ヨルシカの靴の花火について考えたこと

ヨルシカの、主に靴の花火について考察したことです。
『夏草が邪魔をする』楽曲や『昼鳶』への言及もあります。

打ち上げ花火には元々、鎮魂の意味もあるらしいです。
靴の花火は(幻燈の解説によると)成仏の曲なので、鎮魂の意味も意識してる気がしました。

靴の花火という曲名は、
歩く時、無意識に微生物や虫を踏んでしまう、
きたない花火にしてしまう、という意味にも思いました。
「僕の食べた物 全てがきっと生への対価だ」とあります。
生きるだけで、歩くだけで他の命を奪ってしまうという。

花火のすぐに消えてしまうことを、命の儚さに喩えていると思います。
「夏」は君と居た人生で、「僕」は幽霊になって来世へ向かっていると。

サビの最後の歌詞が、
夏が見えた→夏を聞いた→夏が消えた
と変化します。
「夏が見えた」の後「君を映す目が邪魔だ」で目を閉じ「君の居た街」への未練を消そうとして、
それでも残された耳は「夏を聞い」てしまうのかなと。
「いつまででも泣いていたい」と、その夏に居続けたいと思った時にはもう「夏が消え」てしまう。

「空を飛ぼうにも終わり知らずだ きっと君を探してしまうから」は、
生まれ変わって全て忘れても、君を探してしまうって事だと思いました。

「ヨダカにさえもなれやしない」
=星になれない
=食物連鎖や輪廻転生から抜け出せない
と取れるので、「僕」は現世や君への未練を捨てられないのかなと。



「君を映す目が邪魔だ」は、アルバム名『夏草が邪魔をする』に掛けている気がします。

靴の花火は、靴の先が花火みたいに爆発して足が吹き飛び、足のない幽霊になったと思えます。
夏草が邪魔をして、地雷に気付けなかったのかなと。
幽霊になったとすると、アルバムの次の曲『雲と幽霊』に繋がります。
靴の花火=苦痛の花火 とも取れます。


よだかの星でヨダカは喉に入った虫を食べます。
生きてきた時間が長いほど、食べてきた虫の数は増えます。
「忘れていくことは虫が食べ始めた結果だ」は、
長く生きた、つまりたくさん命を食べてきたことの報いとして、
今まで食べた命に食べ返され、
思い出を忘れてしまうのかなと感じました。


靴の花火は、靴に手持ち花火の焼跡が残ったとも取れます。
花火の焼跡は虫食いの穴に似ているので、「忘れていくことは虫が食べ始めた結果だ」の虫食いは、花火の焼跡でもある気がします。
生きていく事は命の火を燃やす事、
その火によって虫食いのように記憶が焼け、忘れてしまうのかなと思いました。
MV内でも本が燃やされますし。

記憶に焼き付いて残るものもある気がします。
君への執着は来世へ残ったのかなと。
花火の跡が残った夏の想い出の靴も、いつかは失ってしまうから、
「そんな夏が消えた」で終わる気がしました。


「忘れていくことは虫が食べ始めた結果だ」は、虫食むしはむでむしばむ、月蝕や日蝕を連想しました。
蝕で天体が隠れるように、「この星の今」から抜け出したら「君の居た街」が見えなくなっていくのかなと。
紙魚などの虫が本を食べる≒記憶を無くす だとも思います。



靴の花火の「ねぇ ねぇ」=無ぇ 無ぇ と取れます。
「言葉足らず」=言葉が無ぇ
「終わり知らず」=終わらねぇ という。
「君を探してしまうから から」は から=殻 と思えます。
空を飛んだ後、抜け殻のように靴が残った、
理由(〜だから)が、靴や遺書のように、抜け殻みたいに残ったと。
セミの抜け殻と取っても、夏の儚さに合います。

「から」は、空っぽ、カラッと晴れたのカラとも思えます。
夏の晴天って感じで良いなと。


靴の花火MVのパンは、花火の爆発音パンッ!に掛けてる気がしました。
「靴の先に花が咲いた」→靴の先でパンッと鳴った→地面にパンが落ちた
パンに含まれる命が無駄になったという意味で、花のように散ったと思え、花火に繋がります。
MVの、落ちたパンを、それでも拾って食べる人物が、命を奪いたくないヨダカに重なって思えました。


靴の花火は、靴が作った花火、靴跡=花火 とも取れます。
火葬される身体を、靴に喩えてるのかなと。
今まで歩んできた人生の靴跡が火の花となって咲く、という。
新しい靴に履き替えるように、新しい身体に生まれ変わる気がしました。



「鼻に掛ける」=色眼鏡を掛ける と思えます。
生きてる限り物の見方は偏り、完璧には知れないから「君を知ろうにもどっちつかず」かなと。
続く歌詞「清々することなんて何にもないけど今日も空が綺麗だなぁ」は
カトレア「曇りのない新しいまなこを買おう〜目が覚めた世界は雲ひとつない鮮やかだ戻っておくれよ」を連想します。

「雲」は、眼の曇り、物の見方が偏る事の比喩に取れます。
『あの夏に咲け』で涙が夕立に喩えられるので、雲=涙の出る場所(心) かなと。
カトレア「雲ひとつない鮮やかだ 戻っておくれよ そして僕の全部が消えて」は、
曇りを消したら僕自身の心が無くなってしまって、元に戻りたいのかなと。
偏りこそが自分だったと。

靴の花火「忘れていくことは〜想い出の中じゃいつも笑ってる顔なだけ」は、あの夏に咲けの「夕立の中泣く君」を忘れたから、笑ってる顔だけなのかなと。
「夕立の中泣く君に〜もう一回あの夏に戻って」は、カトレア「戻っておくれよ」に似ています。
忘れた結果、想い出が笑ってる顔だけ(雲ひとつない鮮やか)になった。
あの夏に戻って、想い出の外の泣いてる君に会いたいのかなと。

曇りのない幽霊になって君に会いに行くと思うと、『雲と幽霊』に繋がります。
『雲と幽霊』は、幽霊になった僕が曇った顔の君を見に行く話と思えます。
入道雲は夕立をもたらすので、
夕立ちみたく水滴を流す君(曇った君)を見るのが辛くて「入道雲を眺めるだけでどこか苦しく」なるのかなと。
「君に笑って、て、照れるまま座って」の「照れ」は、夕立(涙)が止んで晴れた(笑った)という意味もある気がしました。


『あの夏に咲け』は、
あの夏に咲いた=あの夏にサイダー と取れて、
「君はサイダーを持っていた それだって様になってるなあ」に繋がります。
様になってる=サマー(夏)になってる という。


『カトレア』についてです。
一番サビは「君にあげたいのに最後だ」
ラスサビは「君に上げたいから最後だ」
海底に沈んだ僕の全部を地上の君にあげたいから「上げたい」なのかなと。
君にあげたいから花火を打ち上げたとか。
練り行くは静かに歩くという意味なので、幽霊だから「排気ガス塗れの東京を練り行く」のかなと思いました。


ヨルシカ=夜鹿 とすると夜鷹よだかに似ています。
ヨルシカの由来は『雲と幽霊』の「夜しかもう眠れずに」からですが、
よだかの星を引用した靴の花火がヨルシカ最初のMVなので、夜鷹も意識してる気がしました。
「ヨダカにさえもなれやしない」からヨルシカになった、とも思えます。
よだかの星でよだかは鷹に名前を返せと言われ、
夜鷹から鷹が無くなり夜しか残らなかった→ヨルシカ と想像しました。


『昼鳶』についてです。
犯人のことをホシと言います。
昼鳶は空き巣の事で、犯罪なので
「何も無いから僕は欲しい」は
欲しい=ホシ、僕はホシ(昼鳶)になったって事かなと。

夜鷹の星⇔昼鳶のホシ という対応を感じます。
昼鳶に「夜景、ダイヤの光、笑みで住宅街を見下し」とあり、地上の人工の光がホシだと取れます。
とんびたかを生むとも言い、鳶は鷹より低く見られがちです。
命を奪いたくない夜鷹は天の星になり、
物を盗む昼鳶は地のホシになったのかなと。

昼鳶「この渇きを言い訳にさぁ」の「渇き」は、鍵(カギ)にも聞こえます。
渇きを鍵にして、他人の家に侵入したのかなと。

「世は死に体の音楽ばかり」とあるので、
「歌にしたい」=歌に死体 なのかなと思います。
鳶は小動物の死骸を食べる事から、鷹より下に見られているそうです。
死に体の音楽ばかりの世を、盗作によって食い物にしてるのかなと。
盗作おじさんは夜鷹ではなく、昼鳶であると。
つまらない=妻がいない で、
「つまらないものだけが観たい」は、妻の亡くなった世界で、死に体の世界でも良いと嘯いてるのかなと思いました。


ヨルシカ『盗作』の小説は、個人的に結びの弱い小説だと感じます。
エイミーの「結びの弱い小説ほどつまらないものはない」で言うと「つまらない」小説で、
昼鳶「つまらないものだけが観たいのさ」やレプリカント「つまらないほどに薄い映画」を有言実行したのかなと。
意図的に「つまらない」小説を書いたとか。

「つまらない」は「詰まる」の打ち消しなので、余白があるとも取れます。
余白=余命 で、
妻の余命がもっと長くあってほしかったから「つまらないものだけが観たい」「君の全部が僕は欲しい」なのかなと。
美しい終わりよりも、妻との日常が欲しかったのかなと思いました。

以上です。