田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『愛の形』
最後には死んでいたという、創作なのか、夢なのか、半分本当の話なのか、よくわからないエッセイだ。
筆者は台湾で阿水師と呼ばれるおじさんから、死んだら「霊界へ行く。あんたはもう人間は解脱だ。」「おめでとう」と言われて、「もっと人間に生まれ変わって、もっと苦悩も喜びも体験して生きたい」と言う。それを聞いた友人から「原爆で死んだり、片足を地雷で吹っ飛ばされたり、難病でもだえ苦しんだり、貧困と飢えのなかで絶望したり、射殺されたり、虐殺されたり、そういうことをまだしたいわけ?」と問われ、「平和に暮らして来た私のイメージできる苦悩など、苦悩のうちには入らないのだということを思い知らされ」る。
人間は苦しみを抱えて生きていかなければならないように決められているようで、苦悩を味わったことがない人はいないだろう。しかし、その苦悩は自分にとっては最悪のものだけれど、現実の世の中には自分より苦悩を抱えている人はたくさんいることを忘れてはいけない。(このエッセイをヒントにして、「世界で一番不幸な人」というショート・ショートを書いた。noteにも投稿したので、興味ある人は読んでみてください。)
「輪廻転生なんかない、と否定されてもショックはない。でもあんたの輪廻転生はこれで終わりだ、と言われたら、なぜか妙にショックだったのだ」という思いは、他の人たちと離されてしまう孤独感から来ているのだろう。私もそのように言われたら、同じように感じてしまうに違いない。人間的といえば人間的で、著者の素直さが現れている。
素直さといえば、このエッセイの中で著者は、セックスについて、本来は人には言えないような欲望を思いのままに書いている。こんなところも田口ランディを好きになった理由のひとつだろう。
肉体を失って初めて、「ああそうか。身体をもつってことは、愛されるってことなのだ。」「人間は愛されるために身体をもって生まれるのだ」と思う。自分の身体とは「愛の形」なんだと気づいて、このエッセイは終わる。人間の身体は人それぞれに違うのだから、「愛の形」も人それぞれにある。自分の「愛の形」は大切にしなければ、と思った。
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