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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで

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田口ランディのエッセイ『ハーモニーの幸せ』26話+あとがきの感想文をまとめました。ぜひ読んでみてください。
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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『バリ島のギフト』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『バリ島のギフト』

今回から田口ランディさんの『ハーモニーの幸せ』の感想を書いていきたい。
まずは『バリ島のギフト』。
最初のニページ半を読んで、この人はなんて繊細で、自分に正直な人なのだろうかと感動した。自分に正直、というよりは自分を真剣に見つめ続けている人と言ってもいい。私はこの箇所だけで、田口ランディという作家のファンになったと言っても過言ではないだろう。
言い遅れたが、この本はエッセイなので、ストレートに著者

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『身体に音楽を取り戻した日』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『身体に音楽を取り戻した日』

「音楽・・・・・・への憧れは、海への憧れと似ていた」
バリ島で海への憧れを満たした田口ランディは、今度は苦手だった音楽に興味を持つようになる。その媒介者が渡邊満喜子という不思議な音楽家との出会いだった。ここでも著者はすぐに行動する。早速手紙を書き、歌の教室に参加した。この行動力こそが著者の特性であり、いわゆる不思議な出来事との遭遇へと繋がっていく。

渡邊満喜子という人はオカルト的な経験から歌を歌

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『一日一悪』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『一日一悪』

まずは田口ランディが精神科医の加藤清先生の前でタジタジになっているのがおかしい。加藤先生の飄々とした姿が想像できる。(因みに加藤清という人を私は知らない。)
その加藤先生が唱えるのが「一日一悪」だ。それも、「相手に感謝される悪いこと」なのだ。
なんだ、そりゃあ。誰だって思うでしょう。

それを加藤先生は子供時代を例にとって説明してくれる。(ここはぜひ読んでもらいたいので、どんな話かは書かないことに

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『森のイスキアでおむすびを学ぶ』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『森のイスキアでおむすびを学ぶ』

田口ランディは森のイスキアを言葉では説明しづらいと語っているので、森のイスキアを主宰した佐藤初女さんをウィキペディアで調べてみた。
「佐藤 初女は、日本の福祉活動家、教育者。1992年より青森県の岩木山山麓に「森のイスキア」と称する悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場を主宰。素朴な素材の味をそのままに頂く食の見直しにより、からだから心の問題も改善していくことができると訴

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『ガン検診の憂鬱』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『ガン検診の憂鬱』

私は男なので、もちろん乳がん検診も子宮がん検診もしたことがない。それでも検診の内容を読めば、どれだけ恥ずかしく、屈辱的な行為かは伝わってくる。

自分の愛する妻や恋人がそんな苦労をしていることを知っている男性も少ないのではないだろうか。医師でもない独身男性の私には何をしていいのか、なかなかわからない問題だ。

日本はまだまだ男性社会で、女性の扱い方をわかっていない。(もちろん私も含めて)
そのうえ

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田口ランディ『ハーモニーの幸せを読んで』 『キツネ憑き男』

田口ランディ『ハーモニーの幸せを読んで』 『キツネ憑き男』

突然信心深くなった父親とオカルト話好きのオバ様についてのエッセイである。

「父は依存症のケがあって、なんにでも依存し執着していく。そのころの父は『お弔い』という行為に異常なまでに執着していた。」

著者の父は脳外科手術を受けて性格が変わったというが、脳科学の世界では十分あり得ることらしい。

私自身は今まで親に依存し、友人や会社の同僚にも依存してきた。人はそれを甘えと呼んでいた。私も人に甘えたい

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『タヒチの思い出』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『タヒチの思い出』

田口ランディの多くの知り合いの一人で、タヒチに移住した通称ヒコさんとの交流が描かれている。きっかけはネット。大島に行くとネットに載せたら、当時大島に住んでいたヒコさんから「僕は大島に住んでいます。ぜひ大島で会いましょう」とレスが来て、現地で会ったのが初めての出会い。

タヒチに行くことになった田口ランディが、それまで二回しか会ったことがないうえに、六年間も会っていなかったヒコに電話をかける。この辺

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『つまらないということ』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『つまらないということ』

私事だが、去年の6月から適応障害で会社を休んでいる。十年以上前から病気になったり治ったりを繰り返している状態だ。

特に朝が辛く、ひどいときには脱力感で起き上がることもできない。倦怠感で何もする気にならない。

それを著者は「つまらない」と表現している。行動力のある著者だからこそ無気力感がつまらないのだろう。「外部の刺激がすごく弱いパルスでしか脳を伝わっていかなくて、記憶の扉を叩かない。何も喚起さ

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『はだしのゲンの子供力』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『はだしのゲンの子供力』

戦争漫画『はだしのゲン』については、小学生のときに読んだ気もするし、読んでいない気もする。読んでいたとしても内容はまったく覚えていないのだから、読んでいないのと一緒だ。

このエッセイは戦争の悲惨さではなく、原爆投下された広島で生きる小学校二年生、げんを通して、子供力に重点を置いて書いている。

「子供というのはいつの時代にも、どうしようもなく明るく、はちゃめちゃで、優しくて、生きる力に満ちて」お

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『バランスの極意』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『バランスの極意』

「平和」の反対語は「戦争」である。つまりは戦争があって初めて平和という言葉に意味づけすることができる。戦争がなければ平和などという概念はいらない。

9.11のアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、著者が平和について考え、平和にはバランスが重要なことを首狩り族から学ぶ。

著者は、「私の平和とは私にとっての平和である」と言っている。では、自分にとって平和とは何か考えてみた。

その結果、「心がいつ

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『ボディ&ソウル 台湾への旅』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『ボディ&ソウル 台湾への旅』

「人生を変えようと思ったら、まず身体から。そう私は思う。精神は肉体に宿るのである。身体を変えてこそ心も晴れやかに前向きになるというものだ」という著者の言葉は、幼少期から病気がちで運動嫌いの私にとって耳に痛い。それでもやはり身体あっての人生なのだから、最近なるべく歩くようにはしている。(ジムまで通う気にはまだなれない。)

閑話休題、他のエッセイでもそうだが、それにしても田口ランディは人との縁が自然

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『愛の形』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『愛の形』

最後には死んでいたという、創作なのか、夢なのか、半分本当の話なのか、よくわからないエッセイだ。

筆者は台湾で阿水師と呼ばれるおじさんから、死んだら「霊界へ行く。あんたはもう人間は解脱だ。」「おめでとう」と言われて、「もっと人間に生まれ変わって、もっと苦悩も喜びも体験して生きたい」と言う。それを聞いた友人から「原爆で死んだり、片足を地雷で吹っ飛ばされたり、難病でもだえ苦しんだり、貧困と飢えのなかで

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『かそけき音の世界』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『かそけき音の世界』

ヴェトナムのキム・シンの音楽やトゥバ共和国のホーメイに触れた著者の感想が書かれたエッセイだ。

このエッセイで知ったキム・シンの「ヴンダリーカ」というシンセサイザー演奏をユーチューブで聞いてみた。悠久を思わせるスローなメロディには西洋音楽にはない癒しがある。「境界がなく音は次の音へとグラデーションで移行する」と著者が述べているが、アジアの音楽にはお経のリズムがある。それが癒しを感じる理由なのだろう

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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『雨とフラダンス』

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『雨とフラダンス』

何事にも積極的な著者がフラダンスを習い始めます。

しかし、何事にも積極的だと思っていた著者でも、「気分の上がり下がりというのがある。たまたま上り調子のときだったので、ついその気になった。別のときだったら『そうねえ』と言ったまま行動しなかったかもしれない。そういう、タイミングというのは人生にはとても大事だ」と述べている。

タイミングをつかみ取るのも気分次第ということなのだろうが、私には著者にはタ

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