ムタ

気まぐれで書いてます

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記事一覧

生きること、について 其の2

生きるとはなんであろうか。 命とは。人生とは。そんな疑問を抱えて二十数年生きてきた。 生き方は各個人の自由である、というのは割と見過ごしがちな事実ではないだろう…

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3年前
2

わたしの自殺関連のススメ

※始めに断っておく。決して自殺を推奨する気はない。また、自殺する理由は人それぞれであり、この記事が適しない方もいることであろうと思うが、一個人の意見として了承し…

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3年前
3

創作物について

モノを創るということについて考えたことがある。 創作活動は、最大限還元していくと「命名」と「定義づけ」ではないか。 例えば曲を創るとする。 曲には名前があり、定…

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3年前
1

死人に口なし

死人に口なし。 遺書なき自殺は、真実を無限の可能性と引き換えにしてしまう。 残るのは無限の解釈だけ。

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3年前

わたしの不適合について

社会は、コミュニケーション能力に長けた人材を求め、集団生活に馴染めない者には無理して適合しようとしても心に歪みが生じる。 自分は自身で選んだ職場に、合わなかった…

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3年前
1

持病のはなし

生まれてこのかた、たくさん疾患を抱えてきた。ガンのような、大病を患うことは、幸いにもありませんでしたが、こまごまとした災難に見舞われる人生。 学生時代のある日、…

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3年前
1

わたしの自殺未遂について

過去記事に希死念慮(死にたくなる気持ち)についての記事があるのでそちらも参考に。 最初の自殺未遂のことは、実はよく覚えていない。 記憶にある最古の未遂はバスであら…

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3年前
4

夢を叶えた先のこと、考えていますか?

夢をみなさい、みつけなさい。みつけたら叶えるまで追いなさい。 そんな台詞、幾度となく聞いてきましたよね。安心してください、そんなありきたりな話を書きたいわけじゃ…

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3年前
3

遺書

ふと遺書を書いてみた。 ・蘇生行為及び延命行為はこれをすべて拒否する。 ・理由は約十年連れ添った希死念慮と自殺衝動である。誤解のないように、全て自分のせいである…

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3年前
3

わたしと自傷行為について

自傷行為とは、自身を傷つける行為をさす。 初めて自傷行為をしたのは小学校でのこと。怒りとも焦りとも悔しさとも形容し難い、感情の膨張を知覚するも、うまく言葉に出来…

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3年前
1

わたしの希死念慮について

希死念慮とは、死にたいと思う気持ちのことをさす。 高校の部活の時間、ふと死にたいなと思うことがあった。 それは大学に進んでも無くならず、むしろひどくなっていった…

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3年前
6

昔書いてた冒険小説のはなし

私は昔、読書が好きだった。 割と広くジャンルをまたいで読んでいたが、特に冒険小説を気に入っていた。 そんな私は、ふと自分で冒険小説を書こうとした。 あるときは裏紙…

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3年前
1

生きること、について

生きる意味とは。 ほとんどの人は考えたことがあるに違いないこの問い。 結論から言うと、私の中では「そんなもの無い」が答えになっている。 反論は、当然あるだろう。 …

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3年前
5

現在の氾濫するコンテンツの将来について

インターネットの登場、それは結果的に個人が自由にその創作物を世に出す事を容易たらしめた。 膨大な人口の人類、その各個人が創造し発表することができるという現代、コ…

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3年前
1

物語の行間のはなし

私は大人になる過程で、文章の行間の魅力を知った。 みんなも一度は思ったことがあるかも知れない。なぜ物語の、例えば人物の一挙手一投足、などの細部を事細かに文章化し…

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3年前
2

作品の移動について

これまでpixivの、ほうでいくつか文章を載せてもらっていました。 しかし、いろいろ考えた結果こちらのほうが良さそうだと個人的に判断し、作品を移動することにしました…

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3年前
4
生きること、について 其の2

生きること、について 其の2

生きるとはなんであろうか。

命とは。人生とは。そんな疑問を抱えて二十数年生きてきた。

生き方は各個人の自由である、というのは割と見過ごしがちな事実ではないだろうか。

実の親子でも、他人には違いないので彼や彼女の生き方について口を挟むのはナンセンスだと思う。

毒親などと言われる方達には、恥のはの字もないのではないのかと、生き方について考えると思ってしまうわたしは少し傲慢だろうか。

生き方が

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わたしの自殺関連のススメ

わたしの自殺関連のススメ

※始めに断っておく。決して自殺を推奨する気はない。また、自殺する理由は人それぞれであり、この記事が適しない方もいることであろうと思うが、一個人の意見として了承してほしい。

これまでの人生の経験から、自殺を完遂するために必要な事柄を記しておく。

後で触れるが逆説的に捉えれば、自殺防止に役立てるかもしれない。

・死ぬ気になったらすぐ実行すること

人が自殺するとき衝動的に実施する場合が多いと言わ

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創作物について

創作物について

モノを創るということについて考えたことがある。

創作活動は、最大限還元していくと「命名」と「定義づけ」ではないか。

例えば曲を創るとする。

曲には名前があり、定義は楽譜によって成される。

物語を創るとすれば、個々の文字を組み合わせ文を綴り全体の名前をつける。どの順番でどんな文章が続いているかが、定義づけである。

このnoteでは、テキストを創る場合「題名」と「本文」を書くが、それぞれ「命

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死人に口なし

死人に口なし

死人に口なし。

遺書なき自殺は、真実を無限の可能性と引き換えにしてしまう。

残るのは無限の解釈だけ。

わたしの不適合について

わたしの不適合について

社会は、コミュニケーション能力に長けた人材を求め、集団生活に馴染めない者には無理して適合しようとしても心に歪みが生じる。

自分は自身で選んだ職場に、合わなかった。自分で選んだ道なのに、適合しなかった。

生き方は変えられない。しかし環境を変えるのはもっと難しい。

そうした場合、私は淘汰という世界にありふれた法則に従う他ない。

そう、私は適合できない穀潰し。淘汰されて然るべき。

選んで歩んで

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持病のはなし

持病のはなし

生まれてこのかた、たくさん疾患を抱えてきた。ガンのような、大病を患うことは、幸いにもありませんでしたが、こまごまとした災難に見舞われる人生。

学生時代のある日、毎年レントゲン撮るのは普通じゃないよとツッコまれ、そこで自分が初めて一般的じゃない健康状態であることを認識した。衝撃的だった。

そうか、自分は元気なカラダではないのかもしれない。

出生時「合肢」手術しました

今でも縫合の跡とか残って

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わたしの自殺未遂について

わたしの自殺未遂について

過去記事に希死念慮(死にたくなる気持ち)についての記事があるのでそちらも参考に。

最初の自殺未遂のことは、実はよく覚えていない。

記憶にある最古の未遂はバスであらぬ疑いをかけられ、運転手が悪いのにも関わらず運賃の2倍の金をぼったくられたことが原因だった。泣きながらバスを降り、すぐそこで座り込んで、さらに地面に仰向けになって泣き続けた。

冷たい雨の降る日だった。資格試験の帰り道で、うまくいった

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夢を叶えた先のこと、考えていますか?

夢を叶えた先のこと、考えていますか?

夢をみなさい、みつけなさい。みつけたら叶えるまで追いなさい。

そんな台詞、幾度となく聞いてきましたよね。安心してください、そんなありきたりな話を書きたいわけじゃありません。

夢、それは不思議なモノで人生をイキイキと生きるのにはあったら良い程度のモノです。
あれば、それを叶えるまで万難を排して茨の道を突き進み、無ければ無味無臭な人生を歩き続ける。
そしてやっと叶えることができて超ハッピー、なんて

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遺書

ふと遺書を書いてみた。

・蘇生行為及び延命行為はこれをすべて拒否する。
・理由は約十年連れ添った希死念慮と自殺衝動である。誤解のないように、全て自分のせいである。
・葬儀は遺族に一任する。
・遺品は残す理由もそのつもりもないので、ある程度減らしその他残りは全て廃棄すること。
・最後に死んでもなお、各方面にご迷惑をお掛けすることについて謝罪する。

令和三年 二月 十八日

こんな遺し手紙をみて、

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わたしと自傷行為について

わたしと自傷行為について

自傷行為とは、自身を傷つける行為をさす。

初めて自傷行為をしたのは小学校でのこと。怒りとも焦りとも悔しさとも形容し難い、感情の膨張を知覚するも、うまく言葉に出来なかったわたしは、いつのまにかコンパスの先で左手の甲に引っかき傷をつけていた。

道具は初めはコンパスだったが、結局カッターナイフに落ち着いた。

行為は、最初は一年に数回だったが徐々にその間隔を狭めていき、最終的に数日に一回になり、一つ

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わたしの希死念慮について

わたしの希死念慮について

希死念慮とは、死にたいと思う気持ちのことをさす。

高校の部活の時間、ふと死にたいなと思うことがあった。
それは大学に進んでも無くならず、むしろひどくなっていった。
どんな時、何かをしていても、なんとなく死にたいという気持ちが脳裏に浮かぶ。
私は希死念慮が身近すぎて、それがあることを不思議に思ったり自分がどこかおかしいのかもと、疑うことをしなかった。
また、人に相談できるものでもないしと、家族にも

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昔書いてた冒険小説のはなし

昔書いてた冒険小説のはなし

私は昔、読書が好きだった。
割と広くジャンルをまたいで読んでいたが、特に冒険小説を気に入っていた。

そんな私は、ふと自分で冒険小説を書こうとした。
あるときは裏紙をつなげて、あるときは原稿用紙、または新しいノートに、最後には某文筆ソフトウェア上に。

しかし、完成を迎えた作品は数えるほども無かった。

今思えば、書きたい意思は充分だったし、そのための環境も整っていた。
では何が欠けていたのか。

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生きること、について

生きること、について

生きる意味とは。
ほとんどの人は考えたことがあるに違いないこの問い。
結論から言うと、私の中では「そんなもの無い」が答えになっている。

反論は、当然あるだろう。
いや、自分は家族のために生きるんだ!とか、愛する恋人のためにだとか。

いや、私が言いたいのはもっと本質的、根本的な部分なのだ。

各個人、自分の人生の主人公な訳で、生き方ひいては生きる意味を自由に決めたらそれで良いと思う。
でもその自

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現在の氾濫するコンテンツの将来について

現在の氾濫するコンテンツの将来について

インターネットの登場、それは結果的に個人が自由にその創作物を世に出す事を容易たらしめた。

膨大な人口の人類、その各個人が創造し発表することができるという現代、コンテンツの量は圧倒的なスピードで過去最多を更新し続けているだろう。

そんな現代で、私はふと思った。
氾濫するコンテンツは、オリジナリティを全体の物量によってすり潰されはしないだろうかと。
すこし語弊がある、というか説明するのが難しいので

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物語の行間のはなし

物語の行間のはなし

私は大人になる過程で、文章の行間の魅力を知った。

みんなも一度は思ったことがあるかも知れない。なぜ物語の、例えば人物の一挙手一投足、などの細部を事細かに文章化しておかないのかと。

その疑問への回答は、人間の想像力のため、であった。

すべてを文章としないことで、読者は行と行の間に無限の物語の可能性を得ている。

確かに、その通りだ。
私は深く感慨を受けるほど納得した。

作品の移動について

これまでpixivの、ほうでいくつか文章を載せてもらっていました。

しかし、いろいろ考えた結果こちらのほうが良さそうだと個人的に判断し、作品を移動することにしました。

という訳で、勝手ながら作品の場所を替えさせていただきます。