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おススメnote&noter6

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皆様の災害関連投稿をまとめています。 情報を集約する事で、今後の役に立てたら。
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#東日本大震災

結論はまたいつか

結論はまたいつか

7年前の今日

鉄道の関連会社に勤め、職場の近くに住んでいた私はしばらく会社に待機していた。鉄道が動く目処がついて会社をでると駅前のタクシー乗場の行列に並ぶ友人を見つけた。
不安で泣きそうな彼女に缶コーヒーを渡して、近所にすむ共通の友人が来るまで話をした。

家に帰ると炊飯器が床に落ちて壊れていた。その日は金曜日で、翌日はラジオやネットで、何が起きているのかを知ろうと必死だった。ラジオで中西哲生さ

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何でもない日が一番大事

毎年この日になると思う事がある。
東日本大震災が私たちに教えたことはただひとつ。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日、普通の日、何でもない日が一番大事で一番幸せなんだって事。
あの日、目の前で家族を失い心傷つき、目前の家が流され、汚染され、未だふるさとに帰れない、そんな人たちがまだたくさんいる。
私たちはあの日あの時、それまで飽食の限りを尽くし、買い物に溺れ消費し続け、物を溜め込んできた事のむなしさを

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3.11に思うこと。自分ができるいつも通りのことをやることの価値。

3.11に思うこと。自分ができるいつも通りのことをやることの価値。

3.11

あの日から7年目の今日が来ました。東日本大震災で亡くなられた方々に心より哀悼の誠を捧げます。今もなお辛く苦しい日々をお過ごしの方も多いと思います。1日でも早く安らげる日が来る事を願うと共に復興を心よりお祈り申し上げます。

そんなことを思いつつ、あの2011年3月に書き残した当時のブログを見返してみた。あの時の気持ちを忘れないために、まんま貼っておきます。

以下、2011.3.14に

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3.11

3.11

東日本大震災から7年がたち、あのころ小学校5年生だった息子も、高校を卒業した。

あの日は職場にいた。

息子も学校に行っているはず。お迎えに行かなくてはと思っても電車も動いてない。携帯電話もつながらない、固定電話もつながらない。

そんな中、職場から自宅まで約20Km歩いて帰り、途中で公衆電話からようやく自宅に繋がり安堵したことを思い出す。

息子が6年生になり、修学旅行の説明会が学校で開かれた

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東北って、ええとこなんすよ

東北って、ええとこなんすよ

当時僕は地元仙台の中学校に通う中学3年生でした。

いま思い返すと、7年前は学校の屋上のようなとこに避難し、学校で一晩を過ごしました。

中学校の卒業式も高校の入学式も、みなそれどころではなかったため、開催されないことに疑問を持つことはありませんでした。

今年冬長くないかと思っていましたが、7年前避難した時は雪が降ってましたね。

その後もしばらく寒さが続き、避難所では暖を取りたいというご年

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「この日」に生まれて

今日3月11日が、ぼくの誕生日です。「その日」は、上京してくれていた当時の彼女と部屋におりました。それはどうでもいいこと。毎年3月11日が近づくと、名伏し難い思いに囚われるだけでなく、体調も崩します。当時被災された方々や、避難されていらっしゃる方々の思いはいかばかりか・・・。

なぜ体調が崩れるのか。それはたぶん、自分がこの日に生まれたからこの災厄があったんだという「関連付け」がされてしまっている

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3.12からの過ごし方

3.12からの過ごし方

間違いなく、明日から東日本大震災の報道は減ってくる。今日、多くの人が何かしらを想い、考えたと思います。ぜひ、想ったことを行動して欲しいです。なぜなら、報道を機に想ったことは、報道がなくなると忘れるから。なので、仮にでも、日程を立てちゃいましょう。

報道であるように、まだまだ仮設住宅での生活を余儀無くされている方は大勢いらっしゃいます。

僕自身、埼玉県から石巻市に移住して、6回目の3.11を迎え

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3.11 あの日、僕らは旅立った

3.11 あの日、僕らは旅立った

忘れもしない、7年前の今日。

男鹿半島という小さな海岸沿いの村で暮らしていた、無垢で能天気な中学三年生だった私は卒業を迎えようとしていた。

当時の私は客観的に見ても恵まれている人間だったと思う。学年成績1位でバスケ部のキャプテン、そして彼氏は野球部のエース。

高校は秋田でトップの進学校へ入学が決まっていて、先生からも後輩からも、そしてもちろん同級生からも頼られ慕われていた。誰がどう見ても「リ

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マガジン更新しました
おススメnote&noter5:大江千里さんのpray for japan(マガジン一杯になりました)
https://note.mu/notesaigaiinfo/m/mc2b116887bf0
おススメnote&noter6:東日本大震災関連多数(NEW)
https://note.mu/notesaigaiinfo/m/m23a06072f8d4

小説 『僕たちが年をとる頃、街もまた年をとる』

小説 『僕たちが年をとる頃、街もまた年をとる』



Chapter.0 森の中

 走る。走る。僕は走る。
 雨に濡れ、風に吹かれ、暗闇に支配された森の中を駆け抜ける。
 そうだ、走れ。もっと、もっと速く——。

 降りしきる雨の中。夜が訪れた真っ暗な森の中を、僕は走っていた。
 激しい雨に打たれながら、何度も転び、膝を擦りむき、服は泥に塗れた。髪の毛はべっとりと顔に張り付き、髪の毛の境目からは激しく雨水が打ち付けられ、視界は容赦なく遮られる。

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今日は東日本大震災の日です。
辛い思いをしている方々が今も沢山いらっしゃいます。
ひととひとが心で繋がれば、きっとどんな困難も乗り越えることができます。
みんなでこの日を忘れずにいましょう。


この震災で亡くなった多くの方々のご冥福をお祈りし、心から哀悼の意を表します。

大切な人と喧嘩別れしてはいけない

大切な人と喧嘩別れしてはいけない

もうすぐ東日本大震災から7年ですね。

あの災害で心に残っているのは、ある取引先の方の言葉です。

その方はある分野のスペシャリストで、まもなく定年退職し、その後は日本と海外を行き来して過ごす予定でいらっしゃいました。
立場のある方なのに、当時新入社員に毛が生えた程度だった私にも丁寧に接してくださり、仕事の質も高く、同じ女性として憧れる存在でした。

久しぶりにお会いして震災の話になった時、いつも

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