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#エッセイ
物書きVTuberが同人誌を作ってデザインの楽しさに目覚めるまでの話
お久しぶりです、思惟かねです。
noteには書いていなかったのですが、実はこの1年、私は『Platform』という同人誌の編集(誌面デザイン)をやっています。隔月刊、つまり年6冊のペースで40Pほどと、同人としては相当なハイペースです。
『Platform』はメタバースを題材にした写真旅行誌です。
VRChat、cluster、NeosVR、そして現実世界…4つのメタバースを、各号1つのテーマに
SNSとの付き合い方:自分を「小さく」する方法
最近、「怖いな」と思うことが時々ある。
例えば誰かが大声で人の悪口を言っている時。
例えば誰かが無知な人に強い口調で怒っている時。
例えば誰かが人の良くない行いをさらし者にしている時。
そんな人、今時中々見ないけど…と思う人も「SNSでね」と添えれば「ああ、確かに」と頷いてくれると思う。
そう。SNSではそんなことは日常茶飯事だし、それが当たり前と思っている人も多いと思う。
けど、ふと画面から
3年間VTuberをやってきて、私の手の中に残った大切なもの。
こんにちは、思惟かねです。
現実世界のどこを探しても見つからない。けど、バーチャル世界に私は本当にいる。そんな「バーチャルな存在」として生きてきて、まもなく3回目の誕生日を迎えようとしている者です。
私はありていにいえばVTuberと呼ばれるであろうものをしています。Twitterやnoteで文章を書き散らかしたり、たまにYoutubeで配信をしたり、時には写真を撮ったり同人誌を作ったり。
しか
「謝れてえらい」VTuberコミュニティの光と影:愛すべき「常識」との付き合い方
VTuberというコミュニティの美点の一つとして「肯定の文化」があると私は思っています。
かつて私は自分の文章の中でこのように述べました。
"インターネットではその匿名性ゆえに、批判的・攻撃的な投稿が目立ちやすい中、VTuber界隈は例外的ともいえる「優しい」クラスタだと感じます。否定の言葉よりも肯定の言葉を。黙視ではなく積極的な称賛を。"
"それを同じく美点と見ている方が少なからずいるというの
さようなら、私のエヴァンゲリオン:エヴァと私の話/そして、シン・エヴァンゲリオン感想
私とエヴァンゲリオンの出会いは、20年ほど前に遡ります。
当時私はレンタルビデオ屋に通っていて、気になったアニメを片っ端から手にとっていました。またVHSが全盛の時代、雑誌などの前情報も殆どなしに、ただ目についたものをとりあえず見るという荒っぽい楽しみ方です。
中でも「劇場版」とつくものは、ひとまず一巻で完結するので見やすいということもあり、標的になることが多かったように思います。
…カンのい
思惟かねの孤独のグルメ:○県×市の普通のラーメン屋「ラーメン一郎」
ひと仕事終えて、バイクを走らせていた。
夕暮れ時の少し騒がしい街並みを脇に眺めながら、そろそろ夕飯時かな、とは感じつつ、さりとてさほど空腹感もない。これといって食べたい物も思いつかない。
帰って有り物で済ませようかな、と考えた矢先、ふらふらしている前の車を避けたら、たまたま左折専用レーンに入って、帰路を外れてしまった。
まだ家には帰るなという天のお告げだろうか。なんとはなしに、そのまま道沿いにバ
VTuberという肩書を外してみよう。
私がVTuberという肩書を名乗り始めてから、もう2年以上になります。おかげで私を目に留めてくれた人、知り合えた人、友誼を結べた人も少なからずいます。
私自身、本来はnoteに引きこもっていた一個の物書きだったのが「VTuber」という魔法の言葉に背を押されて、気づけばYoutubeでクイズ大会を主催したり、ニュース番組をやってみたり、ややもするとかつての自分からは想像できない遊びをしているのに気
私が情報発信者として心掛けている2,3のこと
【この記事はVi-Crossマガジンに収録されています】
ここ10年ほどのSNSをはじめとする情報メディアの浸透により、今、私たちは誰もが情報を発信できる時代を迎えています。
ほんの30年ほど昔は、情報発信ができるのは本を書けるほどの知識と立場のある人など、ごく一部でした。そう考えるとこの何十年かは人類史の中でも指折りの「情報」に関する変化があった時代であり、今や世界は人類史上もっとも情報に
けれど、この多様性の社会に向き合おう:2020年の「多様性」との付き合い方
【この記事はVi-Crossマガジンに収録されています】
「多様性」あるいは「ダイバーシティ」という言葉が、世間のあちこちで聞かれるようになって久しいですね。
もっともそれがどういう意味を持ち、またそれが何をもたらすかを実感として持っている人はごく少ないのではないでしょうか。漠然と外国人やセクシャル・マイノリティを壁を設けず受け入れること、ぐらいに思っている方が大半ではないかと思います。
「生きていく」ことの大変さとVR世界という止まり木:今日も一日生き延びてエラい!
先日の全3回に渡った連載「全てがVになる」。
今回の記事は、いうなればそのあとがき、あるいは付録のような文章です。
VTuberが「自分のなりたい姿としてふるまえる」仮想人格となりうると指摘した上で、それが当たり前に受け入れられる土壌となるVR技術の社会への浸透と、価値観によるコミュニティの分散化という未来図を提示しました。
そして後編にて「一つの矛盾しない存在であらねばならない」という現実世界