マガジンのカバー画像

体験談2

45
経験をシェアして被害を最小限に&必要な支援に繋がれば。
運営しているクリエイター

#エッセイ

3.11を忘れる

被災していない人なんて、いない。

映画のような、街を津波が飲み込む光景。壊れたラジオのように毎回流れる同じCM。

余震がある度緊迫したスタジオに切り替わる画面、アナウンサーと点滅した日本地図。

同じ揺れを体感していなくても、誰もが7年前のあの日の鬱屈した日々を忘れることはない。東北に限らず、日本国民全員が被災者になった日だったと思う。

7年前の今日、わたしは茨城の実家にいた。現役で志望大学

もっとみる
2011年3月11日、あの日僕は東京で就活をしていた

2011年3月11日、あの日僕は東京で就活をしていた

「なんか面白いこと起きないかな」

そんなことを思いながら次の企業説明会が行われる最寄駅の近くのココイチでカレーを食べていた。

2011年3月11日12時過ぎ。

この時に食べていたカレーを最後に、24時間以上まともなご飯に有り付けないことをこの時の僕は知らない。

企業説明会の日程がびっしりと書かれた手帳を眺めながら、冒頭の言葉を店内の誰にも聞こえないようにボソッとため息混じりに口に出す。

もっとみる
その日午後2時46分・東京

その日午後2時46分・東京

まだ中学1年生の春だった。

三年生を送る会、略して三送会という集まりが、5時間目を使って体育館で行われていた。司会役の生徒がアナウンスして、冒頭に校長先生の挨拶。僕はいつもの朝礼通り、ほどよい姿勢を保ってほどよく聞き流していたはずだ。

ふっと体が傾いた気がした。その瞬間体育館中にざわつきが広がり、気のせいじゃないと分かった。地震だ。それも妙に大きい——と感じた時には、今まで感じたことの無い揺れ

もっとみる
一度訪れただけでは何も知れなかったけれど、また行きたくなる場所だった、気仙沼旅行の話

一度訪れただけでは何も知れなかったけれど、また行きたくなる場所だった、気仙沼旅行の話

宮城県気仙沼市に、震災復興のボランティアに定期的に通っている友達がいる。その子が春休みを使って、気仙沼に長くいるというので、私も1泊2日で合流して、とっても充実していたし、お腹も満たされたという話。

私は仙台出身だけど、震災にかかわるボランティアや何かに関わったことは今までなくて、海沿いの「被災地」と呼ばれる地域に行くのは初めてだった。

震災当時は、私の住んでいる地域は、山沿いで被害は少なかっ

もっとみる
二十四年目の記憶 −1.17

二十四年目の記憶 −1.17

高校二年の冬休みに「弁論文を書く」という宿題が出た。弁論文は「主張したいテーマ」がないと書きようがないが、なかなかコレといったものが思いつかず困っていた。年が明けあと数日で始業式、という時にふと「もうすぐまた1.17が来る」ことに気づき、そうだ阪神大震災の時のことを書こう、と決めた。
と同時に、それが「弁論文」かどうかはどうだってよくなってしまった。四百字詰めの原稿用紙四枚程度という指定があったけ

もっとみる
台風の足音がする

台風の足音がする

頭が痛い。

具体的には右のこめかみが痛い。右のこめかみの周囲2センチくらいまでが痛い。寝転がっているときは治ったかと錯覚するくらいにはおとなしいのに、立ち上がるとズキズキし始め、トイレにたどり着く頃にはこめかみに心臓が移動したのではないかと思うほど脈打っている。

偏頭痛だ。

台風が近づいたことによる低気圧が引き起こす偏頭痛。もしくは、昨日のお酒がまだ残っているのか、昼間に渋々起きてカップ焼き

もっとみる
福島が《FUKUSHIMA》になってから

福島が《FUKUSHIMA》になってから

私は、ある3月の日曜日に、神奈川県相模原市の大きな病院で生まれました。母の実家がそこにあったので。けれど、産声をあげてひと月も経たないうちに、私は「福島の子」になりました。

福島県福島市。福島県の真ん中の一番上にあって、人口は30万人にギリギリ満たない街です。県庁所在地なのにあの郡山市にはちょっと気後れしちゃう、かわいい街です。小学校の社会科の授業では、「福島市は猫の形をしているね」と教わります

もっとみる

震災の記憶

大雪の朝。車でいつもの道を走っていると、道の両側に連なる一面灰色がかった景色に、震災のときの記憶が重なった。全く違う場所だし、もちろん瓦礫なんてひとつもないのだが、あのとき目の当たりにし脳裏に焼き付いた、瓦礫の街並みの映像が浮かぶ。こういうことが時々起こる。震災の記憶以外にも、9.11のニュース映像から、交通事故の現場、漫画に出てくる残虐な場面が想起されることもある。これはなんという現象なのだろう

もっとみる
暖かいということだけで

暖かいということだけで

先週末は今年一番の寒気でしたね。

吐く息もメガネも真っ白に雲って
あ、寒いんだな・・・と実感する帰り道。

そんな時は阪神淡路大震災に被災したあの冬を思い出す。

暖かいことが贅沢だったあの時。

給食はコッペパンと魚肉ソーセージ。
変わるメニューはジャムだけ。
生鮮食品であるバナナがつくとみんなから歓声があがる。

1日に暖房を使えるのは夜寝る前のみ。
朝起きてからはぴょんぴょんしながら着替え

もっとみる