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台風の足音がする

頭が痛い。

具体的には右のこめかみが痛い。右のこめかみの周囲2センチくらいまでが痛い。寝転がっているときは治ったかと錯覚するくらいにはおとなしいのに、立ち上がるとズキズキし始め、トイレにたどり着く頃にはこめかみに心臓が移動したのではないかと思うほど脈打っている。

偏頭痛だ。

台風が近づいたことによる低気圧が引き起こす偏頭痛。もしくは、昨日のお酒がまだ残っているのか、昼間に渋々起きてカップ焼きそばなんか食べていたからか、水分補給を怠ったからなのかもしれない。とにかく、頭が痛い。

移動することもままならないので、とにかく横になって寝返りも極力避けながらスマホを見ている。しかし、それはそれで強い光に晒されているということなのか、ジワジワとまた頭が痛くなり、目も痛くなってきた。涙が出てくるけれど、痛かったり悲しいわけではなく、目を乾燥から守るための生理現象だ。その涙がすごく目に染みて、いててててて、となりながらまた涙を流している。

頭と、目が痛い。

普段できていることが急にできなくなることに気がつくのは、だいたい体のどこかが痛いときだ。小指の腹を切ったとき、普段小指ががんばっていることを痛痒さで知り、ちょっと起きあがるだけで多大な血液が流れ始めることを頭痛で知る。

不自由を感じたときは、普段自分ができていたことが突然できなくなった苛立ちが大きくなる。普段の自分の頑張りに感動するとかそういうきれいな心はいったん後回しで、今現状何もできない自分に腹が立つ。

たとえばこの前、友達からフリスクをもらってしまい、うっかり口の中に入れた瞬間「しまった」と思った。息を吸おうとすると、咽せる。私は口に手を当てて、鼻から呼吸するようにつとめた。

あのスースーするやつが私はあまり得意ではない。というのも、深い呼吸ができなくなってしまうのだ。ゆっくり、鼻から浅く息を吸って吐いてを繰り返す。それからもう一つ、スースーしている間はいっさいしゃべれなくなる。

黙って、うんうん、とやさしく頷いたりはたまた「は? 何言ってんだお前頭おかしいんじゃねぇか?」ということを表情とジェスチャーで伝える。パントマイムのようなことをしていると、普段の自分がいかにめちゃくちゃ喋っているかを体感することになった。声を出そうとする度に「あっ、スースーする」と思って引っ込めては今目の前で行われている会話の返事として「その理屈はおかしい」という顔をする。

「……お前を黙らせたいときは口の中にフリスク放り込めばいいんだな」

友人は言った。

お前を黙らせたいときは口にガムテープ貼るしかないけどな!

と、言いたいけれど一度喋ると息を吸うときに咳き込む。まだ、スースーしている。なので、一方的に言われっぱなしだ。おのれフリスク。

10分ほどしてやっと話せるようになるまで、言葉が話せなくなることの不自由さを味わった。

不便だな、と思う。

そして、不便な時に感じるのは以前の幸せの有り難みよりも、今不便であることに対する苛立ちだ。雨風が吹き荒れるなか傘を差しているときに、ぽかぽかと気持ちの良い日を思い出しながら「ああ、あの晴れの日は気持ちよかったのに」と思い出す気力は全く無い。

びしゃびしゃになってしまったズボンと靴の気持ち悪さからいかに抜け出すかばかりが頭の中で渦巻いている。

「今日はバスで帰ろう」

普段乗らないバスに乗るのは少し勇気が要った。時間や、行き先を待ち時間の5分間で何度も何度も確認した。

バス停で数分待つと、よく見るけれどあまり乗った覚えのないバスが来て、私はそれに乗り込んだ。傘を畳み、空いている座席に腰掛ける。

そうして、やっと安心できたとき「あー、よかった」とひとりごとが漏れる。

ふー、楽だ。バスって、こんなに楽だったのか。不便になって初めてありがたみを感じたのは、不便が無かった時の自分ではなく、不便を助けてくれたバスの存在だった。

今日の頭痛も眠って起きればすっかり収まっているだろう。でも、昔のことや未来のことを思うより、今の自分を助けてくれることが一番ありがたいのだと気がついたことは頭痛と一緒に消えてしまわないと良いなと思った。ズキズキと痛む頭を抱える私の気を紛らわせたのも、頭痛薬と寝ながら文章を書くことだった。

あー、寝よう寝よう。頭痛が気になって仕方がないけれど、それを乗り越えないとしっかり眠って治すこともできやしない。

そう思って目を閉じたものの、5分と堪えきれずに窓を開けて外を見た。雨がさっきより強くなっている。

こめかみがドクンドクンと脈打った。

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