っていた。
私が通る道は、数多くの屍を乗り越えて作られている。
屍の花道が、私にふさわしいのかもしれない。そう思い桜を見ていた私の肩に、薄桃色の桜の花びらがひらりと乗った。私は花びらをつまみ、そっと盃に浮かべた。秀吉がさし出した杯だったが、その杯を受け取る順番をみな興味津々で見ていたそうだ。
この醍醐の花見の後、人々は秀吉から賜る杯が寧々の後に受け取る順番を私と三の丸になった京極龍子で争った、と噂したが、馬鹿らしい。
彼女は従姉だ。彼女の弟に、妹の初が嫁いでいる。そんなことで、争ってどうする。それよりも、秀吉の周りの人間をすべて秀頼の味方にする方が、大切に決まっている。不要な争いなど、時間の無駄だ。人は何でも、自分が都合の良い方に取る。その方がおもしろいからだ。

宴会中、ずっと秀吉はご機嫌だった。その秀吉が寧々に、やさしく話しかける声が聞こえた。私は寧々と秀吉を挟んで反対側の席から二人を眺めた。
「のう、寧々や。
色々あったが、こうやってわしは天下を手に入れた。
お前に約束したことを、叶えたぞ。
お前を日本一のかか、にしたぞ。
ようがんばってくれた。
感謝するぞ」
秀吉はそう言いながら、寧々の手を握り頭を下げていた。
寧々はそっと袂で涙をぬぐっていた。
共に戦場を超え成り上がった夫婦が交わす言葉と光景を見ても、私の心は何も泡立たない。
自分の心は冬の月のように冷たい、と感じながら、盃に継がれたお酒を飲み干した。

私は自分が一番秀吉に愛されているとは思っていない。
秀吉が一番大切にしている女は、やはり寧々だ。
それは認める。
ただ私は、寧々にできないことをした。
子ども、という一番秀吉が欲しがったものを与えた。
一番手に入れたかった血筋を与えた。

そういう意味で私は彼にとって、特別な存在だ。
誰に認めてもらわなくても、かまわない。
私が自分の存在価値を認めればいい。

私は離れて控えている治長に目をやった。ほんの少しの間、私と彼の目線が合った。私はふっ、と口の端を上げ、すぐに視線を桜に戻した。治長はいつも何かあればすぐに駆け付けられるよう、離れた場所から私と秀頼を見守っている。彼の眼差しにあたたかい愛が宿っているのを知っているのは、私だけだ。

「ほんとうに、美しい桜・・・」
私は誰に言うともなく、つぶやいた。風に吹かれ、花吹雪が舞う。桜は未練を残さず、潔く散る。だからこそ儚く美しい。
私は秀吉を見た。秀吉は散っていく桜を眺め、泣いていた。
不意に、もう、彼の命は長くないかもしれない、という不吉な予感が私を襲った。

秀吉は、父のような保護者のような存在だ。
そして私に豊かに贅沢を与えてくれたパトロンで、ずっと私を守ってくれていた。だから、彼に秀頼を与えた。
その大きな後ろ盾を失うことは、私が矢面に立つことを意味する。

突然、背筋がゾクリ、と寒なった。
怖い・・・・・・私は初めて怖い、と感じ、両手で自分の身体を抱きしめた。その時、秀頼のあたたかい手が私の手に触れた。秀頼は私を見て、大丈夫、というようにニッコリ笑った。私は自分の手に載せられた秀頼の手を、しっかり握った。私は何をひるんでいるんだろう?と自分を叱った。私には秀頼がいる。彼を立派な関白に育てる、という仕事が私にはあるのだ。

この桜のように、散ってはいけない。秀頼のためにも、もう少し秀吉に長く生きて欲しい。心からそう願い、秀吉に強いまなざしを送った。

その願いもむなしく、秀吉はこの醍醐の花見から約五ヶ月後、六十二歳でこの世を去った。

残された秀頼は、たった五歳だった。

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したたかに生き愛を生むガイドブック

あなたは、自分で自分の存在価値を認められますか?

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人の評価など関係ありません。

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