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エッセイ

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#エッセイ

頭髪の秋 / エッセイ

頭髪の秋 / エッセイ

 幼時は剛毛だった。頭の形がでるほどのサラサラヘアーに憧れ、キューティクルという言葉を知り、天使の輪に魅了されては、頭部のスチールウールを掻きむしった。

 あの頃が懐かしい。なんと恵まれた頭髪であったことだろう。あれほどまでに生命力に漲っていた。もはやタワシである。もはや枝である。四方に我ありと伸び、空間をゆずらなかったあの髪。今はいずこへ。

 というと大袈裟ではあるが、へなへなと勢いがなくな

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自信家の弱点 / エッセイ

自信家の弱点 / エッセイ

 自信家の知人がいます。そうでない知人もいます。前者は胸を張って意見を述べ、後者はそのような意見に耳を傾けています。自信のある人を世間は理想的な人物のようにパッケージに入れて扱います。気の弱い人はそんな自信満々の立ち居振る舞いを見て憧れたりしています。しかしです。自信家は非常に打たれ弱い場合がある。自信家の自意識としては、自分という人間は周囲より優れていなければならないわけです。しかし彼女ら彼らも

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人の世は住みにくい / エッセイ

人の世は住みにくい / エッセイ

 僕の日常を表したようで、というとおこがましい。人の日常のある側からみたあり様。それでも自分の日常を背景にしてこれを浮かべるとき、身にしみてくるのである。

『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい』

 漱石の『草枕』の冒頭がそれである。僕はこのうち『情に棹させば流される』は受け入れてしまえる。確かに情に頻繁に流されていると、振り回されて面倒だとい

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あくせく仕事 / エッセイ

あくせく仕事 / エッセイ

 あくせくと過ごす日々、少ない方が珍しい現代。その昔、私は世間にありふれた忙殺という殺られ方によって一遍完全にへこたれた。それから長いこと色々あったが、端折ってしまって現在はすこぶる調子がよい。

 しかしここのところ、例の多忙というヒレつきの悪魔がその影をチラつかせている。まだ完全には姿を現さない塩梅で。くるぶしが見えたり、肘が見えたりする感じで。それでも難なくヤツだとわかる。あら、来たのね、と

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言葉が喚起する / エッセイ

言葉が喚起する / エッセイ

 昨夜は祝日前ということもあって繁華街には人が溢れかえっていた。まだ遅くはない時間にも関わらず、酔いの赤ら顔をパンパンにしてシャシャシャ(勝俣や蛇ではない)と仲間と笑っている。黒いトレーナーを着た男が道端にしゃがみ込み、そこにどこからともなく明るい髪の女がやって来て隣に落ち着いた。あっちからもこっちからも人が湧いてきては錯綜している。どぎついネオンにアルコールと食い物が混じり合って軒を連ねて口をあ

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ポンコツ / エッセイ

ポンコツ / エッセイ

 ポンコツという言葉がある。大辞林には次のようにある。

 ①の屠殺については知らなかった。我々がよく使う意味は②のようだが、日常で使う場合には老朽化してということは意識しない。用をたさない、的を得ない、要領を得ず、何なら側迷惑なものへの抗議や嘲りを滲ませて用いる言葉である。
 私は日常このようなはしたない言葉は使わない。しかし、ああ、これがポンコツというやつか、とポンコツの権化のような男に出会っ

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欲望とキャッチコピー / エッセイ

欲望とキャッチコピー / エッセイ

 キャッチコピーで芯を食っていると思うものがある。

『食べたくなるなるケンタッキー』

がそれである。

 定期的に無性に食べたくなるなるのだ。しかし残念なことに自宅の近くケンタッキーがない。だから無性にあの揚げ鶏にむしゃぶりつきたくとも叶わない。遠く足を延ばさねばならない。

 世の中には鶏を揚げたものが冷めて温め直さなければならないほどに溢れかえっている。唐揚げ専門のお店は近隣に数軒あるし、

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ケチんぼ / エッセイ

ケチんぼ / エッセイ

 人生ではじめての身につけた真面目な腕時計はセイコーのものだった。細身の腕に大振りで、まるで似合っていなかった。それでも妙に愛着があって、その腕時計はもう手元にないけれど、今でもデザインの細部まで思い出すことができる。時計とは不思議なアイテムである。時間を確認するための道具が資産的な価値を得ている。購入した時の価格よりも相場が上がっている時に売ってしまえば差額が儲けとなる。下がらなければトントン。

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へまをする / エッセイ

へまをする / エッセイ

 私はへまをする自覚がある。あとから、なぜこんなことを間違えたのかと不思議でならない、ことはない。生来の面倒くさがりな性が顔を出したのである。詰めが甘いのである。私は関心のないものには矢張り関心がない。いい加減に済ませてしまいたい思いがある。出来ることなら、出来ている風情を決め込んでいい加減に済ませてしまいたい。そうして、いい加減に済ませてしまおうと思っていい加減にやってしまうと、やっぱりへまをし

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文章を書くためのポイント / エッセイ

文章を書くためのポイント / エッセイ

 文章を上手く書きたいという欲求がある。しかし、ではなぜ「上手く書きたい」のか。その目的が「いいね」である場合がSNS全盛の現代では多いのだろうが、僕はまずこの「いいね」のことは忘れるほうがよいと思う。どのような動機であってもよい、という見方もあるにはあるが、こと「いいね」についてはそうではない。なぜなら「いいね」を動機にしながら、これに振り回されずに書ける人間など類い稀で、まずもってそれが自分だ

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心の保ち方 / エッセイ

心の保ち方 / エッセイ

 家のなかも、一歩家から外に出ても、人工物だらけである。まみれている。とことんに。あなたの家も街もさして変わりはしないかもしれない。それなりの人口規模の発展した街に住んでいるのだとしたら。

発展?

何が?

 世の中は利便に埋め尽くされている。利便のピースが嵌まっていない不便の地表が露出しているのを見つけると、たちまちにしてどこかから人がやってきてそのピースを埋めてしまう。余地はない。考えるこ

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「思っていて」って何や / エッセイ

「思っていて」って何や / エッセイ

「僕はそれはちょっと違うと思っていて、云々」
「私は優先順位を見直すべきだと思っていて、云々」

 この「思っていて」という言葉が僕は嫌いである。一見するとこれといった特徴のない言葉だが実はそうではない。この言葉には自尊心と承認欲求が潜んでいるのである。自尊心と承認欲求から生じ出た言葉とも言える。「思うのですが」でも
「思います」でもなく、「思って『いて』」なのである。既に、なのである。既に思って

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足の指 / エッセイ

足の指 / エッセイ

 部屋で電話をしながら足の親指を見ていると、「なんや、これ」と思った。所謂、ゲシュタルト崩壊である。その指の腹は手の親指より一回り大きい。その一回りがやけに大きいのである。こんなに大きかったっけと思いながら眺めていると、ゲシュタルト崩壊はその様相を極め、いよいよ我が身体の一部が不可解に思えてきた。不恰好に丸い肉塊。つまむとふにゃふにゃと赤くなったり白くなったりと気ままである。口もなけりゃ目も鼻もな

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幼心 / エッセイ

幼心 / エッセイ

 そう広くはない部屋で畳の上、脛をあらわに胡座を組んで、小窓の下の机に向かってこうしているところ。実は晩秋の雨降りで、時折はぐれたか細い風が浅くあけた小窓より流れ入っては、腕やその脛をひやりと撫でるのがなんとも心地よい。空は水に練った灰を塗りたくったようでも、それを陰鬱に思うか清かに感じるかは人それぞれ。私は今、後者としてここに座っている。遠くから近くまでよく降っていて、ざあざあと低く鳴っているけ

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