ヨルシカの雲と幽霊について考えたこと

ヨルシカさんの曲『雲と幽霊』について考察したことです。

「このままずっと遠くに行けたらいいのにな 夜しかもう眠れずに」は、
眠りの中、夢の中なら遠くに行けるってことかなと。
「幽霊になった僕は、明日遠くの君を見に行くんだ」
人生の夜(亡くなった後)には幽霊になって遠くへ行けるという。

目蓋の裏は暗いので、目を閉じると主観的には夜です。
目を閉じずに眠る事はできないから「夜しかもう眠れずに」なのかなと。
睡眠中は意識が途切れて一人ぼっちになります。
夜という他者との隔絶の中でしか夢を見れない(眠れない)、君がいない時に初めて大切さ(夢)に気付くとか。



「きっと君には言えない」は、
言えない→黙(もく)→雲(くも)
と連想すると、題名の雲に繋がります。

ゆうれい(幽霊)→言う0(れい)→1つも言えない
とも思えます。

「きっと君には見えない」から、
見えない→見ず→水(みず)
と連想しました。
水が雲になったり海に戻ったりする循環を、輪廻転生になぞられてるのかなと。
植物は水で育ちます。
水の循環(輪廻転生)で夏草が育ち、転生前の元の姿が見えなくなるから『夏草が邪魔をする』のかなと思いました。

雲と幽霊に曲名が似ている『花に亡霊』の
「今も見るんだよ 夏に咲いてる花に亡霊を」は、
水のように循環する君の姿を(水で育つ)花の中に見る
という事に感じました。
その直前の歌詞「言葉をもっと教えて さよならだって教えて」が、
雲と幽霊の対の曲『言って。』の「君がいないことを ~ もっと、ちゃんと言って」に似ていますし。


『花に亡霊』の「夏の木陰に座った頃、遠くの丘から顔出した雲があったじゃないか」は、
『雲と幽霊』の「夏の陰に座って 入道雲を眺めるだけでどこか苦しくて」を意識してる気がします。


羊はモコモコしていて、雲に似ています。
夜眠る前に数える空想上の羊が「夜の雲」なのかなと。
「夜の雲が高いこと、本当不思議だよ」とありますが、実際の夜の雲は暗くほとんど見えないので、空想上の雲(羊)を見ている気がしました。

「夜しかもう眠れずに」は、
昼は情報のノイズが多く、空想しにくい(夢を見れない)
→夜以外は眠る(夢見る)のに必要な羊をイメージできない と取れます。

「夜の雲が高いこと」は、
暗くて物が見えないときの空想力には果てがない、青天井って事かなと。

『風を食む』にも「靴を履きながら空想 空は高いのかな」とあり、空想と空の高さが関連付けられてる気がします。


「夜の雲」は星雲でもあるのかなと。
アルバムでの1つ前の曲『靴の花火』はよだかの星モチーフなので、
星になったヨダカを「夜の雲」と言ってるとか。
燃えて星になる事と、幽霊になる事は似ていますし。

月光が差しているから「夜の雲」が見えるのかなとも思います。



『言って。』や『雲と幽霊』の「夜の雲が高い」は、闇雲だと途方もない、とも取れます。
「盲目的に盲動的に妄想的に生きて」は闇雲に生きたのかなと。
左右盲の「右も左もわからぬほどに手探りの夜の中」も、闇雲に探してると取れます。

『言って。』MV最初の横断歩道で手を合わせているのが、 横断歩道で亡くなった(逝った)人を悼んでいるように見えました。
『言って。』との関係が明言されてる『雲と幽霊』MVの幽霊も、横断歩道を渡っています。
横断歩道の白黒はピアノの白鍵と黒鍵に似ていて、『夏陰、ピアノを弾く』に繋がりそうです。


ヨルシカのアルバム7曲目は、天気に関連した題名が並んでいます。
雲と幽霊
ただ君に晴れ (英題Cloudless)
六月は雨上がりの街を書く
雨晴るる
エイミーの遺した「雨上がりの晴れを書いた詩」(エルマの日記帳より)は『ただ君に晴れ』の事っぽくて、
エルマの日記帳28ページで言及のあった「雨上がりを書いた詩」も『ただ君に晴れ』と思えるので、
7曲目で揃えているのは意図的だと感じました。
ただ君に晴れMVの場所は雨晴海岸なので、雨晴るるに繋がりますし。

以上です。