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3.11

東日本大震災から7年がたち、あのころ小学校5年生だった息子も、高校を卒業した。

あの日は職場にいた。

息子も学校に行っているはず。お迎えに行かなくてはと思っても電車も動いてない。携帯電話もつながらない、固定電話もつながらない。

そんな中、職場から自宅まで約20Km歩いて帰り、途中で公衆電話からようやく自宅に繋がり安堵したことを思い出す。

息子が6年生になり、修学旅行の説明会が学校で開かれた。
毎年日光へ行くのが通例であり、息子の修学旅行も日光と決まっていた。
放射線の影響については、調査の結果問題ないとのことでほとんどの保護者の方は納得されていたが、ある保護者から反対意見があった。

「学校は、なんで日光なんて被災地に近いところを修学旅行に選んだのか。放射線の被害が心配だからうちは行かせない。」

修学旅行は実行され、結局参加しなかったのはその保護者の子だけだった。

我が子のことが大切で守ろうとしているのはよくわかる。
行くか行かないという選択が、正しかったのか正しくなかったのは、きっと誰もわからないであろう。

ただ、その子の思いを考えると、なんとなく切ないと思った。

毎年この日がくると、このことを思い出す。