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人生に絶望した日の過ごし方

最近よく、なんで生きているんだろうなって思うところがある。進路がまだ決まっていないこともあり焦る一方で、親からも強く心配されて、大学院試に落ちた場合に備える必要があるよねと悟られて、これから将来やっていこうと思っていたビジョンがきれいに崩れ去っていった。

まだ結果は出ていないし、これからではあると思うけど、働くことになった時に、じぶんに興味があるのかないのか分からない職種をどう選択していったら良いものか。

ぶっちゃけ生きてて不安に感じることの方が多くて、自分がやりたいと思うこと、やってみたいと思うことであれば、自然と無意識に行動することができるのだが、不安や心配に感じてモヤモヤする選択肢に限って、長続きすることができず、毎日頭痛しながらもクラクラと意識が朦朧としつつ、なぜ自分は生まれてきたんだろうなって責めることが多い。

周りの人と比べることに何の意味もないけど、人生についてあまり深く考えずに生きられている人をみていると何だか羨ましく感じるし、他の人にはない強みが自分にはあるだろうけど、生まれてからずーっと生きづらさを抱えながら生きている自分にとっては悲しくて辛いことだ。

よく優秀な兄弟と比較されては、怒られて泣いて絶望しての繰り返しだった。学歴重視な家庭に育ったこともあってか成績が悪ければ、怒鳴り散らされたし、どんどん勉強が嫌いになっていき、いつしかやらなくなっていた。

気がつけば、周りにいる友達は、人間的にクズな奴らばっかりで、目標を見失いゲームセンターでたむろしては、先生によく𠮟られ、性格がどんどんひね曲がった。

なんで他の人のように上手に生きられないのかな、どうしていつも人生に絶望しているのかな。なんか生きてる意味ないね、生きる価値ないね、死にたいねって絶望の波が度々、押し寄せてくる。

思い返せば、高校に行くことを選択したときも不安でモヤモヤしていたし、入学式のあとゲロを吐き潰れて、その後、通えなくなったのは今でも鮮明に覚えている。

就職活動をすることも、その当時の記憶と似たような感触があって、内定を取ることができたとしても、途中で挫折して会社に通えなくなり、人生に絶望するんじゃないかなって不安が頭をチラつかせる。

とは言うものの、大学院に落ちようがあと一年、大学に在籍できる権利が僕にはあり、このnoteでの創作活動も企業の方に評価されることだってあったし、アルバイトに結びつけることだってできたのでね。

人生なにが起こるか分からない。だから、あと先みずに、今できることに全存在を投げ込んでみること。これが大事なんだと思う。

傍から見たら、働かずに生きてこうとしている人間にしかみえないだろうけど、いつか自分にあった仕事が見つかることを信じて、今を頑張って凌いでいこう、そう思ったよ。

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