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あしたの小窓から。

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小窓のむこうに、ちいさな「あした」が見える。 ここでは音楽、教育、投資、霊性などについて、考えたり感じたりしたことをつれづれに綴っています。
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#児童館

さよならするのはつらいけど。

さよならするのはつらいけど。

ぼくは転校や転職を重ねてきたので、去ることには慣れている。

はずだった。

でも、今回、児童館から去るのは、けっこうつらかった。

自分で「やめる」と決めて出ていくわけだから、お門違い話なのだけれど、全部が終わったいま、やっぱりさびしい。

後悔しているわけではないのだけれど、やっぱりなんかつらかった。

先週、この記事を書いている頃は、まだ余裕があった。

でも、

こんなメッセージとか、

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お別れがつづきます。

お別れがつづきます。

大事にしたいものが多すぎて
身動きがとれなくなってる
ぼくは小さく咳をして
そしてまた
あの日の野ばらを思い出す

一生ずっと いられたらいいのにね
でもそんなふうに人生は できてない

別れを繰り返しながら
誰かの面影を背負って
生きてゆくんだね

思い出は トタンの屋根
あなたのこと 忘れないよ
さよならは 光と影
またいつか 会おうぜ

またいつか 会おうぜ

『敬意と尊厳』という強烈な場が

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グッドのバイである。

グッドのバイである。

今日の夜の児童館では、今月いっぱいで退職するぼくの「最期の日」と称して、中高生たちがパーティーを開いてくれた。

彼らはときどき口げんかをしながら、長いことバタバタと準備していた。サプライズのため、ぼくは中をみることができないが「最期」なので、葬式ごっこをすると聞いていた。

しばらくして呼ばれると、こんなホワイトボードが出迎えてくれた。

Arigatoo(笑)
いいなあと思いながら、まじまじと

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はじめてのギター。

はじめてのギター。

それは、昨日の夜。
なんとなく気分が晴れなくて、僕は児童館でギター弾いていた。

すると、一番上の姪と同じくらい、10才ぐらいの女の子が三人やってきて、平均台にちょこんと腰かけて、演奏を聴きはじめた。

「なにをしてるの?」
「ギターを弾いているんだよ。」
「なんの曲?」
「いまつくってる曲。」

弾き終わったら拍手をくれたりして、すこし照れ臭かった。

しばらくそうしていたら「弾きたい」というの

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未熟を恥じる。

未熟を恥じる。

先日、大人になることについて、こんな記事を書いた。

アドラー心理学の『幸せになる勇気』を読んで「大人になるには勇気がいるんだ」と気づかされた経験を書いた記事。

これをまとめている途中で、内田樹さんのこのブログを見つけた。

アドラーが「教育の目標は自立」と語るように、樹さんも「教育の目的は、子どもを成熟させること」と語る。

アドラーが教育は仕事ではなく、信頼に基づく交友関係を学ぶ場だというよ

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いまこそわかれめ。

いまこそわかれめ。

今日は、児童館の今年度の運営最終日。
そしてそれは、ある高校三年生にとって、児童館に来られる最後の日でもあった。

彼は、毎日児童館に来ていた。
毎日「のように」ではなく、本当に毎日。

病気をしたり、特別な用事があったりしなければ必ずいたから、僕たちにとっては、職員同士よりも顔を合わせる存在だった。

彼にとって、児童館は文字通り「居場所」だった。
逆に言えば、児童館以外に居場所がなかった。

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「学び」は突然、発動する。

「学び」は突然、発動する。

昨日のことだ。

夜の児童館では、毎週恒例の「学びタイム」が行われていた。
中学生、高校生を対象になんらか「学び」に関することをする時間だ。

この日は、高校三年生がプレゼンテーションをすることになっていた。
テーマは「プログラミング」。

彼は、自分の通う工業の専門学校で使っている、レーザーで物を切る機械を動かすためのプログラムを教えようとした。

正直、マニアックすぎる。他の中高生には理解でき

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僕は「子ども好き」ではなくなったらしい。

僕は「子ども好き」ではなくなったらしい。

自由ってやつは 楽しいもんだぜ
僕も昔は 縛られてた
(映画『ピノキオ』より)

昨日、自分がもはや「子ども好き」ではなくなっていると気づいて驚いた。

僕は長年、自分のことを「子ども好き」だと思って生きてきた。

身内であるめいだけでなく、ショッピングモールや地下鉄の車内、エレベーターの中なんかでよその子を見かけても、自分から微笑みかけてしまうくらいの「子ども好き」だった。

そして、僕は誰より

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大人が大人とかかわること。

大人が大人とかかわること。

僕はいま児童館で、主に勉強する子どもたちの支援をしている。
児童館自体は、遊ぶことを通じて、子どもたちが「好きなことを好きなようにしてもいい」余白を提供している(すべての児童館がそうではないようだけれど)。

そんな環境に二年いて、いまさらなのだけれど、子どもの支援の対象っていつでも「大人」なんだなあと思う。

子どもに関わっていると、そこに必ず大人の影をみる。
親だったり、先生だったり、彼らの考

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支援が終わるとき。

支援が終わるとき。

思えばいと疾し このとし月
(唱歌『仰げば尊し』より)

いま、名古屋市は私立高校の受験シーズン。

児童館の学習会でも、推薦入試に合格したメンバーが出てきた。
夏頃から受験生向けに開いてきた臨時の勉強会も、その役目を終えつつある。このあと来月に公立高校の入試があって、そのあと卒業だ。

今年は、中学生と大学生サポーターとの関係が密になったので、合格の報が一段と感慨深い。僕も関心がないふりをしてい

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行間に「愛」

行間に「愛」

昨日、勤め先の児童館で職員向けの研修が行われた。

タイトルは『「国連・子どもの権利条約を読む学習会」のシェア会』。

堅そうである。
勤務扱いだったことと、主催しているのが同僚でなければ、確実に参加しなかったと思う。

でも、ふたを開けてみたら、ものすごくよかった。
そのギャップについて話してみたくて、この文章を書いている。

会が開かれる前の日、僕は同僚に「ごめんけど、権利条約には興味がないん

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就業と残業のあいだ。

就業と残業のあいだ。

就業と残業のあいだにあるもの、

それは定時である。

僕は社会人になりたての頃から定時にこだわる男だった。
5時とか5時半になると、体がソワソワしはじめる。
そして、手早く仕事を片付ける。

1.2倍、いやもっとだろうか、このときの手際は、それまでが嘘だったかのように速い。定時が近づくと、ウルトラマンのカラータイマーのように「脱出モード」のスイッチが入るのだ。

なにから脱出したいのかは分からな

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Sketches.

Sketches.

ぐだぐだしていた。

夜の児童館だ。

一人、二人と子供が帰り、あとには家に帰りたくない子供たちが残った。

帰りたくない事情は様々だ。
大抵、親とうまくいっていない。

学校が嫌いだと言い、友達がいないと言い、児童相談所は役に立たないと言い、鳥のおなかが膨れてもうすぐ出産だといい、プリンのカラメルはこう作るんだと言い、シェアハウスっていいなと言った。

受験はどうしようと言い、部活が大変だと言い

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学サポ号の冒険。

学サポ号の冒険。

しーん

としている。誰もなにも話さない。

4月。
児童館で行われる中高生向け学習サポートの、はじめてのサポーターミーティング。

今年、この仕事の担当になった僕がまず行ったのは、大学生をはじめとするサポーターに会を運営してもらうことだった。

その日なにをやるか。時間をどう使うか。机をどう配置するか…etc.

昨年までは職員が決めていたことを、すべて大学生たちに決めてもらうことにした。

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