いまこそわかれめ_

支援が終わるとき。

思えばいと疾し このとし月
(唱歌『仰げば尊し』より)

いま、名古屋市は私立高校の受験シーズン。

児童館の学習会でも、推薦入試に合格したメンバーが出てきた。
夏頃から受験生向けに開いてきた臨時の勉強会も、その役目を終えつつある。このあと来月に公立高校の入試があって、そのあと卒業だ。

今年は、中学生と大学生サポーターとの関係が密になったので、合格の報が一段と感慨深い。僕も関心がないふりをしていたが、意外なほどホッとした。

と同時に、彼らとの関係が終わる時期も近づいているんだなあと思う。

僕たちは友達でも恋人でも家族でもないのだ。

「支援が完了するときって、支援者としての自分の居場所がなくなるときでもあるんだな」

ふと、そんなことを思った。

それはめでたいことなのだけれども、一抹の寂しさもある。

あの子のためにあれをしよう、これをしよう、なにをしよう。
そういうふうに頭や心やエネルギー、「いのち」をつかう時間が終わるからだ。

その人だったから言えたこと、できたこと、そういうのももうなくなる。

支援者は友達でも恋人でも家族でもない。やがては、ただの他人に戻る。

きっと忘れないけれど、たぶん交わることはもうない。

立春をすぎて、もうすぐ春がやって来る。

卒業式。
彼らの支援者だった自分たちとも別れの時が来る。

いまこそわかれめ、いざさらば、か。

もうすぐ春がやって来る。

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