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生きること、について


生きる意味とは。
ほとんどの人は考えたことがあるに違いないこの問い。
結論から言うと、私の中では「そんなもの無い」が答えになっている。

反論は、当然あるだろう。
いや、自分は家族のために生きるんだ!とか、愛する恋人のためにだとか。

いや、私が言いたいのはもっと本質的、根本的な部分なのだ。

各個人、自分の人生の主人公な訳で、生き方ひいては生きる意味を自由に決めたらそれで良いと思う。
でもその自分で決めた「意味」は、弱い人間のための信仰そのものではないだろうか?

人生は辛いもの。これを続けるためには、何かに縋らなくてはすり潰されてしまいかねないほど人とは弱い生き物だ。
ほぼ全人類が何かしらの宗教を信仰し、人間のおときばなしに過ぎない神という存在に縋る様は、弱さの証左に他ならない。
おっと自分は神を信じてないぞ、というそこのあなたも無関係ではない。信仰している宗教を調べた統計で、自分は無宗教と答えた人が国民の半分という、世界的にみて少しズレた日本人にも信仰はあるだろう。
神などといういかにもな存在を信じてはいなくとも、好きなキャラやいわゆる推しと言われる存在、前述の家族やはたまた筋肉など、俗世的なものにどこか心を委ねていないだろうか?

人は弱い。何かに縋らないと生きていけないほどに。
故に何かを信じ、それに生きる意味を見いだし苦行を耐え抜かんとする。

だが、悲しいかな。この世の事実として、生きる意味など、ありはしない。
それがどんなに受け入れ難いことだとしても。

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