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The Last of Us Part IIを駆け足でクリアした感想|ラスアス2 ネタバレ


※ネタバレしかないのでご注意ください

※8,400字以上あるので長いです。


PS5のリマスター版をプレイしました。

結論から言うと、普通に面白くて良いゲーム体験だった、な感じです。「神ゲー!」「クソゲーだろ」といった両極端でもなく、「良い作品でした、ありがとう」これが率直な気持ち。

あとは、とにかく疲れた(笑)。

そんなこんなで思うことをざっと書きます。

なんか人によってめちゃくちゃ評価が分かれているっぽいですが、僕はどちらかといえば肯定派だと思います。

よくあるレーティング的なものをつけるのなら、

6.5/10

になるかも。

PS5のリマスター版で、これが初プレイ。1もPS5版でクリアしていて、追加コンテンツのLeft Behindも同様にクリアしています。


微妙なところ

まずはうーん、と思ってしまったところから書いていきます。

長い……

人によっては長いほど嬉しいと思うのかもしれませんが、僕はちょっとこれ長過ぎないか、と感じてしまいました。

要素をもりもりに詰め込めば面白くなるというわけではないですし、長ければ大作というわけでもないでしょう。

エリーパートでせっかく装備をコツコツ整えてきたのに、進行度55%(PS5のホームにあるやつ)あたりでいきなりアビーパートになったと思ったらまた武器を鍛え直し(違う種類だけれでも)になって、なんか萎えてしまいました。

ここまではずっと、難易度ノーマルでその他の設定は何もいじらずに、ステルスメインで楽しんできたのですが、なんかもういいやって思ってしまった……

一番ワクワクした戦闘はこの場面。

コツコツと強化してきたライフルで、スカー(セラファイト)を壊れたモノレールの上から殲滅できるのはとても楽しかった。スコープを覗いてヘッドショットを決めればとっても爽快。全員倒したら、あとは堂々と走って物資を回収して次へ。

思えばここがピークだったかもしれません。

アビーパートに入ってからはどうも飽きてしまって、設定をベリーイージーに変更し、戦闘アクセリビリティをもりもりに使いほぼチート状態で戦地を駆け抜けてバトルはパスし、ストーリーを見ることに集中しました。

クリア時のプレイ時間は、22時間ほど(PS5のホームに表示されているやつ)。

僕が歳をとって、そして現実がある程度忙しいことでゲームにそこまでマジになれなくなっただけなのかもしれませんが、長いっす……。もうちょっとサクッと終われるようにしてほしかったと感じています。

シンプルに銃撃戦を楽しむのであればRed Dead Redemption 2はとてもやりごたえがあったし、ステルスを楽しむのであればメタルギアとか(やったことないんですすみません)とかでも良かったのでは、とすら思ってしまいました……。

そんなに操作させないでほしい……

ギター演奏とか、これ操作させる必要ないのでは(飛ばせたらすみません)と感じてしまったり、敵に掴まれた時に連打で抜け出すのとか要らないのではと思ったり。QTEというものに分類されるのでしょうか。

ムービーならムービーで、戦闘なら戦闘。その辺がはっきりするともっと良かったのではないかなぁ、と感じてしまいます。

他には、障害物を飛び越えていくシーンでも、結局できることは走る飛ぶの2つの操作で、3D空間の超美麗グラフィックとはいえ、やっていることはファミコンのスーパーマリオブラザーズと何ら変わりません。

こう書くとまるでマリオがつまらないかのように思われてしまうかもしれませんが、そういうことでは全くなく、2Dマリオでジャンプゲームという面白さは完成されているわけで、せっかくラスアスはリアルを売りの一つとしているのだからこそ、他のゲームでも同じ面白さを味わえるものをわざわざこの作品で表現する必要はなかったのでは、と感じるのです。

ステルスバトルの質が高いことが大きな魅力の一つでもあるのだから、そこをもっと研ぎ澄ませて他の部分はごっそり削っても良かったのではないか、と。

狭いところで助走をつけてジャンプをしても、変に挙動がリアルであるせいで爽快感はないし。かと思ったら下の項にもつながることですが、遠くからジャンプして、崖にもろお腹を打ちつけるように着地しても一切のダメージを受けないし。
ちょっとうーん、という感じです。

リアルなのかリアルじゃないのかわからない

Part1の記事でも書いたことですが、

体力無限すぎるし、見るからに不衛生で汚そうなところにずっといるのに「感染者」以外の別の病気にほぼならない(一度抗生物質をエリーに投与してもらう)し。
しかも全然服を着替えてない。絶対変な雑菌が繁殖しまくってると思う。

潜って泳いでいる時にはなんのゴーグルとかもつけていないのにめっちゃ視界良好だし、つまりは目を開けているということ。

ジョエル本人だけじゃなくて、バックパックは中身がぐちゃぐちゃになったりすることはないし、紙が溶けたり銃が錆びることもない。

ハサミナイフ火薬爆弾火炎瓶。どんな衝撃が加わっても絶対にそれで爆発することはない。しかも背負われた状態で仰向けに寝られて押しつぶされても、なんともならない。

ポケットも無限っぽいし。道中であらゆる紙やメモを全てカバンにしまっているけど、どんどん吸い込まれていく。

どんなにガサツに扱っても絶対に生地は破れたり千切れたりしない。

これについては2でも同じことを思いました。

素手でロープをススーと降りているのに摩擦熱で痛いとかの表現もないし、走ってほふく体制へコンクリートの地面へダイブしても一切ダメージを受けないし、銃弾くらっているのにテーピングだけで治るわけなくね?とか。

荒れ狂う海に平気で飛び込んでいって余裕で岸まで辿り着いたと思ったら、一切の休憩を挟むことなく走り出しているし、ボートのガソリンはどんなに使ってもなくなることはないし。

鍵がかかっているドアは前作でジョエルがやっていたようにナイフで開けられないの?とか、わざわざガソリンを探して発電機を起動させて電動扉を開けているけど、その脇にあるフェンスの棘を取り外してそこを乗り越えた方が早いんじゃない?とか、蔦や植物が絡まっている回転扉とかは火炎瓶で燃やしたら簡単に開くんじゃないの?とか。

刃物や銃は錆びないのだろうか、ご飯は一体いつ食べているのだろうか、雨で風邪ひかないの?とか。

……。

なんかそんなことが結構気になってしまいました。

体力と別にスタミナ制を採用しても良かったのでは、と。

まぁでも要素をもりもりにし過ぎてストレスフルなゲーム体験になったらそれは良くないことだと思うので、これくらいで良いのかもしれません。

でも、気になってしまう……

グロ、ゴア表現がちょっと多い気がする

好きな人は好きなのでしょうし、これらの残虐表現がこの作品の売りの一つでもあるのかもしれませんが、僕はそんなに好きじゃないので、なんかうわぁ……って思っていました。

拷問シーンとか見るの結構つらいし、気分が悪くなってしまう。

エリーがノラをパイプで殴る場面も、プレイヤーにボタンを押させる必要はあったのだろうか。

あと、新種の感染者シャンブラー。死ぬ時のウォォォォォオエー!!みたいな声がただただ気持ち悪い……。まじで。シンプルに不愉快。こんなにキモい音は初めて聞きました。

良かったところ

映像めっちゃ綺麗

1の記事でも同じことを書きましたが、グラフィックがすごい……。

4K60fpsHDRモニタ(でもパフォーマンスモードなので1440p)でプレイしましたが、めっちゃ美しい……。

スクショでどこまで伝わるのか心配ですが、とにかくすごい。
まぁ冒頭にネタバレと書いたのでこれを読んでいる人は既にクリア済みの人だと思いますが。

いや、でも、ゲームの評価が「映像綺麗!」は、果たしてそれは製作者の方が喜ぶ感想なのだろうかというか、これでいいのだろうか、と思ってしまう節もあります。

映像美だけを求めるのであればそれは映画で良いかもしれないし、イラストレーションでも良いかもしれない。物語だけを求めるのであれば、受け手の脳内で無限に想像を膨らませることができるから、小説という文字だけの形態の方が適しているかもしれない。

せっかくゲームという、消費者が自分で物語に入り込んでキャラクターを操作できるフォーマットなのだから、ゲームでしかできないところに力を入れた方がよりゲームとしての存在意義が増すのではないかなぁと。

あまり映像やその他に詳しいわけではありませんが、きっとグラフィックを追求していくことはきっと比較的簡単なことだと思うのですよね。

簡単というのは、モデリング作業は楽だとかそういったことを言いたいのではなく、ゲームという一つのコンテンツを完成させるにあたって、視覚に訴えることはその他の要素と比較して人の目を引きやすく、するとトレーラー映像などでも使いやすいし、”なんかすごそう感”を手軽に出すことができ、購入動機を効果的に煽ることができる。

もちろん戦闘が優れていることは分かりますが、しかしこの作品で感じたことは「映像めっちゃ綺麗……」であることに変わりはないので、色々と思うところはありますがこういう感想にしておきます。

ストーリーめっちゃ良い

賛否分かれる物語みたいですが、僕はとっても良い話だと思いました。

「良い」というのは、もちろん楽しくて嬉しいという意味ではないです。容赦なく仲間はどんどん死んでいくし、最初から最後までほとんどつらいことしか起きない。プレイしていてただただ鬱々としてきます。

笑顔になったり心が温まったりすることはほぼないストーリー。

唯一何もなく、ただ明るいだけのシーンは、

ジョエルとエリーが森を抜けていって、ミュージアムに行った回想シーンくらいでしょう。

しかしこの場面もアビー側からすれば「呑気に過ごしやがって……!」みたいに捉えられるのかもしれない。

とにかく暗い。何も考えずにハッピーラッキーいえい!みたいな気分になることは一切できない。

しかし!それがものすごく人間というものを的確に表していると思うのですよね。一体僕が人間の何を知っているんだ、ということですが。

内容的には、エリーとアビーはお互いの親(ジョエルは肉親ではないけども)を殺されて、互いに復讐をする、そのために色々巻き込んでぐちゃぐちゃのごちゃごちゃでドンパチする、というただそれだけといえばただそれだけです。
1のように全世界を巻き込んだ巨大な話ではなく、言ってしまえば内輪ノリのようなもの。

でも実際、現実でも人間の争い事なんてほんの些細なことから大きく発展してしまったり、周りから見たら取るに足らない程度のことで揉めていたりするわけで。

ラスアス2の退廃した、明るい未来があまり想像できない人殺しが当たり前の殺伐とした世界では、人々は皆何かしらの精神病を抱えているだろうし、プレイヤー側からすればたかがそんなことで、と思うようなことでもきっと登場人物たちはかなり複雑な思い(”思い”というふうに言語化することすらできていないのかもしれない)で生きているのだろうし。

特に何もない通常の健康的な心であれば何も思わないようなことでも、状況次第で人はここまで変わり果ててしまう。それは1でジョエルがサラを失ってから大きく変わったように、全ての人はまた変化し続けるものなのです。

何も変わらない、変わってほしくないと思ってもそれは避けられないわけで。

物語序盤でジョエルが殺害された時こそ驚きましたが、全ては容赦なく変わっていくということをものすごく残酷な形で表現したものだと感じます。そして実際エリー側でもアビー側でも、なんならFEDRAやファイアフライ、セラファイトや一般市民までも仲間や家族がどんどん死んでいったわけです。

なんかもう、ジョエルが死んだあたりから特に驚かなくなりました。おぉ、このゲームはここまでやるのか、なるほど。じゃあ最後はどうなるかしっかり見届けよう、と。

いやでも、結局エリーはアビーを殺さないんかいってのは思いました。でも、それは一瞬。

だってね、家族を置いて一人で敵地に乗り込んでいって、散々な目に遭って、ここでもまたそこまで関係のない人を殺しまくって辿りついたと思ったら、縄で縛られているアビーを撃つでも刺すでもなく、紐を解いて拳で殴り合うっていう。

しかし、これこそがエリーの心境をありのままに描いているのだと思います。ただ殺せば解決する、自分の気持ちが晴れるというものであるはずがなく。自分でももはや何をやっているのかわからないのではないのかな、と。

プレイヤー側からすればエリーとアビーの両方の背景を知っているから、僕は両者どちらとも死なないでくれ、と思っていました。もういいからそれぞれ別々のところで今後一切関らずに穏やかに各々の人生を送ってくれよ、と。
多分きっとエンディング後にはそうなったのだと思いますし。

ジョエル殺害の時にはエリーが「全員ぶっ殺してやる!」と叫んでいたように、あぁ、アビーを殺すことになるのだろうなぁ、打ちのめしてやりたいなぁと感じていたわけですが、最後の最後にそれはなくなってしまった。

きっと、どんなに憎しみ合っていても、殺したいほどの存在でも、相手もまた人間なのだし、大切な人がいて、生きている。そんな当たり前のことを伝えたかった作品なのではないのかな、と。

あとは、なんだろう。一生癒えることのない心の傷、トラウマをすごく丁寧に描いているな、と。

僕はこれほど深い心の傷は負ったことがないので完璧に共感することはできませんが、しかし何をどうやっても消えることのない、無かったことにできない傷跡というのは存在するものだと思っています。

アドラー心理学の「トラウマは存在しない」というのは、さすがにPTSDなどの領域には適応できないでしょ、と。なんでもかんでも考え方次第で上手い状況に持っていけるほど人間は強くないと思う。

エリー、ディーナ、JJの3人で、のどかな田舎でようやく落ち着いて穏やかに幸せに暮らしているんだ、よかったよかった、あぁ、このゲームもそこまでひどいものではないのだなぁと安心していたのは束の間で、子ヤギが農具を倒したことでジョエル拷問がエリーの脳内にフラッシュバックするという。
当然プレイヤー側にも、のどかな映像から一瞬だけサブリミナル的にジョエルの血だらけでぐちゃぐちゃの顔面が映し出されます。

もうね、すごすぎて笑ってしまいました。もちろん人の心の傷を笑っていいとかそういうことでは全くありません。ここまで一切の容赦無く人間の心を描いてきた製作陣のその熱量に、おいおいマジかよ、って。

あまりにも自分とはかけ離れていてすごい人には嫉妬すらできずただただ感嘆するように、大きく頭を殴られたような衝撃を受けるとこういう感情になるのだなぁ、と。

カルチャーショックとでもいうのでしょうか。そんな感じです。

確かに、物語の展開が結構読めてしまうところはありました。

どうせこの人を助けてもすぐ殺されるんだろうなぁとか、どうせ仲違いして殺し合うだろうなぁ、とか。

ここで感染者がいきなり出てきてまぁゴタゴタが起こるんだろうなぁとか。

アビーがエリーの指を2本噛みちぎったあたりで、あ、これはギターが弾けなくなってそこにジョエルとエリーの過去を重ねてくるやつだろうなぁ、とか。

それでも、やっぱり引き込まれる情景描写であることに変わりはありませんでした。

そもそもゲームのタイトルが「The Last of Us」という、結構幅を持たせている名前なわけで。

Part1の時、この「us」は謎のウイルスによって当たり前の日常を壊された全人類たちのことで、そして物語の最後ではジョエルとエリーという2人を指していると思っています。仲良く旅してきたものが、最後にジョエルがついた嘘によって関係に決定的なヒビが入った。

で、今作Part2では、ディーナとジェシー、エリー。トミーやマリア。ジャクソンの人たち。

アビーとオーウェン、メル、WLFのメンバー。セラファイトやその他も。

全ての人たちにとって、全ての瞬間、出来事がthe last of usなわけで。関係は変わり続けて、その度にlastが訪れる。そしてusの形や概念も変化していき、また新しい何かが始まる。
それの繰り返し。

まあでも一番わかりやすくてタイトルを飾っていると言えるのは、ジョエルとエリーだと思います。紛れもなく。

ここまで見事に、完璧にタイトルを回収している作品というのはゲームに限らずそうそう無いのではないか、と感じます。

過大解釈かもしれませんが、1で大絶賛を得た開発陣と信者のようなファン、そして2で大きく評価が分かれたのも、制作側と消費者側のlastであったと言えるのではないでしょうか。

その他 ポリコレがどうとか騒いでる人はなんなん?

このゲームは別に「多様性に配慮した」とか「時代の流れを汲み取った」とかそんなんじゃなくて、ただ自然に色々な人間がいるし、こういう状況だった、ということを描いただけだと思います。

それを取り立ててあーだこーだごちゃごちゃ言う意味がわからない。まじで。

僕は生物学的に男で社会的に男で自分でも男と思っていて恋愛対象は女性のいわゆる「多数派」なわけですが、しかしだからなんだとしか思っていないし、僕とは違う性的指向の人がいても特になにも思いません。それは多くても少なくても、自分と同じでも違っていても。

「少数派」の人に対して、「特別」だとか「配慮しないといけない」とかも何も思わず、ただただ、「へー、そうなんだ」としか感じません。まぁ、例えば僕は男性に恋愛や性的な目で見られたら、それには応えられません、とはなりますが、別にだからといってその人のことを何かしらのレッテルを貼って見ることはないし、これって別に異性の恋愛関係でも同じことだと思うのですよね。

肌の色とか人種とか、性的指向がどうだとか、性格のタイプがなんだとか、マジでどうでもいい。どうでもいいというのは、それぞれに貴賤や優劣など何もなく、ただただそのことや属性に意味を見出さないということです。そりゃ人間なんだから色々あるよね、とただそれだけ。
「皆ちがって皆どうでもいい」ってやつですかね。もしかしたら僕はただ、他者にそこまで興味がないだけなのかもしれませんけども。

たまたま自分が「多数派」に属していただけに過ぎないのに、それをなぜか”当たり前”だとか”普通”だとか、あろうことか「自分は少数派に配慮している」とか言う人は、どんだけ上から目線で他者を見ていて、なぜ自分が”普通”であってその他が”普通”じゃない、みたいな見方をするのでしょうね。

まぁきっと、他にやることがなくて自分に自信もない、哀れな差別主義者なのだろうなぁ、というただそれだけのことだと思っていますが。

最後に

これだけ感情が揺れ動かされる体験をできただけで大きな価値があると感じています。だって、4,000円ちょっと(セールで買いました)でこれだけ心をぐちゃぐちゃにしてくる作品ってすごくないですか?

人生経験がまた一つ豊かになるわけで、大袈裟じゃなく人間として成長できるものだと思います。

賛否はあるだろうし、僕も神ゲー!だとは思わないけれど、それでも大きなものを得ました。

いやぁ、でもなんか、疲れたなぁと。映画館で大作を観終えた後に伸びをして、はぁ〜っとなるような。元々ホラーやグロ耐性が全然なく、そもそも好きでもないので、しばらくはラスアスのようなものは控えようと思います。あまりにも影響を受けすぎてしまう。

たかが一個人が偉そうにこんなことを言っていいのかは分かりませんが、ビデオゲームが持つ底力、本気、人はここまでの作品を作り上げることができる、という真髄をまざまざと見せつけられた気がします。
一体これほどの作品を、これから人は作り上げることができるのだろうか、とまで思ってしまうほどに。

このゲームのことをめちゃくちゃ理不尽な理由でバッシングする人が現れるほど、人の心に深く入り込むことができる作品なのだと思います。

だって、こうして何かを書こうと思わせてくれるほどの作品だったわけで、それは良くも悪くも。悪名は無名に勝るではないですけど、何も感じないものは何も書こうとは思わないわけじゃないですか。

1の熱狂的なファンにも取り巻きにも、にわかゲーマーにも”評論家(笑)”にも誰にも忖度しない制作側の姿勢、僕はめっちゃ好きです。

開発拠点はアメリカということで、日本語で日本語プラットフォームのnoteに書いたところで日本人にしか読まれない気がしますが、なんらかの形で英語圏にも伝わったらなぁ、と思いました。

(´・ω・)つ旦