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東京でチャリ 〜村上春樹の小説的生活〜
『都心でチャリ』の組み合わせが最強かもしれない。
東急目黒線沿いに住んでいるので、自由ヶ丘、中目黒、学芸大、恵比寿、がんばれば渋谷、代々木公園にも行ける。目黒通りへ行けば、オシャレ(で高価)な家具屋さんが並び、林試の森公園へ行けば手軽に自然が味わえる。
今日は目黒区民プールへ行ってきた。
昼下がりにプールへ行ってのんびり泳ぎ、おやつにジャズを聴きながらパスタを茹で、茹でている間に意味不明な電話
愛も存在しない(映画『悪は存在しない』を観て)
自分の性格だけが捻くれてるわけじゃないんだ、と認識したい人におすすめする。
愛が足りないラストシーンが衝撃的である。誰も予想ができない形で幕引きになるのだが、その予兆的なものはずっと映されている。物語を通して都会側の人間が身勝手な論理を振りかざしているようにも見えるが、山側の人間も、手を繋がない父や好意に甘えるうどん屋、迎えのない子どもを帰らせる園に、鹿を仕留め損ねる猟師がいる。どいつもこいつも
カレーはうまいしか言えなくても(『やがて哀しき外国語』を読んで)
資格を取りました。旅行サービス手配業務取扱管理者です。僕は日本旅行という会社で新卒から働いていたのですが、その時にしていた仕事を、これで個人でもできるようになりました。
資格を取るために10時から17時まで座って授業を受けて最後にテストをしました。20名ほどの受講生が都内のスタバくらいの机と椅子を一人一つ割り当てられて、ギリギリ通れるくらいの通路を挟んで小さな部屋にこもって一日中勉強していました。
サンタクロースの在り方について(『世界は贈与でできている』を読んで)
文喫という理想的な空間を見つけた。良い出会いがあった。社会の見方をこんなふうに言語化できたら気持ちいいんだろうな、と思うような本であった。最近考えていたこととも繋がった。
「お金で買えない」の気持ち悪さ「お金で買えないもの」という表現がある。この言葉は、それ自体の意味は肯定されているのに「ない」という否定が入っている。犬のことを「猫でないもの」とは表現しない。結局何を指しているのかわからない正体
一人旅をしない(長野について)
かつてこだわりをもって好んでいた一人旅を全然しなくなった。人と分かち合えないマニアックなところにあまり行かなくなったのもあるし、非日常を味わうような目的を身近で済ませるようになったのもあるし、寂しくなって旅行に人を誘うようになったのもある。
僕は一人旅をすると全然外に出ない。アクティブに思われることがあるけどそんなことはない。旅の目的があって、それは食や宿や建物だったりするけれど、その目的さえ満
ドラマ映画の最高峰か(映画『PERFECT DAYS』を観て)
観ていて左側だけ頭痛が起きた。
別に映画のせいではない。だからなに、ということでもない。事実として鑑賞中は頭が痛かった。
2時間ぶっとうしで集中することが、ここ最近はあまりなかったからかもしれない。
いまその頭痛が治まってきていて、同時に観ながら考えていたことも薄まってきているので、殴り書きかもしれないけれど残しておきたい。
おっさんの日常と、ただそうに終わらせることもできなくない。役所広司だか
今年も欲に浸かりました
11月27日の20時、突然、左の脇腹に激痛が走る。
ああ、ついに来たかと絶望する。
節制していたんだけどな、いやたまにモツ煮とかハツの焼き鳥とかビール一口とかやってたか、救いようがないね、とひとしきり後悔する。
東京浴場で身体を温める。
清水湯で湯治を試みる。
内科で尿検査とレントゲン検査をする。
整体で骨盤矯正をする。
湿布を貼ってたくさん寝る。
必死になって手を打つが、どこにいってもなに
人生哲学を問われる(映画『NOMADLAND』を観て)
うっかりすると忘れてしまうけれど、人は孤独であり、最後は一人で死んでいく。
リーマンショックの影響で、60歳にして夫と土地をなくし、広大なアメリカの自然の中をバンと季節労働で生きていく女性の話である。
映像がよく、アメリカの文化、思考、環境を自然体に理解できる、気がする。人間側の許容幅も、自然側の過酷さも日本とは違うなと思う。生活する環境のスケールの大きさは、そのまま器の大きさに比例するのかも
『街とその不確かな壁』(村上春樹)を読んで②
なんて書きながらの2稿目。
前の記事で書いた「自意識との向き合い」は村上春樹的物語の特徴である。自己の内面世界との向き合い、そして他者の内面世界との地下での接続。そういう構造。
今回の主人公「僕」は、少年時代のある少女とのやりとりからその内面世界に囚われてしまい、青年期壮年期と、その少女への憧れや精神的依存が継続した。そこに生じる苦しみなり癒しなりエスケープなり没入なりが「自意識との向き合い」