![いまこそわかれめ_](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9875980/rectangle_large_type_2_ef0dfe91e99fa27bdee77b27ae1f3140.jpeg?width=800)
支援が終わるとき。
思えばいと疾し このとし月
(唱歌『仰げば尊し』より)
いま、名古屋市は私立高校の受験シーズン。
児童館の学習会でも、推薦入試に合格したメンバーが出てきた。
夏頃から受験生向けに開いてきた臨時の勉強会も、その役目を終えつつある。このあと来月に公立高校の入試があって、そのあと卒業だ。
今年は、中学生と大学生サポーターとの関係が密になったので、合格の報が一段と感慨深い。僕も関心がないふりをしていたが、意外なほどホッとした。
と同時に、彼らとの関係が終わる時期も近づいているんだなあと思う。
僕たちは友達でも恋人でも家族でもないのだ。
「支援が完了するときって、支援者としての自分の居場所がなくなるときでもあるんだな」
ふと、そんなことを思った。
それはめでたいことなのだけれども、一抹の寂しさもある。
あの子のためにあれをしよう、これをしよう、なにをしよう。
そういうふうに頭や心やエネルギー、「いのち」をつかう時間が終わるからだ。
その人だったから言えたこと、できたこと、そういうのももうなくなる。
支援者は友達でも恋人でも家族でもない。やがては、ただの他人に戻る。
きっと忘れないけれど、たぶん交わることはもうない。
立春をすぎて、もうすぐ春がやって来る。
卒業式。
彼らの支援者だった自分たちとも別れの時が来る。
いまこそわかれめ、いざさらば、か。
もうすぐ春がやって来る。
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