学サポ号の冒険

学サポ号の冒険。

しーん

としている。誰もなにも話さない。

4月。
児童館で行われる中高生向け学習サポートの、はじめてのサポーターミーティング。

今年、この仕事の担当になった僕がまず行ったのは、大学生をはじめとするサポーターに会を運営してもらうことだった。

その日なにをやるか。時間をどう使うか。机をどう配置するか…etc.

昨年までは職員が決めていたことを、すべて大学生たちに決めてもらうことにした。

その最初のミーティングで、彼らは見合っていた。
お互いがなにを言うかを牽制しあって黙り込んでいた。

びっくりした。ここまで話し合いができないとは思っていなかったからだ。

「なにビビってんの?」

と僕は言った。彼らは初対面ではない。そんなに怖がるようなことが起きるとは到底思えなかった。

それでも大学生たちは、押し黙ったまま発言しようとしなかった。

まいったな、と正直思った。

11月。
彼らは別人になっていた。

しばしば時間を忘れるほど、よくしゃべるようになったし、お互いの性格を知り、ツッコミ合うことも増えた。先日の長時間のミーティングでは「ダメ出しされたい」「お互いにもっと出し合っていきたい」と言うようにすらなった。

毎週毎週、ミーティングと振り返りを重ね、自分たちで考えた企画を実施するにつれて、彼らはどんどんいきいきとしていった。サポーターたちが活気づくと、参加している中学生・高校生も元気になっていった。

僕自身も仕事がどんどん楽しくなった。同時につまらないときには「つまらない」と率直に言えるようになった。その一言をきっかけに、停滞していた場が新しい方向を見出すこともあった。

僕たちの運営している学習会は、名前のとおり「学習する場所」だ。
けれど、子どもたちは勉強がそれほど好きではないし、息抜きもしたい。

この勉強と息抜きのバランスをどうとるか。
この調整はどんな学習の場でも難しいとされているけれど、僕たちはたぶんかなり珍しい方法でこれを行っている。

それは、サポーター一人一人が思うように動いて、船のように揺れながら全体のバランスをとること。

具体的にいうと「勉強させたい」サポーターはそのように、「させたくない」サポーターもそのように子どもたちと接するということだ。

このバランスのとり方は、偶然見つかったものだった。

もともと、うちは「勉強しろ」と言いたいメンバーが少ない。さらに児童館が遊び場ということもあって、息抜きがぞんぶんにできる状態にあった。

それで、自主運営をはじめた春先は「レクリエーションをやろう」「話し合いしよう」と、思いっきり「息抜き」に傾いていった。昨年までは、職員が「勉強」のほうに引っ張っていたが、その支えがなくなったのだ。

僕が指示して運営すると、こうはならない。息抜きさせようと思っても、僕の見えている範囲が限界点になって、だれもそこを突破しようとしないからだ。

大学生たちの提案は、当初から僕の限界点を超えていた。だから内心ヒヤヒヤしながら見守っていたのだけれど、これが思いもよらぬ効果を生んだ。

息を吹き返したかのように、わっとコミュニケーションが活発になったのだ。勉強の場にもかかわらず、そこここに花が咲くように笑顔が増えた。

驚いたことに、昨年はむすっと押し黙ったまま一言もしゃべらなかった子が笑顔を見せ、会話に応じるようになった。それも一人じゃなく、何人も。

素晴らしい。めでたしめでたし。

とは、さすがにならなかった。
でも、それはいい方向に裏切られることになる。

「息抜き」に偏りながら数ヶ月運営していると、次第にサポーターの中に「勉強した方がいいのでは?」という気持ちが芽生えてきた。参加者の中には中学三年の受験生もいるからだ。

それに応じてか、中学生たちも自然と勉強するようになっていった。中学三年生だけなく、二年生も、一年生も。

そうなると、息抜きに偏っていた場で内心「勉強した方がいいのでは」と心配していたサポーターが勢いづく。コーチみたいになって「さあやるよ!」と子どもたちを鼓舞するメンバーも出てきた。

夏休みが終わる頃から「学力を上げたい」という声が中学生からもサポーターからも聞かれるようになった。それらの声に応えて、児童館の開館時間に臨時の学習会も開催されるようになった。

いま、うちの学習会には「勉強させたい」サポーターと「勉強させたくない」サポーターが共存している。

船の片側に「勉強」寄りのサポーター、反対側に「息抜き」寄りのサポーターがいるような感じで、彼らが思うように動くことで、場が右へ左へと揺れながら進んでいく。

ポイントは、頻繁に濃いコミュニケーションをとっていること。お互いの意見や立場を理解し合うことで、一人ひとりの中でも「勉強」と「息抜き」のバランスが変わっていく。

僕自身も、4月は「学校の勉強は意味がないのでさせたくない」派だったが、いまは「勉強したい子の点数を上げたい」と塾みたいなことを言うようになった。来ている中高生たちをよく見て、彼らに必要なものについて考えていると、自分のポジションなんてたえず変わっていくものなのだと知った。

そんなふうにして、ぼくたちの場、学サポ号は、日ごとにバランスを変えながら前進している。

こうした変化を、4月の僕はもちろん予想していなかった。

僕がしたことと言えば、ただ「手をはなした」だけ。

それなのに、場はすくすくと育っていった。驚きである。

最近は、サポーター自身が勉強し始めてしまった。
それもやらされるのではなく、したくて勉強している。

いっしょに勉強すると、子どもたちの目線で必要なものが見えてくるし、ぶつぶつ言いながら勉強している彼の姿に触発されて、中学生、高校生たちの勉強への姿勢も変わるのではないかと期待している。

さらに12月には、本気で勉強する場として「天下一学習会」というイベントが企画されている。入試本番の雰囲気に慣れるため、試験会場っぽく設営し、中高生とサポーターがガチで試験を受けて対決するらしい。

「息抜き」派も負けてはいない。今後はピエロのようなサポーターも出てくる可能性がある。

学習の場にピエロ?と思うかもしれないが、子どもたちの心のうちを聞くことは、数ある中での最重要の仕事。その役割が期待される。

そんなわけで、奇想天外な方向に進んでいるわれらが学サポ号。
半年間であまりに変化したので、これからどうなっていくのかさっぱり分からない。

でも心配はしていない。「場が育っている」実感があるからだ。

コミュニケーションは日に日に活発になり、踏み込んだことも話せる信頼感ができてきて、なによりメンバー一人一人の顔から充実感が感じられる。

こんなふうに一人ひとりがお互いを牽制せず、遠慮せず、思うようにやると、自然といいところでバランスがとれる。この発見は、もしかしたら、いろんなところで応用可能かもしれない。

「学習に向かせなければ」と必死になっていた先生方も、ふっと力を抜くことができるかもしれない。「勉強なんてしたくない」と言っていた子が、急に「勉強のことが不安なんだ」と打ち明けるかもしれない。

そんなことを思って、この記事を書いている。

場には、全てを調整している「見えないバランス」があると思う。
それを信頼して手をはなすと、場は植物のように成長し育っていく。

もちろん、僕はそれが分かっていて、手をはなしたわけではない。

楽しくないこととめんどうなことが嫌いで「運営を任せちゃえ」と思ったさぼり心と『ティール組織』という本にかぶれていたことがきっかけ。

でも、いまではこの「手をはなすマネジメント」のすごさを実感している。

これからどうなっていくのかは、分からない。

けれど、あてもなく海をわたる学サポ号の航海は、これからもゆらゆらと左右に揺れつつ、けっこう楽しい船旅になるのではないかという予感がしている。

昨日もにぎやかに「ほ乳類」や「カモノハシ」について中高生とサポーターたちが議論していた。

こんなふうに「学ぶこと」を楽しめるようになったら、勉強ってきっと楽しい。

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